第8話 現地調査

「…………」


 どうしてこうなった?


 車の中で、助手席に教授を乗せ、後部座席にはみりんとイリアが座っている。


 確かに、教授にはみりんが一緒に来ることを示唆したが、よくよく考えればイリアがいるわけで。昨日、みりんと出かけて買ってきた三着のワンピースが余程嬉しかったのか、着ているだけ機嫌がいいのは幸いだが、みりんと共に留守番をしているように、と告げた時の表情には衝撃が走った。いや、まさか、無言の圧力にああもあっさりと屈するとは、俺も思いもよらなかった。


 無言といえば――実は、最初に名前を名乗ったのを最後に俺はイリアの声を一度も聞いていない。まだ慣れていないだけかと思いきや、どうやらみりんとの買い物の最中もほとんど言葉は発さずに表情だけでコミュニケーションを取っていたらしい。それで読み取れるみりんもみりんだが、ここまで話さずに三日目を迎えられた状況が恐ろしい。詰まる所、部屋で二人で仲睦まじく話している姿は、実はみりんが独り言を言っていただけ、ということになるのだが……本当に恐ろしいね。


 とはいえ――


「…………はぁ」


 バックミラー越しに後部座席に視線をやれば、みりんと繋いだ手を笑顔でブラブラと前へ後ろへと振るイリアの姿を見ると、つい頬が緩んでしまう。


 あんな笑顔を見せられてしまえば、魅せられてしまうし、懐柔されるなというほうが無理がある。いっそのこと、みりんと結婚してイリアを養子に迎えてしまおうか、とか本気で考えてしまっているくらいに絆されているのは確かだな。


 しかし、どれだけ可愛かろうが、これから行くのは自殺の名所・富士の樹海なのだ。仮にそこで保護をしたとしても、あまり踏み入れてほしい場所じゃない。それはみりんにも言えることなのだが、学生とはいえ研究者の端くれである以上は拒否することができないのも事実。……まぁ、俺が甘すぎるというのも否定は出来ないのだが。


 ともかく、教授と俺は石の調査がしたいし、みりんも植物の調査をしたい――という名目で俺の研究を手伝いたいから、イリアを一人で置いてくることなど出来るはずもなく、一緒に来る、という選択肢以外は存在していなかった。


「ま、置いてくるほうが心配だったしね……」


 などという呟きは聞こえなかったようで、ミラー越しにイリアと目が合うと満面の笑みを浮かべてきた。ああ、もう、貰っちゃおうかしら! とか、謎の母性本能が出てくるレベルで可愛いな。


「ん――教授。起きてください教授。もう少しで着きますよ」


「ふぁ、あ~……もう着くのかい。それにしても、石鎚くんは運転が上手いねぇ」


 どうだか知らないが、そりゃあそれだけ熟睡できれば上手いんだろうね。


 前回と同じ場所に車を停めて、降りてみれば照り付ける太陽に目を細めた。


「あっつ……この間より暑いんじゃないか?」


「でも、ほら、森の中って涼しいから。イリアちゃんも笑顔だしね」


 その笑顔はみりんと手を繋いで気に入ったワンピースを着ているからなのかもしれないが、何故だか故郷に戻ってきたような微笑みにも見える。詳しいことはわからないが、一人になることよりも、この場に来たかった気持ちのほうが強かったのかもしれないな。


「お~い、石鎚くん。荷物、運んでもらってもいいかい」


「はいはい。三人で分けて持っていきますからね。一番重いのは俺が持つので、教授は高い器材が入っているほうを。みりんはこっちを頼む」


 バックパックを背負い、スーツバッグを持つ俺と、高くてそれなりに重いジュラルミンケースを持つ教授。それと、万一の食事などが入ったショルダーバッグをみりんに任せた。


「……ん、どうした?」


 服を引っ張られ、視線を向けるとイリアが何かを言いたげにこちらを見上げていた。


「なんだ? ……ああ、荷物か? お前は持たなくても……じゃあ、この懐中電灯を持っておいてくれ。必要になるだろうからね」


 大きめの懐中電灯を手に頷いたイリアを余所に、教授はケースの他に自ら持ってきた布バッグを背負っていた。


「教授、ただでさえ体力ないんだから無駄な荷物増やさないでくださいよ。こっちだっていっぱいいっぱいなんですから、手伝いませんからね」


「大丈夫大丈夫。それに無駄じゃないと思うよ。絶対に必要になるから」


「そうですか……ま、いいですけどね。じゃあ、出発しましょう」


 イリアを先頭に俺が進む方向を指示しながら、みりんと教授が遅れてついてくる。


 途中で歩き疲れたイリアをおんぶしたり、歩き疲れた教授の尻を叩いたりだとかいろいろあったけれど、割愛。


 所要時間は予定していた二時間を若干超えてしまったが、無事に怪我も無く四人で洞窟の前まで辿り着くことができた。疲れているだろうから、すぐに洞窟内へと入ることはしないけど……だからといって、目標を目の前にして時間を潰すのは建設的ではないな。


 今すぐにでも動けそうなのは、俺とみりんだけ。イリアはまだ体力が付いていないから仕方ないにしても、教授は普段の運動不足が原因だな。


「じゃあ――俺とみりんが先に洞窟内を調べてくるので、教授はここでイリアと待っていてください」


「え、いやいや、私も一緒に行くよ。そうでないと……はぁ……来た意味が無いからね」


 息も絶え絶えで何を言っているんだか。


「無茶を言わないでください。洞窟内もどれだけ深いかわかりませんし、全員で行って何かあったら示しがつきません。なので、危険がないかを調べに行くだけです。本調査は安全が確認されてからにしましょう。それでいいですか?」


「……そう、だね。なら、任せようかな」


 地面に座り込んで項垂れながら納得した教授は静かに息を吐いた。大人を納得させるのにはそれなりの理屈が必要になるのが面倒だ。教師ゆえなのか、プライドゆえなのかは知らないが、やはり研究者って人種は厄介だね。


「みりん、最低限の装備だけ準備するぞ。ライトとマスク、必要ならマーカーもだな」


「もうすぐお昼だし携帯食も持っていくね。あとは~……ヘルメット?」


「……で、そのヘルメットは?」


 運んできた荷物の中にヘルメットはない。というか、車には積んできていたはずで、道中で忘れてきたことには気が付いていたが、すでに道を半分も過ぎたところだったので戻る気にもなれずに、そのまま進んできてしまった。


「ま、無くても大丈夫だろ。見たところそれほど不安定な洞窟でもないし、危険だと判断すればすぐに戻ってくればいい」


「うん、わかった。きいちゃんに任せるよ」


 必要な物を折り畳み式のバックパックに詰め込んでいると、ふらふらと足元の覚束ない教授が近寄ってきた。


「石鎚くん、はいこれ。必要になると思って持ってきたんだ」


 そう言って差し出されたのは小型のトランシーバーだった。


「……これ、どうしたんですか? うちの備品じゃないですよね?」


「いや、ちょっとね。登山部からパクっ――拝借してきたんだ。こんなこともあろうかとね」


 ああ、なるほど。この人、昨日の時点で俺の話を聞いて、疲れて休むことを前提に行動していたんだな。道理で途中で休憩を挟むことなく進んできたわけだ。そもそも、最初から一緒に洞窟探索をする気など無かったんだからな。


「経緯はともかく、持ってきてしまったものは仕方がないですね。有り難く使わせてもらいます。チャンネルは一にしておいてください」


「うん。じゃあ、頑張ってね!」


 サムズアップって、こいつ――いや、教授。他力本願とかいうレベルを超えて、中々の規模の期待をブン投げてきやがる。まぁ、それだけ信用されているのかもしれないけれどね。


「みりん、そっちはどうだ?」


「準備は出来たよ。でも、イリアちゃんは寝ちゃって起きないや。どうしよっか?」


 道すがら暑くて脱いだ俺の上着を地面に敷いて、背負ってきたバックパックを枕にイリアは完全に眠りこけていた。


「どう、って……教授、イリアのことは任せましたよ。昨日も言ったように、日本語は理解できますし、理解力も高いので、俺たちがいないことは簡潔に説明すればすぐにわかると思うので」


「任せといて。子供は苦手だけど、頭の良い子の相手は得意だから」


 まさに研究者って感じだな。


「では、よろしくお願いしますね」


 置いていくことに一抹の不安を感じながらも、俺とみりんは洞窟へと足を踏み入れた。


 その時、俺の脳裏に浮かんだ言葉は――好奇心は猫をも殺す。


 不吉だね。だけど、だからこそ良い。何かを犠牲にしなければ、何かを得ることは出来ない。そのためには自らの命すら差し出す覚悟はある――と、本気で思ってしまっている時点で、俺は相当研究に熱を上げ過ぎてしまっているのだろう。


 いや、石に――かな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る