みんなどうかしてる

(うそ! もしかしてあの人転んじゃった!?)


 手の甲の痛みが掻き消されていく。代わりに痛んだのは胸の奥。


「……そうよ。きっとプレゼンの準備で寝てなくて、ボーッとしてたら電車とホームの隙間に足ツッコんじゃったんだ。やっぱりあたしがついててあげるぅぅ!」

「バカ、待てっ!」


 己龍くんの手を振りほどいた瞬間、ガシッと虎汰くんにおでこを掴まれた。


「やっ!? 離して虎……!」

「ボクの目を見て! じっとして。深呼吸して……」


 オリーブ色の瞳があたしを見据える。繋がった視線が逆立った心のひだを静かに撫でていく。


(あたし……? でもまだ……!)


 断ち切るようにギリッと舌を噛む。その痛みと虎汰くんが施してくれる白虎の気が、異質な衝動を跡形もなく押し流していった。


「夕愛、今なにしたの? 震えてるじゃん」

「べろ……噛んだ……」


 心配そうなオリーブの瞳にそう答えると、隣にいた己龍くんの顔色も変わる。


「お前そんな事までやってんのか」

「で、でもこれ効く……」


 涙目になりながらも笑ってみせると、二人の口から深いため息が漏れた。


「まあとにかく、戻ったみたいだね。よかった」

「早くここから離れるぞ」


 己龍くんと虎汰くんに背中を押され、小走りで駅の階段に向かう。


「全くもう、あのバカめたろうのおかげでとんだトラブルだよ」

「あ、そういえば亀太郎くんは?」


 キョロキョロと辺りを窺うと、なんとさっきの男性の松葉杖を拾ってあげてる! しかもご丁寧に腕まで貸して、改札を通るのを補助してあげているではないか。


「亀太郎くん……。えらいなぁ」


 すると彼は、スチャ!と短い二本指で男性に敬礼をし、にこにこしながらこちらに駆け寄って来た。


「やあやあ、待たせたね夕愛くん。もう大丈夫だ、僕が彼をお気の毒ではない状態にしてきたよ。これで安心だ」


 ピタッとあたしの後ろについて、亀太郎くんが笑う。


「手ぇ貸してやっただけだろうが」

「龍太郎くん何を言う。腕を貸した時に玄武の気を流して、彼の身体の活性化をはかったのだ。これであの骨折も治癒が早まるだろう」

「亀太郎くんそんな事できるの!?」


 それには隣の虎汰くんが答えてくれた。


「玄武の気はそういう力に長けてるんだよ。他の四神も出来なくはないけど、玄武が一番治癒能力は高い」


 驚いた! あんな亀で蛇ニョロリなのに!


「ついでに今日一日ハッピーに過ごせるよう暗示もかけてきた。これで彼はパーヘクト。夕愛くんの心を弄ぶお気の毒な人間など、僕が成敗だ!」


 いや、助けてあげてたよね!? てか暗示って何したの!?


 それでも三者三様で。亀太郎くんも、虎汰くんや己龍くんと同じようにあたしを守ろうと心を砕いてくれている。


(感謝、しなくちゃな)

「……青龍だってできる」


 そう呟いて、ふいに己龍くんがあたしの手を取り上げた。


「え? な、なに己龍くん」

「お前バカだろ。こんな青あざになるまで」


 見ると、さっき自分でつねった手の甲が赤紫色に変色している。


「あ……でも、別に今は痛くないよ」


 これはもう仕方がない。その時は確かに痛いけど、軽いものならこの方法であの衝動を防ぐことはできるから。


(腕とかお尻とか、他の所で試したこともあるけど。一番ここがすぐ対応できるし、効くんだよね)


 舌を噛んだのは初めてだったけど、あれは最終手段としておこう(めっちゃ痛いし)。


「治してやる」


 スッとあたしの手を持ち上げ、その青あざに己龍くんが唇を寄せた。


(え……、ええぇぇっ!?)

「ぬおあぁ! 龍太郎くん、そういうコトは僕に任せたまえーー!」


 前に出てこようとする亀太郎くんを、虎汰くんが細腕一本で押し留めた。


「己龍が集中できないだろ。邪魔すんな」


 亀太郎くんがグッと言葉を飲み込み、おとなしく……ギリギリと歯噛みする。

 でもここ駅前! 辺りに学生は見当たらないけど通学路だよ!?


「き、己龍くん……っ! 虎汰くんも……」


 手の甲に口づける己龍くんと、やけに静かな目で見守る虎汰くんにあたしはプチパニック。


「夕愛もじっとしてな。ほら、もう終わったよ」


 見ると、己龍くんが顔を上げてあたしの手を軽く擦っている。


「消えたぞ」

「あ……あり、がと……」


 ポイと手は離されたけれど、あたしのドキドキはまだ継続中だ。


「行くぞ。本格的に遅刻しそうだ」


 また背中を押され、己龍くんの隣を歩き出す。反対側にはちゃんと虎汰くんも寄り添ってくれている。(後ろは確認しなくても居る気配がスゴイ)


「なあ己龍……やっぱお前どうかしてるよ」

「俺もそう思う」


 左右でつぶやく二人を、あたしはキョロキョロと交互に見回した。そして手の甲に視線を落とす。


(ほんとだ、もうどこも青くない)


 本当に不思議。でももっと不思議なのは、この人たちがなんであたしなんかに……ってこと。


(やっぱり娘娘のモテ気って四神の人たちにも影響あるんじゃないかな。そうでなきゃ)


 胸がキュッと小さく痛んだ時、あたしたちの横を一台の自転車がスッと通り過ぎて停車した。


「あー、やっぱりあんたたち。おはよう夕愛。虎汰も己龍もおはー」


 振り返って笑顔を見せたのは、黒髪ポニーテールが爽やかな美人さん。


「あ、紫苑ちゃん。おは……」


 ん? 紫苑ちゃん? はて、あたし紫苑ちゃんについてなんか重要なことを忘れているような気が。


「はよ、紫苑ちゃん。今日はポニテなんだ、似合ってるー」

「え、マジ? うっそ、嬉しいー」


 虎汰くんの褒め言葉に頬を染め、紫苑ちゃんはチラと……己龍くんを盗み見た。


(はっ! そ、そうだ、紫苑ちゃんって)

「てか、なんできゃめ太郎も一緒なのよ。荷物持ちか」

「ははは、あいかわらず紫苑くんは花のかんばせに似合わぬ毒舌ガールだね。ギャップの魅力満載だ」

「そりゃどうも。でもあんた今日は日直だろ? 日直はホームルームの15分前には担任のトコ行って手伝いするもんだぞ」


 彼女の指摘に亀太郎くんがサッと顔色を変える。


「い、いかん。日直の事などコロッと忘れていた。男子たるもの責務をおざなりには出来ん。――夕愛くん!」

「は、はいっ!」


 いきなりのご指名にあたしの身体がビクッと跳ねる。


「いささか頼りないが、後は彼らに任せよう。僕は一足先に学園に行かなければ。すまにゃい!」

「ううん、いいの! 亀太郎くんは責任感のある人だもの、どうぞお先に!」

「ありがとう、君は実に理解のある娘だ! ではアディオーース……」


 話の半ばで闘牛の如く猛然と走り去って行った亀太郎くん。サヨナラの言葉が小さく遠のいていく。


「お前、アイツの扱い上手いな」


 ポツリ、己龍くんが呟いた。


「いえ、なんか自然に」


 ごめんね亀太郎くん。


「あー、あのさ夕愛。私もちょっと先に行っていいかな、己龍借りて」


 紫苑ちゃんに横から覗き込まれて、再びあたしの身体がぴょんと跳ねた。


「え、ど、どうぞ。でも」

「いいだろ己龍。ちょっと相談っていうか、話あるんだ」


 薄紅色に頬を染めて彼の袖を引っ張る美少女。女のあたしでも萌えぇ!


「……今か?」

「うん、今! 乗って乗って、後ろ!」


 はあ、と小さくため息をつき、己龍くんがあたしと虎汰くんを流し見る。


「先に行ってる。気を付けて来い」

「う、うん。あの、もう大丈夫だから」


 幼なじみの紫苑ちゃんには己龍くんも逆らえないらしい。彼女に後ろに乗れと目で合図して、自分がハンドルを握った。


「じゃあね、夕愛。学校でねー」


 己龍くんが運転する自転車がお地蔵さんの鎮座する角を曲がって見えなくなる。あたしの胸に幸せそうな紫苑ちゃんの笑顔を残して。


(まいったなぁ。紫苑ちゃんが己龍くんを好きだったこと忘れてた)


 あの様子だと己龍くんがあたしの手を取ったところは見ていない。きっと後ろにいた巨体の陰になってたんだ。ナイス亀太郎くん。


 でも今日はそれで助かったけど、このままじゃ。


「ゆーあ。顔が百面相フラッシュしてるよ、何考えてる?」


 耳元で囁かれて、あたしは声の主をそろそろと見上げた。


「虎汰くん。やっぱり四神の宿主もあたしが触ったらダメなんじゃない? どう考えてもおかしいよ」

「……なにが?」


 あたしの問いかけに、虎汰くんはふんわり笑っている。


「だから、虎汰くんも己龍くんも。あたしなんかを、その」

「好きになるわけない?」


 同じ笑顔のままサラリと言う虎汰くんは、まるでシャッターを切った時の画像のよう。


「……うん」


 あたしたちの間を、乾いた風が通り過ぎていった。





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