侍女の噂は恐ろし

 アルフォークはスーリアから貰った花を執務室に取りに戻ると、大急ぎで魔術研究所へと向かった。幸い、今度はプリリア王女には会わずに済んだ。

 息を切らせてやっとのことで到着すると、ルーエンは既に到着していたエクリードと紅茶を飲んでいた。


「アル、遅いぞ」


 エクリードがにやにやしながらカップを置く。アルフォークはムッとしたように少し口を尖らせた。


「俺の歩くスピードの問題ではなく、この宮殿が広すぎるのです」

「転移魔法が使えないとこういうとき不便だよねー。転移の魔力を籠めた魔法石を作ってあげようか?」


 ルーエンはいつものようににこにこしながらアルフォークを眺めた。

 転移魔法とはとある場所から別の場所に瞬間移動する魔術だ。非常に便利だが、使えるものは殆どいない。アルフォークは一応、転移属性の魔力が多少はあった。しかし、苦手なのである。何回か試したが、十回やって十回ともが見当違いの場所に転移した。

 一方、人並み外れた魔力の持ち主で優秀な魔術師であるルーエンは転移魔法もお手のもので、転移属性の魔力も潤沢だ。転移属性の魔力が籠められた魔法石は市販されているが、それは手紙などの小物の転移用だ。人が転移するほどの魔力を籠めた魔法石はまず見かけ無いし、あったとしても目玉が飛び出るような値段だろう。それをいとも簡単に作ってあげると言えるのは、ルーエンが優秀な魔術師だからこそだ。

 アルフォークは少しだけ考えてから首を横に振った。


「いや、遠慮しておく」

「なんでさ? 届け物にも使えるから便利だよ?」

「それはそうなのだが……。俺とお前の噂を知らないのか? 部下から聞いた時は驚きのあまり、開いた口が塞がらなかったぞ? ルーから貰った魔法石なんか身に着けてみろ。きっと今にあの噂は真実だったとあること無いこと言い触らされる」

「ああ、あれ。何でだろうね。僕にはマニエルがいるのに」


 身震いするアルフォークを見て、ルーエンは思い当たったようでけらけらと笑った。ちなみに、マニエルとはルーエンの婚約者のことだ。


 アルフォークとルーエンの噂。それはアルフォークにとって非常に不本意な出鱈目な話だった。

 ともに独身で美形で仲の良い二人が、実は友情を超えた深い関係だというものだ。どこの誰が言い出したのかは知らないが、最近ご婦人に人気があるその手の連載小説のモデルが自分達であるともっぱらの噂である。本当に迷惑極まりない。部下の団員が妹が愛読していると言って持ってきた連載小説雑誌に、絡み合う男同士の図を見た時、アルフォークは冗談抜きで全身に鳥肌が立った。


「アルもさっさと婚約すればいいんじゃないか?」


 他人事のように言うエクリード殿下をアルフォークはじろりと睨みつけた。


「殿下、他人事だと思って……。ルー、マニエルにもっと頻繁に会いに行け。お前が熱心じゃ無いからあらぬ誤解を生むんだ」

「え? アル、まさかの逆ギレかよ。アルが女の子が苦手なのが悪いんでしょ」

「全ての女性が苦手なわけじゃない」


 ルーエンは苦笑した。アルフォークはモテる。見た目はハンサムだし、爵位が継げないとは言え、伯爵家の次男で若くして魔法騎士団長の座にいる。本来なら嫡男の居ない家の令嬢からの申し込みが殺到する優良物件だ。

 それなのになかなか婚約者が決まらない最大の理由は、プリリア王女だ。貴族連中はプリリア王女のお気に入りのアルフォークを娘に宛がうことで王族の不審を買うことを嫌った。そのため、アルフォークは二十四歳の今も独身で婚約者もいない。挙げ句の果てに幼なじみとの禁断の恋の噂だ。


「まあまあ、そう睨むな」


 エクリードはけらけらと笑いながら、アルフォークの肩をぽんぽんと叩いた。アルフォークははぁっとため息をついて、手に持っていた花を机の上に置いた。


「へえ、これがその不思議な花か。見た目は普通の花だね」


 ルーエンは花束を持ち上げてしげしげと眺めた。最初に渡された花束をプリリア王女に取られてしまったため、アルフォークは代わりに昨日お土産にとスーリアからプレゼントされた花束を持ってきた。美しく咲く花が藍色のリボンでまとめられ、かわいらしい花束になっている。


「何かわかるか?」

「うーん。花からは特に魔力を感じないな。ちょっとばらすよ」


 ルーエンはリボンを解いて花束をバラバラにした。横で眺めていたエクリードはそこから一輪を摘まみ上げた。


「確かに何も感じないな」


 エクリードは花を光にかざしたり、近くで見たりした。しかし、何もわからない。

 ルーエンはバラバラにした花の中から薄ピンクの一輪を選ぶと、魔獣が使うのと同じ闇属性の魔法で花を攻撃した。すると、不思議な事に攻撃は当たる前に出来上がった防御壁により弾かれてかき消えた。そして、攻撃が当たってないはずの花は灰になっていた。ルーエンの手からはらはらと灰が落ちる。


「うわぁ。これ、凄いね! 初めて見たよ。アル、どこで手に入れたんだ?」


 ルーエンは興奮した様子で灰になった花と美しく咲く花を見比べる。王宮の筆頭魔術師であるルーエンが知らないとなると、本当に珍しい花なのだろう。


「部下のスティフの婚約者の妹から貰った。自宅の庭で花作りをしているんだ」

「庭で? その子、すご腕の魔術師だったりするわけ?」

「いや、近くに寄ってもなにも魔力は全く感じなかったな」


 ルーエンは顎に指を当てて考え込んでしまった。少なくともアルフォークには、スーリアが何か意図的に魔力を込めて花を育てているようには見えなかった。エクリードも難しい顔をして花を睨んでいる。


「僕もその花を育ててる所を見てみたいな。スティフ君に頼めばその子に会える?」

「会えるとは思うが、なんなら俺が案内しよう」


 アルフォークの申し出にルーエンは驚いたように目をみはると、ニヤリと笑った。


「ふーん。アルが女の子のところに案内するって言い出すなんて、珍しいね。その子、よっぽどの美人なの?」


 アルフォークは基本的に女性が苦手だ。魔法騎士になりたての頃にアルフォークを慕う女性に取り囲まれて服を引き裂かれたり、夜会で飲み物に媚薬を仕込まれるという被害が続出してからその傾向が更に顕著になった。


「そう言うのではない。ただ、彼女は何となく不思議な子だ」

「不思議?」

「ああ。彼女がスネークキメラに襲われて俺達が助けたとき、彼女は瀕死だった。少なくとも、俺にはもう駄目だと思わせるほどの重傷だったんだ。それなのに、今はなんの後遺症もなく元気にしている」


 アルフォークの言葉に、エクリードも思い出したように空を見た。


「スネークキメラ……。森で不思議な事があった、あの時の子か?」

「え? あの時の子??」


 ルーエンも気づいたようでアルフォークを見つめた。アルフォークは無言で頷き返す。

 スーリアを助けたとき、突如空間の歪みが正されスネークキメラが忽然と姿を消した。そして、どんなに探しても見つけ出すことは出来なかった。さらに、この不思議な花。スーリアのまわりでは、全くもって不思議なこと続きだ。


「確かにそれは気になるなぁ。どんな子なの?」

「穢れを知らないというか、純粋なんだ。今まで出会ったことが無いタイプの女性だ」

「その説明じゃ全然わかんないんだけど? まあ、いいや。僕も会いに行く」


 ルーエンは呆れたように言った。


「そうだなぁ、マニエルに持っていく花が欲しいってことにでもしようかな。アルも助かるでしょ?」

「ああ、助かる。出来れば、王宮筆頭魔術師のルーエンは、婚約者のマニエルに心奪われ夢中だと、噂が立つまで頑張ってくれ」

「ええ?」

「ルーなら出来るはずだ。頼むぞ」


 アルフォークはポンとルーエンの肩に手を置くと爽やかな笑顔を見せた。いつものように阿吽の呼吸で仲良くやり取りし始めたアルフォークとルーエンをエクリードは無言で眺めた。こういうボディタッチと互いに向けた笑顔を目撃した侍女から次なる噂が立つのだが、本人達は全く気づいていないようだ。エクリードはゴホンと咳払いをした。


「あー、俺も気になるから行く」


「はぁ?」とアルフォークが眉を寄せる。


「いやいや、一国の王子が何言ってるんですか? 駄目です」とルーエンもピシャリと断る。


「魔法騎士だって誤魔化すから平気だ」


「いや、駄目です」とアルフォークが断る。


「そうそう、駄目ですよ」とルーエンも頷いた。


「お前らが話を合わせれば大丈夫だろ?」


「無理ですね」とアルフォークは取り付く島もない。


「うんうん、無理だよ」とルーエンは援護射撃した。


 二人から絶妙なコンビネーションで同行をお断りをされて、やっぱりこの二人出来てるんじゃないか? と眉を寄せたエクリード殿下だった。


 独身美男子三人の花を囲んだお茶会は複数の侍女に目撃された。アルフォークの禁断の恋のお相手は実は王宮筆頭魔術師ルーエンと第二王子殿下の二人であり、二人にアルフォークは花を贈っていた。三人は合意の関係なのだと、まことしやかに囁かれるようになるのは、ごく自然な流れだったとか。

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