第142話 湯治

 メネウが気が付いたのは、温泉宿の一室、布団の上だった。


 何故ここはこんなに日本情緒に溢れているのか、とぼんやりした頭で考えながら暫く天井を見上げ、ふと横を見ると隣の布団でラルフが寝息をたてていた。


 障子の隙間から窓の外を見ると、どうやら夜の設定になっているらしい。日夜まで再現するとは、精霊のやる事は一味違う。


 こんな夜更けに起きてしまったが、倒れてからの事はうすらぼんやりと覚えている。


 トロメライの熱気が収まったので、カノンの力を借りてノーチラス号に乗り込み、滝を超えて元の位置に停泊。そこからはラルフにおぶられていた気がする。たぶん。


 しみじみ隣で眠る面倒見のいい剣士に感謝の視線を送る。いつも倒れる時にはラルフが助けてくれるのだ。ありがたいことである。いつか、何かで御礼しなければ。


「具合はもういいのか」


「あ、うん。……ごめん、起こした?」


 むくり、と起き上がったラルフはいつもの無表情で、いや、と言った。


「気配に敏感なだけだ。トット達も疲れて寝ている。今は……まだ夜中だろう。もう少し眠った方がいいぞ」


「そうだな。どうせ朝にならなきゃ温泉も入れないだろうし……」


「いや、いつでも入れると宿屋のコボルトが言っていたな」


「そうなの?! じゃあ俺風呂入ってくる」


 夜中なので声は控えめだが、メネウははしゃいで掛布団を跳ねのけた。


 ラルフが、はぁ、と溜息をついて片手で額を抑える。


「ならば俺も行く。今度は湯あたりで倒れられたら敵わん」


「あ、いく? いいもんだよ、夜の温泉。資料でしか知らないけど」


「入ったこともないのにいいものだと言えるのがお前の凄いところだな……」


 部屋に備え付けのタオルとバスタオルをもって、二人はそっと部屋を抜け出した。


 出入口もふすまである。とことん日本建築だ。一体どこの神がこれをトロメライに仕込んだのだろうか。温泉と言ったらこう、という日本のイメージはメネウの中には確かにあるが、ローマにだって公衆浴場はあったし、他の世界にも同じような温泉施設はあったに違いない。


 そんな事を考えながら温泉の男湯ののれんをくぐる。瓶の牛乳まではさすがに置いていなかったが、脱衣所で服を脱いで、メネウはさっそく温泉のドアを開けた。


 夜中だけあって客はいない。予想でしかないが、種族ごとに顔を合わせるのが嫌な相手も居るんだろうと思う。だから24時間開放なのだろう。


 今は誰もいない。内風呂の他に露天風呂もあったので、湯桶で身体を流したメネウはさっそく露天風呂に向かった。ダンジョンの中なのに昼夜があるだけでなく、露天風呂まで備え付けてあるとは見事なものである。


「うおっ、すげー……!」


「ダンジョンの中なのにこれは……」


 ちゃんと外気が寒い。それだけではなく、くゆる湯気の上には満天の星空が見えた。


 何度も言うが、ここはダンジョンの中、まるっきり屋内なのだ。


 魔物達のためだとは思うが、昼夜を再現する事で魔物達の体調を崩さないようにしているのだろう。星空は閉塞感を無くすためだと思われる。天候まではいじらないのだろうし、昼はダンジョンの壁が光って明るいのと、あの源泉の川から立ち上る湯気で空は見えなかったが、夜はなるべく自然に近付けているものと思われる。


 岩を組み合わせたような湯舟にメネウとラルフがつかり、二人そろって長く息をはいた。身体に温かいお湯が染み渡る。疲れが溶けだしていくようだった。


「なぁラルフ……」


「なんだ」


 メネウが湯舟に身体を預けて星空を見ながら呟く。


「いつもありがとうな」


 ラルフはむっつりと黙ったままそれを聞いていたが、返す言葉が無いのか、黙っている。メネウもこれ以上喋るつもりは無い。


 作り物の星空で星が瞬く。


 冷たい外気が湯から出ている頬を撫で、湯はちょうどいい熱さで身体を芯から温めてくれる。


 旅に出てから色々あった。全部ラルフは付き合ってくれた。一緒にこうして夜中の温泉にも付き合ってくれるし、お人好しすぎて損をしないか心配だ。


 トロメライの時もそうだ。仲間が皆付いてきてくれた。もう一緒に行ってくれるか、なんて確認をメネウもしなくなった。


 メネウは大きな力を持っている。それこそ何でもできるような大きな力を。


 でも一人では、トロメライから帰ってくる事はできなかった。いつも誰かに助けられてここにいる。それがありがたかった。


 どんなに大きな力を持っていても、メネウ一人ではできる事に限界がある。だから皆付いてきてくれる。協力してくれる。頼りがいのある仲間たちだ。


「……みんながいてくれて、よかったなぁ……」


 ぼんやりとそんな事を呟いた。温泉の中というのは、どうにも考えすぎる傾向があるようだ。それはラルフも一緒だったようで、短く「あぁ」とだけ返ってきた。


「さて、出るかな。それこそのぼせたら洒落にならないし」


「そうだな。まだ朝は遠い。戻って寝るぞ」


「はーい」


 すっかり温まって癒されたメネウは、ラルフの言葉に従って温泉を後にした。


 今度は気絶ではなく、ぐっすり朝まで眠れそうだった。

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