060:天が遣わす者。あるいは、天の言葉を伝える者

「おわぁっ!?」


 結局罠もあんまり仕掛けられず、簡単な獣罠を急ピッチで二つほど仕掛けてから、俺とヴィレッタは帰路につていた。

 おそらく、あと十五分もしないうちに完全に日が沈むだろう。


「……なにをしている?」

「見てわからない?」

「わからん」

「……ぬかるみに足をとられてこけた」

「そうか」


 え、それだけ!?

 さっきまでの事もあるからもうちょい俺を気遣ってくれてもよくない!?

 あ、ちょっと待ってよ! もう足元が暗くなってるから良く見えないんだってば! 置いてかないでよ!


「ちょっと待ってってばヴィレッタ!」


 反射的に腕を伸ばしてヴィレッタの片腕を掴むと、ヴィレッタはあからさまに嫌そうな顔をして、


「……ずっと気になっていたのだが」

「なに?」

「貴様、男の時と女の時で少し口調が変わってないか?」

「…………」


 え、マジで?


「変わってる?」

「変わっているように聞こえる。少なくとも、単語単語のアクセントの強弱はさっきまでのお前と違う」

「……その、男らしくなってる?」

「そんなわけがないだろう」


 ――ガッデム!


「歩き方も変化している。女体化した事で小柄になったとはいえ、比率からして貴様はもう少し早く歩けるだろう。……なぜ内股になっている」

「仕方ないじゃん! こう、なんていうか! そうなっちゃうんだよ!」


 わかってるよ! わかってたよ!

 でも気が付いたらこうなっちゃうんだからしょうがないじゃん!


「……やはり貴様は理解できん」


 むぅ、不機嫌そうな顔はやはり変わらんか。

 あの後しばらく茫然としていたが、とりあえず俺との敵対は待ってくれたようだ。

 うん、一応俺の言う事聞いてくれるし、スキルの使用に関してはこっちが掌握している。


 ただ……なんだろうな。たまに挙動が変な時があるけど。

 上手く言えんが、なんか動きづらそうな時がある。


「とりあえず、女の身体の時と男の身体の時にどうしても違いが出るんだ。覚えておいてくれ」

「了承した」


 というか、えらく聞き分けがいいというか……。

 正直、今度は現実世界でもう一戦あると思ってたんだけど。

 スキルの使用に関してはこちらが握っているからともかく、殺されない程度にまた手足折られたり耳千切られたりするんじゃなかろーかと身構えてたけど、特に動きはなし。


 とりあえず俺から休戦協定を持ちかけたら、しばし躊躇ためらいつつもOKしてくれた。

 今の状況で襲いかかって来なかったって事は、とりあえず襲いかかる事はないだろう。


「で、アシュリーとはまだ連絡つかない?」

「あぁ。貴様は?」

「同じく。テッサに遅くなった言い訳しようと思ったら、まったく繋がらない」


 まぁ、現状が緊急事態だから仕方ないけど。


「下手したら森の中を探し回られてるんじゃないかと思ったけど、まさか連絡がつかないとか……」


 ヴィレッタととりあえずの休戦の再確認をした後、真っ先にテッサに連絡を入れてみたのだが連絡がつかず、しれっとヴィレッタにアシュリー達との通信を促してみると、そっちでも連絡が出来なかった。


「拠点に皆揃っていればいいけど……」


 基本的に、なにか緊急の事が起こった時はとりあえず拠点から動かない様に決めてある。

 まぁ、いつぞやの河辺みたいに拠点にこだわって死にかかるのはもうごめんなので、絶対って訳ではないのだが……。


 とにかく、拠点にいけばなにかあるはずだ。

 仮に移動するような事態が起こったとしてもメモ書きの一つくらいは残してくれているだろう。

 紙もペンも渡してあるし、というかペンがあるなら葉っぱとかに書き残せる。

 ちゃんと目立つように残してくれて入れば、分かるはずだ。


――よっぽどの緊急事態でない限りは。


「ヴィレッタ、方角はあってるよね?」

「あぁ。疑似嗅覚センサーでも、海のそれを捉えている。こっちで間違いない。最短ルートだ」

「そっか」


 やっぱ合ってたか。

 一応こっちでもそうだと思ってたけど……個人の判断はやっぱり怖いな。

 一歩目を決めるだけでも足が震える。


 こうも暗がりだと、特に。


「なにかあったって考えるべきだよね?」

「少なくとも、二人同時に連絡が取れなくなったのだ。これで何もなしという可能性は低いだろう」


 しばらくヴィレッタの腕に掴まりながらおっかなびっくり歩いていると、地面に見覚えのある白い線が見えた。

 俺が魔法で作った目印だ。


「可能性としては二つ。隊長達、拠点作製組に何か起こったのか……」

「あるいは、俺達の頭に変化が起こったか?」

「……サブブレインへの接続だけですら、本来は存在しない『アバター化』という奇妙な現象が起こった。スキル習得のために、他にさらなる変異が起こったとしても不可思議ではない」

「でも、さっき俺とお前の間で通信は出来たよな」

「互いにスキル・ホルダーだからかもしれん」

「あ……そっか、確かに」


 そうだ。俺とヴィレッタにはそういう共通点ができたんだったな……。


「拠点に仲間がいればおかしいのは俺たち。いなければ向こうに何かが起こった。もしくは起こっている」

「どちらのシチュエーションの方がマシだと、貴様は考える?」

「どっちもあんま考えたくないが……」




「その二つなら、まだ前者の方が救いがある」




 誰かにヤバいことが起こるのと、自分にヤバいことが起こるのならまだ後者の方が救いがある。

 ヴィレッタ? すいません自業自得ということで……。

 まぁ、すぐに酷い事にはならんだろうし勘弁してくれ。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







「やっぱり誰もいないし」


 なんとなくそうじゃないかなぁと思ったら本当にいなかった。

 アオイ、ゲイリー、アシュリーもテッサも、新入りのクラウもいないとか。

 焚火も消えている。

 うーん、デジャヴ。


「トール」

「ちょっと待って。……ん……周りに生き物はいない」

「姿を隠している者も?」

「……少なくとも、サーチの有効範囲には」


 恐らく一番頼りにしているスキルをスマホで発動させて、周囲を確認するが……特に気配はなし。


「争った痕跡もない、か」

「争うって何とさ?」

「野生動物に襲われる可能性というのはいつだってある。あるいは……先日のような形の抗争」

「…………」


 連絡がつかないとハッキリ分かっているのはアシュリーとテッサの二人。

 つまり科学の国の人間だ。


(まさか、ゲイリー?)


 それと敵対しているのが、同世界のゲイリー。魔法が使えない魔法使い。


(……いや、それはない。もし、仮にゲイリーが何かを起こそうとすればアオイが止めたはずだ。完全に関係ないクラウもいる)


 アオイ。

 この世界で最初に出会った人間。最も長く一緒にいる女。

 アオイならば大丈夫じゃないかな。うん……多分。


(アオイにはゲイリーを頼むと伝えてある。ゲイリーに害が及ぶ事も、ゲイリーが害を及ぼす事も許すハズがない)


 一緒に生活していく中で、アイツが求めているのは安定だと言う事は分かっている。

 生活自体の変化はともかく、この共同生活を崩すようなトラブルを起こすはずはない。

 仲間割れは……ない。ないと思いたい。


「……一つだけシェルターが完成していない。風避けにもなる屋根部分の一部がそのまま放置されているな」

「そこに積んである苔の山が材料みたい。……ん~、残った部分に積み上げるには十分な量が揃ってるね」


 材料集めのために森に入って迷子になっちゃった、なんてパターンを考えたがさすがにそれはないか。

 ゲイリーやアシュリー達といった軍人に、山育ちで慣れているアオイ。

 唯一そうなりそうなのはクラウだが、本人もそれは分かっているから単独行動はしないと言っていた。


(クラウもここにいたんだな……)


 作りかけのシェルターの一つ。

 そのフレームから、あのシトラスの香りがする。

 香りがするのは、ちょうど手の位置あたり。ここを押さえている時に香りが移ったのだろう。


(まだ残ってるってことは、実はさっきまでここにいたのか?)


 実際に香りがどれくらいの時間で消えるかなんて実験したことないから分からないが、ここは屋内とは違う。

 ちょっとやそっとの香りなんてすぐに飛んでしまうだろう。


「ヴィレッタ、今度スキル取る機会あったらサーチ取らない?」

「貴様が既に持っているだろう」

「いや、サーチって何を知りたいかって意識で大分変わるし」


 サイボーグ……違うな、アンドロイド。女だとガイノイドだっけ? そのヴィレッタならば、俺とは違う視点を持つ上に情報の処理にも強いんじゃないかな。

 俺なんて、例の野草知識を得てから下手にサーチ使うと一気に疲れるんだよなぁ。


「あぁ、構わん。どうせ、私は貴様に捕らわれている」

「人聞きの悪い事言ってんじゃない! 先に攻撃してきたのはそっちでしょうが!」


 俺のしたことなんざ数回殴った程度じゃねーか!

 その間に何回ヒデー目にあわされたと思ってやがる。舌引きちぎられた時は一瞬本気で心折れそうになったぞ!


「……そうだな、貴様は私の首にかけられた紐を手にしているが、紐をかけたのは違ったな」

「うん?」


 なんのこっちゃ?

 あぁ、スキルの向こう側にいると推測してる奴らの事か?


「なんでもない。それで? なにか分かった事はあるか?」

「特にないなぁ。足跡とかもそこらじゅうにあって追跡できないし……」


 月明かりを頼りに周辺を探しているが、これではどこに誰が向かったのか探すのは難しい。


「メモの類も残ってない、か」


 もしなにかの走り書きなんかを残しているなら、風を避けるためにシェルターの内側に大きめの石などで押さえてあるはずだ。

 完成しているシェルターも、作りかけの奴にもそういった者はない。


(……この髪の毛……ゲイリーかな)


 一番近くにあったシェルターを調べてみると、ベッド代わりの渇いた苔の端に金色の髪が目に付いた。

 ゲイリー。この面子で唯一の男仲間。


(多分、一度横になって寝心地とかを確かめたのかなぁ。寝起きで失敗……失敗っていうか、身体を痛めていたりしたらへこむもんな)


 髪の毛が落ちていた所が、当然頭側だろう。というか、苔も盛り上がる様に積まれている。

 ゲイリーの身長を思い浮かべて、足の位置を想像してそこらを地面を調べる。足跡が残っていれば、それを追跡しようと思ったのだが……。


(やっぱり無理か)


 バラバラな足跡がそこらに残っている。

 土の上、草の上、不自然に折れている植物。

 作業や移動の痕跡が多すぎる。

 サーチを使えば分かるんじゃないかという期待があったのだが……やっぱりダメか。


(シェルター以外の道具もここに残っている。素焼きの壺と調理道具、テッサのサバイバルパックに紐の束、草履にバックパック……中には多分衣類や布類もキチンと入ってる)


 仮になにか物が無くなっていれば、そこから行動のヒントが得られるかと思ったんだけど。


(浅はかだったかぁ……)


 他に手掛かりはないかと辺りを探ってみる。

 捜索に入ろうにも時間が時間だ。どれだけ早くても、皆を本格的に探すのは明日の夜明けからになる。


 その時に、少しでも捜索の方向性を決めておけるモノを一つでも見つけておかないと……。


「んお?」


 なにか落ちている。

 ふとそう思って目を凝らすと、それは見覚えのある緑色の物だった。

 先日、例の血文字が書かれていた急造シェルターの壁。

 不気味とはいえ、一応あとで何か分かるかもしれないしと残しておいたものだ。


 血文字の側が下になっている。

 なんとなく、あの血文字をまた見てみようとそれをひっくり返すと……。


「……はりゃ?」


 そこには、本来あるはずのない物があった。

 白く輝く、靴だ。


 ヒール……で、いいんだっけ? なんか正しくは違った気もするが……白い女性物の小さな靴が片足、転がっている。

 右足の方だ。


(でもさっきサーチには……隠れていたから気付かなかった? いやでも、見た事もない地下の空洞だって分かったのに……)


 手にとって調べてみる。

 残念なことにもうサーチは使えないが……それでも分かる事はある。


(全然汚れてないな……傷もほとんどない。まるで新品だ)


 靴底すら綺麗なままだ。

 あれかな。こんな場所だと動きづらいから脱いで保管していた?

 ……いやぁ、それにしても汚れなさすぎだ。拾い上げるまで地面についていたのに


 クルクル回しながら観察する。

 メーカーというかブランドのロゴを発見する。アルファベットだ。

 さらによくよく見ると、小さい金字で『made in France』と書かれている。


「俺たちの世界の物か…………ん?」


 なにかが、自分の勘に引っかかる。

 だが、具体的に何が気になったのかが少しの間考えてもよく分からない。


(引っかかったって事は、不自然な点があったって事? このあからさまにおかしい靴に、さらに?)


 このサバイバル環境において、違和感というものがどれだけ大切な物かは散々思い知らされている。

 優先順位は確かにあれど、気になった事を置いておく事は後々のピンチを招きかねない。

 たとえ本当に気のせいだったとしても……。


「ん~~~~~~?」


 だが、何が気になったのかがピンと来ない。

 とりあえず何かのヒントになるかと靴を隠していた血文字付きの急造シェルターの壁をひっくり返して、再び血文字を読む。


 Everyone becomes an angel.


 皆、天使になる。


(こんな訳のわからん血文字で、そもそも何が伝えたかったんだちくしょう)


 もう黒くなりつつある文字の列を数回目で追う。目で……。


(――あれ?)


 そうしてようやく、違和感の原因に気が付いた。


「なんで文字が読めた?」


 確かに木々が無くなって多少は明るくなったとはいえ、先ほどまで灯りは月明かりのみだった。

 現に、注意深く歩いていてもぬかるみに気付けない程辺りは暗くなっていた。

 眼も機械だっていうヴィレッタ達ならともかく、例の『サーチスキル』以外では普通の眼の自分が、この暗闇でどうして文字を読めているのか。

 いや、そうだ。暗くない。


 こんなに影が出来るほどハッキリ……。ハッキリ?


「ヴィレッタ! 上チェック!」


 反射的に叫んで、同時に自分も上を見上げる。

 そうだ、もう見なれたはずの月明かり。

 火も付いていないのに、文字が読めるほど明るいはずがなかった。


 見上げた先にあるのは――月。


「……なんだ……あれは?」


 月だと、誤認していた物。

 ヴィレッタが、眼を細めて呟く。


 そう、今まで月だと思っていたそれは、今までも夜を見守ってくれていた月よりも大きく、白いものだった。


「……そりゃあ、この距離じゃあサーチには引っかからんわなぁ」


 はるか上空にあって、かなりの大きさがあると分かる球体のソレ。

 それは、自ら光り輝きながら俺たちを見下ろし、そして――



 どこからか発しているか分からない声を発する。

 まるで歌うように。



 どこからか生えた翼を、大きく広げる。



 まるで、天使のように。



「トール! 来るぞ!」


 マジでか。



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