ミアの体調不良②

 自宅でのんびりと過ごしていたスーリアは思いがけない来客に目を丸くした。


「アル、どうしたの?」

「スーが昼間元気が無かったらしいと聞いて……。様子を見に来た」


 玄関先で見上げたアルフォークの言葉に、スーリアは益々目を丸くした。目の前のアルフォークは心配そうにスーリアを見下ろしている。もしかして、わざわざ心配して様子を見に来てくれたのだろうか?


「今ここに居ると言うことはスーの体調不良ではなさそうでよかったのだが……」

「あの、大したことじゃ無いんですけど──」


 スーリアはパッと目を伏せた。飼い猫の体調不良で元気が無かったとなどと言ったら、アルフォークに呆れられるかも知れないと思ったのだ。


「大したこと無くは無いだろう? 現に今、スーは元気が無い」


 アルフォークは僅かに眉間に皺を寄せた。


「俺では相談相手にもならないか?」

「いえ! 心配してくれて、すごく嬉しいです。実は、その……ミアが……」

「ミア?」

「私の飼っている猫です。数日前から体調を崩したのか全然ご飯を食べてくれなくて──」


 説明しながら涙がこぼれ落ちそうになって、スーリアは慌てて目尻を指で拭った。ほわほわの毛に被われているので分かりにくいが、ミアは少し痩せてきたように思える。もしかしてこのまま死んでしまうのではないかと不安だった。


「猫……。獣医には診せたのか?」

「診せました。胃薬を出してくれたのですが、良くならなくて」

「普通の獣医か? 治癒魔法を使う獣医は?」


 アルフォークに問いかけられて、スーリアは軽く首を振った。治癒魔法を使える人自体がとても少ないし、その中でも獣医は殆ど居ない。僅かにいる治癒魔法を使える獣医はほぼ全員が国や貴族のお抱えになっている。騎馬隊の馬や、高貴な人の愛玩動物を治療するためだ。


「そうか……。俺の実家で付き合いのある治癒魔法を使える獣医がいるはずだ。今から行こう」

「でも──」


──でも、治療代が払えません。


 そう言おうとしたが、その前にアルフォークに口に人差し指を当てられて微笑まれた。


「スーにとって、大事な猫なのだろう? 俺もレックスが元気が無かったら気が気でない。俺が何とかしてやるから何も気にしなくていい」

「レックス?」

「あの馬だ。俺の半身のような存在だ」


 アルフォークは玄関から少し離れた場所に繋いでいる艶やかな黒色の軍馬を指さした。いつもアルフォークが乗っている馬だ。


「ミアを連れてこれるか? 行こう」

「本当にいいのですか?」

「いいと言っている」


 スーリアがミアを連れてくると、アルフォークはミアを抱きかかえたままのスーリアを先に馬に乗せた。そのすぐ後に、アルフォークも後ろに飛び乗った。


「残念ながら俺は転移魔法が使えないから移動は馬になるが、それは我慢してくれ。今からでは馬車の手配も時間がかかる」

「はい。大丈夫です」


 スーリアは元気のないミアをぎゅっと抱きしめた。


 ***


「はい。治ったよ」


 ミアに手をかざしていた獣医はスーリアに笑顔を向けた。治癒魔法を使える獣医の元に行くと、治療は一瞬で終わった。あんなにぐったりしていたミアはスクっと立ち上がるとピョンと机の上に飛び乗ったのだ。


「まあ、本当だわ! ミアが元気になってる」


 スーリアは感嘆の声をあげた。ミアに手を伸ばすと、ミアはピョンとスーリアはの腕に飛び込む。機嫌がよさそうに頭をスーリアの胸に擦り付けてきた。


「よかったな」


 横にいたアルフォークが手を伸ばし、ミアの頭を撫でた。その優しい眼差しの横顔と距離の近さにスーリアの胸の鼓動がドキンとはねる。アルフォークはとても美しい顔立ちをしている。すっと通った鼻梁は高く、横から見ても完璧な黄金比を作り出している。スーリアはなぜか気まずさを感じて咄嗟に目を逸らした。


「だいぶ遅くなってしまったな。ご両親も心配しているだろう。帰ろう」


 チラッとアルフォークの方を見ると、アルフォークは窓の外を眺めていた。スーリアもそちらを見ると、外はすっかりと暗くなっている。時間としてはいつもなら夕食の終わるくらいの時間帯だが、この暗さは普段だったら絶対に出歩かない。日本にいた時のように街灯が発達していないので、外は真っ暗になるのだ。


 帰り道、アルフォークは光属性の魔法を使って辺りを照らしながら馬を走らせた。行きはミアの体調が心配で気にもならなかったが、帰りは相乗りしている体の近さが妙に気になった。背中にアルフォークの気配を感じて、気が気でない。触れ合う場所が熱を持ったように熱い。


「スー、どうした? 疲れたか?」


 後ろにいるアルフォークに尋ねられ、スーリアの胸の鼓動はまたもや跳ね上がった。なまじ距離が近いものだから、頭の上のあたりに吐息を感じる。近い、近すぎる。もはやスーリアの胸は痛いくらいの早鐘を打っていた。


「スー?」


 またもやアルフォークの怪訝そうな声が聞こえて、スーリアは胸に抱えるミアをぎゅっと抱きしめた。


「あの……。馬に乗るのが初めてなので、高くて緊張してしまいました。行きはミアに気を取られて気付かなかったのですが……」


 スーリアの声は段々と尻すぼみになる。


「ああ。この馬は軍馬な故、普通の馬よりさらに大きいからな」


 アルフォークが後ろでふっと笑う気配がした。


「絶対に落とさないと約束するから安心してくれ」


 腰に回された腕にグッと力が籠る。スーリアは緊張から身体が強張り、ピンと背筋を張った。


──近い。近いんです!


 喉元まで出てきた言葉は気恥ずかしさから口に出すことは出来なかった。

 アルフォークはまっすぐにスーリアを自宅まで送り届けてくれた。普段、スーリアの家族は夜遅くなると光の魔法石の節約のためにすぐ寝る。しかし、今日はスーリアを待っていてくれたのか家の明かりはまだついたままだった。


「ありがとうございます」

「いや、ミアもスーも元気になったならよかった。今日はゆっくりと休むといい」


 スーリアがお礼を言うと、アルフォークは微笑んだ。玄関口でスーリアを見下ろすアルフォークの眼差しはとても優しく、美しいアメジストの様な瞳に、スーリアは吸い込まれそうな錯覚を覚えた。家に入ると、スーリアはまっすぐに自分の部屋に駆け上がった。


「スーリア? ご飯は?」

「はーい! すぐ食べる」


 階下から聞こえるメリノの掛け声に、スーリアは大きな声で返事をした。まだ頬が熱い。胸がどきどきする。足に擦り寄るミアを抱き上げると、スーリアはミアと視線を合わせた。


「ミア、どうしよう。私、アルが好きかも」


 いつも優しく、スーリアに親切にしてくれる。脳裏に蘇るのはアルフォークの優しい眼差しと心地よい声。そして背中に感じた熱……。いつからだろう、いつの間に好きになったのだろう。気付いた時にはもう好きになっていた。


 スーリアはミアをおろすと、熱くなった両頬を隠すように両手で包み込んだ。ミアはそんなスーリアを見上げて「ミャア」と一つ鳴いた。

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