メカナイゼーション ~ハルが消えた日~
夢叶 える
第1話
『アンドロイドが人間に近づくのではない。人間がアンドロイドに近づくのだ』
この時代を作り出した、偉大な医療科学者ロワールド・アルベスの言葉だ。
人類が月面に到達してから三百年が経とうとした今、ロワールド・アルベスが残した言葉が企業広告とともに、黄緑色の空に映し出されている。
私は約束の時間よりもすこし早く待ち合わせ場所に着いたので、暇つぶしに空に広がる空中広告を眺めていた。
今では当たり前になった空中への投影技術により、街中の全てが商品になりつつある。他国と土地の争いをしていた頃には、空や大気にまで値段がつけられ、持ち主が決められることになるなんて考えもしなかったと思う。
約束の時間はそろそろだ。
左手の時計型拡張デバイス『W.E.T』を操作する。私の位置情報を、待ち合わせをしていた相手――ハルに送信した。
また私のほうが先に着いちゃったじゃない。「今度は僕が先に待ってるから」なんて言ってたくせに……。
休日ということもあり、この通りは人の行き来がとても多い。そしてその中でも『藍色の目をした人』はどうしても目立つ存在だ。藍色の目をした人が通るたびに、私は苦い顔をしてしまう。
様々なショップやデパートが隣接する人通りが多いこの区画は、女性向けの店舗が多いせいか、手を繋いだカップルや学生と思しき女の子たちで賑わっている。人工街路樹も多く、お掃除用ドローンが配備されているので、景観が良くとても歩きやすい。
それにもかかわらず、人々が行き交う中を、私ひとりだけが取り残されているかのように、佇んでいる。
ハルからの返事は思っていたよりも早かった。
W.E.Tの電子音が鳴り、ハルからのメッセージが表示される。
『ごめん、今向かってるから』
はぁ、とため息をついた私は、壁にもたれかかり音楽を聴きながらハルを待つことにした。
ひとり寂しくショーウインドウで髪を確認するのは、これで何度目だろうか。ガラスの向こうのマネキンたちでさえ、二人で楽しそうに並んでいるのを見て、悔しい気持ちになった。
マネキンには、十秒ほどの間隔で服が切り替わるホログラムが施されており、見るものを飽きさせない工夫がされている。
いったいどれだけの服を見せられただろうか。
ファッションショーでも観覧しているのかと勘違いしそうになったとき、ようやくハルがやってきた。
「ごめん、ユキちゃん。その、待ったよね?」
「待った、すごーーく待った」
「本当にごめん! 次は必ず――」
「それも聞き飽きた。約束の時間から二十分も過ぎてるじゃん。私、その時間よりも早く着いたから、それ以上に待ってたんだよ!」
「ごめん。どうしても提出しなきゃいけないデータがあったんだけど、途中でミスに気がついて明け方まで修正してたんだ。でも、完成したら安心して眠っちゃってて……」
「さっきから何回謝るの? もういい分かった」
「許してくれるの?」
「許さないけど、このやりとりが無駄だから無理矢理納得したの」
困ったような顔をするハル。
本当はすこし買い物をしてから食事をする予定だったれど、誰かさんのせいで時間が押したので、私たちは予約しているレストランに向うことにした。
並んで歩くとき、ハルは必ず私の左側を歩く。特に決め事にしたわけではないけれど、お互いの定位置のようなものが決まっている。
十五分ほどで、目的の店に到着した。
予約していたのは、二階建ての小さなレストランだ。
二十席ほどしかない空間だけど、壁一面が液晶になっていて、海の中が映し出されている。海藻をつついて餌を探している魚や、群れを作った虹色の小魚が壁や床を泳いでいた。
店の入り口を通過すると、予約していた席番号がW.E.Tに表示された。私たちはそれに従って席を探す。
席に着くとテーブルが二箇所自動で開き、私たちの前にドリンクとメニューが現れた。
メニューをタッチしてカロリーを確認し、食事を決定する。私が見ているメニューの端にも、ハルが注文した料理が表示されているが、本当に寝起きなのかと疑うような、濃い味付けの料理だった。
なぜだろう、またすこし腹が立ってきた。
「それで、朝方まで何の資料をまとめていたの?」
イライラを落ち着かせて、ハルに質問する。
「アンドロイド化の長期寿命によって引き起こる、人口の増加についてだよ」
私は、聞かなければよかったと後悔した。
「アンドロイド化で長期寿命を得てしまうことで、人口が減少しにくくなるからね。人口が減り続けるのも問題だけど、増えすぎることで起こる問題もあるんだ」
ハルが、声を弾ませて言った。
アンドロイド。
それは、世界的に導入を始めている人間の進化方法だ。
人間の体を人工的な物質に作り変え、機械化する。生きている人間を、アンドロイドに変えてしまう国家施策だ。
地表の超温暖化のせいで、近い将来、人間は地球に住めなくなると言われている。
人類を存続させるため、政府は適正がある人間の中から無作為に選んで、アンドロイド化を行う手術――通称『メカナイゼーション』を施す。
今では国民の一割ほどが、メカナイゼーションを受けたアンドロイド化した人たちだ。アンドロイド化することで、温暖化が進んでも生きていけるという。
私はアンドロイド化には反対だ。
生まれ持ったこの体を改造し、どんな環境化でも生きられるようにする。それは確かに人類のためには必要なことなのかもしれない。それでも、脳と一部臓器以外のほとんどを、人工物で作り変えてしまうこの手術は、人間として生まれてきたこと、人間として生きていくことを捨てるような気がしてならなかった。
メカナイゼーションを施しても、見た目は普通の人間とほとんど変わらない。
違うところといえば、顔に表情が表れにくいということ、そして瞳が藍色に変化するところだ。
人とさほど変わらない見た目。それだけに、表情がないアンドロイド化した彼らのことを、私は畏怖の対象として見ていた。
嫌な顔をしている私に気づいていないのか、ハルは話しを続ける。
「僕もアンドロイドだったら、眠気に負けることなく、ユキちゃんより早く待ち合わせ場所に来られるのにね」
「冗談でもやめて、そういうの。知ってるでしょ? 私がアンドロイド化に反対だって。アンドロイドになって何が得なのよ。感情だって表に出ないし、美味しいものを食べても美味しそうに見えないし。ハルはいつも――」
「ユキちゃん」
私の言葉を遮り、強い口調でハルが言う。
「そういうのはよくないよ。アンドロイド化は、人間の進化の形なんだから」
「知らないわよ。そんなの」
私は吐き捨てるように言った。
なによ、ハルが最初にアンドロイドのことを口にしたんじゃない。
私がアンドロイドを良く思っていないことを知ってるくせに。
この時代に、アンドロイド化の反対を表立って口に出す人なんていない。それはこの国を、この時代を否定することに繋がるから。
私のようにアンドロイド化を反対する人は「非機械化主義者」と呼ばれ軽蔑されることもある。
「人類がこの変化していく地球で生き残るためには、絶対に必要なことなんだよ。近い将来、アンドロイドとして生きていかなければ地球上に人間はいなくなる。だから――」
「もういい! だったら、ハルもアンドロイドになればいいじゃない!」
怒鳴るような私の声で、店内が静まり返る。
壁一面を泳ぐ魚たちまでもが、私たちを避けるように遠ざかる。室内の音を感じ取り、より静かな方へ移動していくよう、プログラムされているのだろう。
周りのお客さんたちが私たちをを見て、ひそひそと話をしている。
「非機械化主義者よ」「非国民だ」
私たちに聞こえないように話しているつもりだろうが、静まり返ったこの小さな店内では、嫌でも耳に入ってくる。
ハルは困ったような顔をしていた。
周囲のありえない者を見るような視線に耐えられなくなる。
食事が運ばれてくる前にもかかわらず、気分が悪くなったからとハルに伝えて、私はひとり店を飛び出した。
家に着いて、荷物を放り投げると、ベッドにうつ伏せで倒れこむ。
店の中でアンドロイド化の反対を宣言するなんて、私もどうかしていた。
怒りが冷めてくると同時に罪悪感が駆け巡る。
W.E.Tでハルとのプライベートチャットを呼び出し、「さっきはごめん」と一行だけ送信した。
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