第18話 浅野さん!?
翌朝、疲れを振り切るようにベッドから起き上がると、不意に面接の時にもらって帰ったワインへ目がいった。まだ半分ほど残っているワインは、保存方法もよくわからなくて、コルクをしたままキッチンの棚に飾り物のように置いたままだった。
そうしていたら、昨夜の事が思い出された。
「昨日のごはん、豪華だったな」
グーにした手を口元へ持っていき、笑う専務の姿を思い出す。
私、ご馳走様って、お礼言ったっけ? あんなすごいの頂いたのに、お礼してないかも。
そう思ったら早く出社して、お礼をしなくちゃという気になり、急いで準備をして会社へ向かった。
今日も、浅野さんは会社の前をお掃除している。
「おはようございます」
声をかけると笑顔と挨拶が返ってきた。頭を下げて自動ドアを潜ると、佐藤さんが飾られているグラスを磨いていた。
「おはようございます。私もやります」
声をかけて、奥のフロアへ入る。吉川さんは、まだらしい。代わりという訳ではないけれど、専務が出社していた。
「おはようございます」
声をかけながら近寄り、頭を下げた。
「あの。昨日は、ごちそう様でした」
お礼を言うと、視線を机の書類に向けたまま右手を上げるだけ。仕事モードなのか、それ以外何か言うでもないのがなんだか気まずくて、そそくさと席に戻ってバッグを置いてから、佐藤さんのお手伝いへ向かった。
今日は特に新しく飾るワインも届いていないので、埃を払ったりするくらいで、朝のお掃除は簡単に済んだ。
その後吉川さんも出社してきて、仕入れチェックの仕方を教えてもらったり、先週のように営業さんが持っていくワインを二階の貯蔵庫から選別しておろしてきたりで一日が過ぎていった。
夕方、帰り支度を始める頃、そうだ。と思い出したように、吉川さんがお店の名前と地図の書かれた用紙をくれた。
「これ。会場ね」
渡された紙を見て一瞬首をかしげたけれど、歓迎会の文字を見つけて顔を上げた。
「仕事柄、集まり方はバラつくと思うけど、専務と社長は出席するから。あ、あと私もね」
吉川さんは自らを指差し、にっこりと笑みを作る。
「ありがとうございます」
「私、電話一本待ってるのがあるから、先に行っててね」
用紙に書かれた地図を頼りに会社を出る時、まだ他の社員さんたちは机に向かっていて忙しい中、なんだかとても悪い気がしてそっと社を後にした。
地図は苦手だ。基本、方向音痴だから、地図なんてものを渡されてもあまり意味がない。
これは、東京に出てきて困ったことの一つだった。時間に余裕を持って何度も行ったり来たり、不安な時は事前に下見をしたり。そうやって、大切な場所へ向かう時は気をつけてきた。
あとは、貴哉がいたから。いつだって、貴哉の進む方へ着いていけば間違いなかった。
何が言いたいかといえば、あるはずの店がさっきからずっと見つからないのだ。
吉川さんがくれた紙を睨みつける。
「この辺じゃないの?」
溜息をこぼし、時間を確認して汗がにじむ。キョロキョロとお店の名前を探していたら、肩をトントンと叩かれて飛び上がるほど驚いた。
咄嗟に息を吸いひっ、となって振り向くと浅野さんだった。
「水野さん、どうしました?」
「あ、よかった。浅野さん、お店がわからなくて」
「ああ、そうでしたか。私も今行くところですから、一緒に行きましょう。主役が居なくては、盛り上がりませんよ」
浅野さんは、冗談交じりに言って微笑む。
浅野さんに出会ってほっとしながら近くの角を曲がったら、直ぐに目的のお店があって、自分で自分に突っ込みを入れたくなった。
直ぐそこじゃんっ。
ワインバーのようなお店は、外からでもガラス窓越しから賑やかなのが伝わってくる。
「盛り上がっているようですね」
にこやかに言って浅野さんがドアを開け、私を先に入るよう促した。店内に踏み込むと、吉川さんが良かった。と言ってそばに来た。
「水野さん。遅いから、今連絡しようと思ってたんだよ」
会社で仕事の電話を待っていた吉川さんが先に着いていて、自らのスマホを振りながら笑顔で迎えてくれた。
「すみません。迷ってしまって」
肩を竦めて、後ろに回っていた浅野さんを見ると笑っている。
「社長も、ご一緒だったんですね」
奥にいた佐藤さんが言うものだから、社長がいたのかと驚き、辺りをキョロキョロと見回した。挨拶がまだだったから慌てて社長らしき人物を探したのだけれど、どこにも見たらない。
「浅野さん。社長がいらしてるんですって、どちらでしょうね」
後ろに立っている浅野さんへ訊ねたら、たまたま近くに立っていた専務が、例の右手をグーにして口元へ持って行く仕草で肩を揺らしながら笑いだした。
あ、貴重な笑顔。
じゃなくて、え? なんで笑ってるの?
不思議顏でいたら、近くにいた吉川さんも爆笑した。
え、え、なに?
よくわからないけれど、笑われているのは確かで。でも自分がなにをやらかして、専務や吉川さんに笑われているのか少しもわからない。
助けを求めるようにそばに立ったままの浅野さんを振り返ると、何故だか苦笑いをしている。
「水野さん。申し遅れました」
浅野さんが改まって私を見た。
ま、まさか……。
「社長の浅野です」
ドッカーン。
頭の火山が噴火しています。溶岩流れ出して、ドロドロです。溶けてこの場からいなくなってしまいたいほどに恥ずかしい。
「面接の時に、申し上げませんでしたね。すみません」
浅野さんが丁寧に謝るから、私は思わず一歩後ずさりして、周囲を確認するようにして見ると、吉川さんがゲラゲラと声をあげながらも、首を上下にして何度も頷いている。
あわあわしながらも、謝る浅野さんにとんでもないというように右手と首をブンブンと振った上でぺこぺこと頭を下げた。
「マジかよ」
笑いが堪えられず、ぶっと吹き出したのは専務だ。
かなり爆笑度が高いようで、それ以上の言葉が笑いのせいで出てこないようだった。
「うん、うん。いいよ、水野さん。最高。その素直な反応、たまらない」
吉川さんも笑い続けている。
ああ、神様。なんということでしょう。こんなことになるなんて、浅野さん、浅野さんて。私どれだけ馴れ馴れしくしてきたことか。相手は、社長だったなんて。
どおりで、事務所にいても浅野さんが座っている姿を見かけたことながないと思っていたのよ。社長室にいるんだから当然だよね。もう、私のバカバカッ。
謝り続けていると、謝ることはないですよ。私も言いませんでしたし。と浅野さんかばってくれて、ますます申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「なんやかんやで、いろいろと面白いことになりましたが、水野さん。これからよろしくお願いします。カンパーイ」
周囲の笑いの中、ざっくりとした乾杯の音頭を吉川さんがとってくれて会が始まった。
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