#18 善行

 たとえば、水の一滴もない荒野の只中に横たわる男がいたとしよう。

 男はここ数日中は荒野を彷徨い続けていて、水と食糧はとうに尽きていた。

 空腹はまだよい。痩我慢ではあるが、まだ紛らわせるだけの気力はある。

 だが、

「ほんの一滴、ただのひとしずくでいいんだ。水を、どうか、どうか――」

 男の渇きはその飢えよりもさらに深刻悲惨であった。


 さて。

 この憐れな男は何者かに水を求めている。

 その何者かは、おそらく荒野を行くなかで男を発見したのだろう。

 男か、女か、大人か、子供か、富者か、貧者か、商人か、それとも野盗の類か。

 それは分からない。

 ただ、その何者かは、男の求める水を持っていた。

 何者かは男の請願を聞き、腰に吊るした水筒を手に取った。何者かの手にある動物の膀胱を加工して作られた皮の水筒は、丈夫で熱に強く、冷水を長く保存するのにこれ以上なく適している。水筒の中には、昨日汲まれた冷水が三分の一ほど残されていた。いますぐに憐れな男の渇きを潤すには十分な量である。

 ちゃぷ、ちゃぷりと、水筒の中にあるであろう水は涼しげな音を奏でた。

 だが、それだけでもあった。

 何者かが憐れな男に水を施すのは簡単なことだ。ただその手にある水筒を男に向かって渡してやればよい。男はそれを受け取り、水筒の中にある冷水をありがたそうに飲み干すだろう。そして、こう言うのだ。

「あなたはなんて善い人なんだ。己の損を顧みず、私に水をくれただなんて!」

 他にも、思いつく限りの感謝の言葉に、命の恩人という評価を得るかもしれない。

 だが、それで全部だ。荒野に彷徨う死に損ないの男から「善人」と呼ばれることが、何者かがその善行によって得られる利益である。

 では逆に、損はどうだろう。

 男に水をくれてやることによって何者かがこうむりうる損。

 様々にあるが、ここで最も重大である損とは自身の生命の危機であろう。

 荒野の只中だ。水の一滴もない。雨すらいつ降るかも分からない。そんな状況下で渇いた男に飲み水をやれば、当然自身のぶんの飲み水を失うことになる。それはつまり、自身の生命を男にくれてやることを意味している。

 男か、女か、大人か、子供か、富者か、貧者か、商人か、それとも野盗の類か。

 いずれであったとしても、その行いによって失いうるもの――自身の生命――の重みは変わらない。


 はたして、他人のために自身の生命を諦めることは善行であるか。

 善行は善心から生じうるとして、結果的自死を選択することは善心と言えようか。

 ――これを善き行いや善き心と呼ぶことは、やはり、欺瞞であろう。

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