#24 名月姫のこと
「名月姫」
という絶世の美女が源平のころにいた。
名月姫はその容姿だけでなく、心も清らかな女人で土地の者からも慕われていたという。そんな姫には許嫁がおり、二人は恋仲であった。
おりしも平清盛が権勢を振るった頃のこと。清盛は保元と平治の戦を勝ち抜き天皇の信を得、武士初の太政大臣の位にのぼり日宋貿易をもって日本初の武家政権の基盤をかためた男である。
その清盛が、姫を見初めた。
――清盛が見初めたのだから、清盛のものにならねばならぬ。
そんな理屈がまかり通る時勢である。むろん名月姫も例外ではない。
清盛は、当然姫は自分のもとへ来ると思い使者を送った。
が、姫はこれを許嫁への恋を理由に、にべもなく断ってしまった。――時の権力者を袖にする恋心の無謀たるやというべき快事。
しかし清盛もそれで諦めるような男ではない。そうであるならば時の権力者となるまで位を極めることなどできるはずがない。
――許嫁への恋を理由に断るのであれば、その原因を断てばよい。その原因、つまりは許嫁の存在そのものを……。
そう清盛は思考した。思考するだけでなくその権力をもって実行した。
いつの時代であっても、強大な権力をまえに只人の為せることはない。許嫁の家は滅亡寸前に追い詰められた。
そしてその間にも、名月姫のもとには頻りに清盛の使者が訪れる。
「清盛のものになれば許嫁の家をたすけてやろう」決まって使者はそう言った。
清盛の欲望を避けるために清盛の災いを受ける、それを避けたければ清盛の餌食となれ――むごいマッチポンプ的図式である。
やってくる使者を否と帰す日々が続くなか、あるとき姫のもとへ小汚い身なりをした老夫婦がやってきた。はじめはその姿があまりにも乞食然としていたために気がつかなかったが、それは清盛の力により滅ぼうとしている許嫁の両親の変わり果てた姿であった。
「……どうか、わが子との約束を忘れ、清盛さまのもとへ行ってくださいませ……」
彼らは驚く姫のまえに跪き、ふるえる声で哀願した。身なりこそみすぼらしいが、その所作、言葉遣いは、姫のよく知る人品すぐれた許嫁の両親のものである。
目の前にある地獄絵図じみた光景に、姫は慄然とするほかない。むろん彼らの言葉が本心でないことは、苦悩に満ち満ちたその声、表情からも明らかだった。
彼らはどうしようもなく落ちぶれきった者たちではないのだ。姿こそ変わり果てようとも精神の輝きを、人として持つべき品を捨ててはいない!
だというのに、そんな彼らが地面に額を擦りつけ、幼い頃から娘同然に付き合ってきたじぶんに哀願している。――
もはや名月姫には、許嫁に対する恋心が真実であるがゆえに、その言葉に逆らうことはできなかった。
姫は清盛のもとへ行くこととなった。
翌朝に嫁入りをひかえた夜、土地の者から明月峠と呼ばれる小高い丘の上に名月姫と許嫁はいた。
天上の夜空は澄みわたり、白く輝く月は丸々と浮かんでいる。月明かりに照らされた二人は、この世のものとは思えぬ澄んだ気配をまとっていた。
この悲恋の男女は、今夜を最後に裂かれる運命にある。
だが、二人は別れを告げるためにこの場に立つのではなかった。運命に逆らうために立っていた。いわば己の生命を以て為す運命への叛逆であった。
そして、月よりほかに見るものもないこの夜に、たしかにその叛逆はなされた。
二人がそれをどのように行ったという具体的な内容は失伝しており、今となっては知りようもない。
確かなことは、二人はその死を以て報われぬ恋を成就したということである。
現代の我々は明月峠にたつ石塔によりこのはかない男女の物語を垣間見ることができる。その石塔には「名月姫墓碑」と記されており、いまにも残る土地の伝承には、この墓碑の前を嫁入り道中が通ると凶事に遭う、といわれている。
(「名月姫伝説」を筋とする)
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