れっすん発動


 ホームに滑り込んできた電車が乗客を吐き出し、人波に圧されて足元がふらつく。混雑している電車に乗る緊張に息が詰まる。


「しっかりしろ。大丈夫だ」


 ふいに背中に回った手があたしを支えるように車内に促した。


「き、己龍くん」

「いいから力抜け。何も考えるな」


 己龍くんがあたしを抱えて、混雑する人の間を縫うように進んでいく。力を抜き何も考えずに彼に任せていたら、あたしはいつの間にか車両の角。


「よし。あとは直に人に触らないようにだけ気を付けてろ」

 

 それだけ言い渡して彼はくるりと背を向ける。両脇は壁、目の前は蓋をするように己龍くんの背中。


「あり、がと……」


 この人ってすごい。細々こまごまとした説明はないけど、いつも的確に物事を運んでくれる。


(任せておけば安心……なんて思っちゃう)


 ガクン、と電車が動き出す。すると目の前にスッともうひとつの見知った背中が加わった。


「全く、強引だぞ己龍。あっちのすいてる方のコーナーに誘導しようと思ってたのに」

「ここへの動線が見えたんだ」


 小声でケンカする虎汰くんと己龍くんの背中。この人たちがいれば、あたしはきっと何もかも大丈夫。


(あ、そうだ。虎汰くんに言われてた事……)


 あたしはまだ手に持っていたスマホを操作して、メール着信音をOFFに設定した。


「そういや、あのデカい亀はどうした」

「あそこでオバちゃんたちに挟まってる」


 見ると車両の中ほどで、中高年のご婦人達に囲まれたぽっちゃりフェイスがこちらを涙目で見つめている。


(通り抜けられなかったんだね……お腹が)


 亀太郎くんも決して悪い人じゃないとは思うけど。


(ん?)


 スマホの画面にメール着信ありの表示が現れた。音はもちろん切ってあるから鳴らない。


(こんな朝から誰? お父さんかな)


 画面をタップして確認するとそこには。


【虎汰:れっすん 発動】


 一瞬、息が止まった。


(虎汰くん!? え、なに、どういうこと?)


 顔を上げると目の前には当の本人の背中。その隣の己龍くんも退屈そうにスマホの画面をただスクロールしている。


(てか、レッスンってメールで?)


 困惑しつつ、もう一度スマホの画面に目を落とすと新しいメッセージが現れた。


【虎汰:キョドってないでww 声出しちゃダメだよ。こっちで話そ】


 よくわからないけど、既読スルーというわけにもいかない。


【なんできょどってるってわかるの】

【虎汰:ボク、背中にも目あるんだ】


 もう、冗談ばっかり!


【なんでメール? 普通に話せばいいのに】

【虎汰:内緒話だから】

(え……)


 あたしはまた目を上げて本人の背中を見つめる。


【虎汰:あえて己龍の前で、ボクと夕愛の秘密の話】


 ドキン!と胸が鳴って、スマホを落としそうになってしまった。


(秘密って? なんでわざわざ己龍くんの……)

【虎汰:この前、己龍に何された? 熱出して寝込んでた時】

(……!)


 いきなりのドストレートなメッセージに硬直。目の前の背中が本当にあたしをじっと見ているようで、なんだか居たたまれなくなる。


(どうしよう、なんて答えればいい? 何されたって……特に説明できるような具体的なナニかはなかったけど!?)


 お風呂で下水に流されかけてた己龍くんを救出してベッドまで運んで。それから……熱い手があたしを引き寄せた。


 彼は『そばに居てくれ』と言った。『お互いが気持ちを感じたらそれで成立だ』と。


(でもそれは熱に浮かされてかも……。じゃああれは? あたしが他の男の子を見ると腹立つって)

 

【虎汰:鼻息あらいよ。そんなやらしいコトされたの】

「違……っ!」


 思わずスマホの画面に向かって大発声。


「なんだ、どうした?」


 驚いたように、己龍くんが肩越しに振り返った。


「い……いえ、その。……ち、血が、足りないかなって」

「貧血か? 確かに顔が良くない」


 え、顔色じゃなくて!?


「一旦、次の駅で降りるか」

「そ、そんな大げさな。大丈夫だから、ほんとに……」


 綺麗な眉根を寄せて己龍くんがじっとあたしを見つめる。


「……っ……」


 あ……あぁ……貧血なんて嘘ですって、虎汰くんにあの時のコト聞かれてるんですって白状しちゃいそう。


 その時、あたしをロックオンするレーザーポインターの視線が突然スッとスマホを持つ手に遮られた。


「いいから邪魔すんなよ己龍。いま夕愛にお前が何したか聞いてるトコなんだから」

(白状ーーっ!?)


 スマホの画面を己龍くんの目の前に突きつけ、虎汰くんがニッと笑う。画面を一瞥した藍墨色の瞳がわずらわしそうに虎汰くんを睨んだ。


「何もしてないって言っただろう」

「うん、たいした事はしてないだろうね。でもあの日から己龍は変わったよ。問題は夕愛にも何か変化があったかどうか」


 そこで虎汰くんはまたあたしに背を向けた。


「己龍の前でボクの質問にどうリアクションするか。それでたぶんわかるよ」

(あたしが変わったかどうか?)

「勝手にしろ」


 最初と同じように二つの背中があたしに向けられる。そして手の中のスマホに新しいメッセージが加わった。でもそれは。


【己龍:それなら俺にも聞きたい事がある】

(己龍くんまでーー!?)


 スマホを掴む両手がブルブルと震えてしまう。でも緊張とか不安とはちょっと違うみたい。

 喩えるなら、追い詰められたサムライが『こうなったら受けて立つしかない。どっからでもかかって来い!』と開き直った、いわゆる武者震いだ。


(そうだよ、虎汰くんには看病してただけって答えればいいし。己龍くんにだって聞かれて困ることなんか何もない!)


【己龍:初めて会った日、お前が虎汰にしてやったダイレクトな治癒ってなんだ】


 サムライ、いきなり斬られたーー!


【己龍:なにをした】

(なななんで……! そ、そ、それって)


 途端に蘇るあの感触。スウィーツ店のパウダールームで、ここなちゃんに奪われたファーストキス。

 

 そういえばこの前、撮影から帰ってきた虎汰くんが部屋に入って来てそんなことを言ってた。でもあの時、己龍くんはぐっすり眠っていて……


「なんだよ己龍、やっぱあの時起きてたんだ」


 耳に入った声にハッと顔を上げると、なんと虎汰くんが己龍くんのスマホを覗き込んでる!


「あんだけデカい声で部屋入ってくりゃな」


 でも己龍くんはギロリと睨んだだけでスマホの画面を隠そうともしない。


【虎汰:さてどう答える? 夕愛】


 素直に自分のスマホに向き直った虎汰くんからまた意地悪なメッセージ。背中しか見えないけどきっと顔は笑ってる……。


 

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