魔群 襲来


 騒ぎを聞きつけたエンジュは大帝国教会の砦へと走っていた。


 突如現れた異形の怪物達。人の力の及ばない外界、この世界の外側を囲むように存在する無限に続く闇の世界――ニヴルヘイム。ニヴルヘイムは人ならざる怪物達の温床であり、異形の怪物たちは時折こちらの世界にやってきては甚大な被害を出してどこかへ去っていくという。そんな話をエンジュは本で読んだことがあったが、よもや現実になろうとは。

 王命に従い、エンジュは大剣を担いで戦場に赴く。エンジュには騎士として、逃げ惑う人々を魔物達の手から守るという使命があった。


「皆さん! ここは俺に任せて早く逃げて!」


 街の人々は皆、口々にお礼を言いながら、王都の外へと避難する。その最中エンジュの目に、逃げようとして転んでしまった少女が写る。少女の背後には魔物の軍勢が迫っていた。エンジュは転んだ少女に手を貸し、助け起こした。その瞬間、不思議とナナシの姿が少女に重なった。

 思わず目をこする。そこにナナシの姿は無く、見知らぬ少女の顔があった。

 エンジュは幻を振り払うように頭をぶんぶん振る。


「おにいちゃん……?」


「ほら、早く逃げろ! お母さんがあっちで待ってる」


「うん! ありがとうおにいちゃん!」


 少女はそう言って走り去った。母親が涙を流しながらこちらを見つめている。エンジュは軽く手を振って、魔物達の方へと視線を戻す。


「……俺はもう二度と、あんな悲しい事は起こさない」


 エンジュはそうつぶやくと、剣を強く握りしめ、魔物の軍勢に果敢に向かって行った。


「いたぞ! 帝国騎士だ!」


 魔物達はエンジュを見ると、目の色を変えて襲い掛かって来た。


「お前ら……何が目的だ?」


 すると、おそらく魔物軍の幹部格なのだろう、一際威厳のある魔物が空からエンジュを見下ろしてつぶやいた。


「俺らをけしかけたのはあの人間の小僧さ。人間たちに一泡吹かせるっていう利害が一致しているから協力してやることになったがな」


「人間の……子供……?」


 妖魔と人間の子供が繋がっているだと……。そんなわけない。妖魔が住む闇の世界、ニヴルヘイムに行ったことがある人間は一人もいない。見た人すらいないのだ。そもそも存在しているのかさえ疑わしい幻のような世界。それがニヴルヘイムだ。そんな場所に人間の子供……。どう考えても腑に落ちない。


「帝国騎士を討ち取れぇ!」


 その声が合図となって大勢の魔物が、一気にエンジュに押しかけてくる。


「お前らにはお前らの事情があるんだろう。だが……生憎俺もここで死ぬわけにはいかないんだっ!」


 エンジュは剣を握りしめ駆け出した。多勢に無勢。エンジュを囲む魔物は五十を超えていた。

 しかし、エンジュは驚くほど華麗で無駄のない動きで次々と魔物を切り倒した。立っている魔物の数はどんどん減っていき……やがて幹部の魔物を残すのみとなった。


「ぐふっ……さすがは世界最強の騎士団。一筋縄じゃいかないか……。だが……もうすぐあいつがやって来る。あいつが来れば、お前らもおしまいだぜ……シャァッハハハァ!」


 断末魔のごとき叫び声を最後に、魔物は事切れた。


 エンジュの担当した王都南西区の魔物は大方片づけた。街の人の避難も七割方完了している。さて、他の奴らの手伝いにでも向かうとするか。街の人達を死なすわけにはいかないからな。


 そう思ってエンジュが剣を収めようとした時。


「な……」


 エンジュの周りが不意に暗くなった。


 直後、けたたましい鳴き声と共に、天空を覆うような大きさの真紅の巨竜がエンジュの上空を翔けぬけていく。


 それに続いて鎧のこすれる音。

 やって来たのは帝国騎士団の団長ユカ・ロートルだ。


 騎士団の歴史上唯一の女性騎士で、年の頃もエンジュとそう変わらない。女性、ということで様々なハンデもあったそうだが、エンジュも詳しくは知らない。

 チコリ村を襲った時の騎士団の団長は、今では彼女のおかげで、副団長の位置についている。それだけ、彼女の騎士としての資質が高いということなのだろう。

 彼女の実力は折り紙つきだった。聞いたところによれば、敵五千の大軍を相手に一人で立ち向かい、完膚無きまでの勝利を得たという。もはや人の領域を超えた化け物じみた強さだという噂だった。

 かくいうエンジュも彼女と訓練で手合わせした時、一度も剣を掠らせる事が出来なかった。それほどの実力の持ち主でないと、曲者揃いである世界最強の騎士団を束ねることは出来ないのだ。


 エンジュは騎士団の連中に良い印象を持っていなかったが、ユカだけは一目置いていた。彼女の剣の腕には素直に尊敬していたし……他の騎士達が持っている、出世への野心だとか、名誉欲だとか、そういったものをユカからは感じなかったのだ。だから、というわけではないが、エンジュはユカを多少なりとも団長として、自分の上に立つ者として、彼女を認めていた。


 ユカは巨竜が飛び去った方向を睨んで、神妙な顔をしてつぶやいた。

「見ましたか、今の竜を……」


「ああ。なんなんだ、ありゃ……?」


「私も分かりません。恐らくは伝承に伝えられる神竜オーディーン……いや、まさかそんなわけは……。ともあれ、アレを放っておけば王都に甚大な被害が及びます。なんとか食い止めなければ。エンジュさん、あなたも加勢しなさい」


「あんたに俺がついて行ってもお荷物だろうがな」


 すると、ユカは腕を組んで偉そうな態度を見せる。


「あら。私に軽口を叩けるのはあなただけなのよ」


「へっ……可愛くねえ女」


 二人が軽口を言い合いながら駆け出そうとした時、鼓膜が破裂するような爆音が王都に響いた。音が聞こえた方を見ると、大帝国教会の本部からメラメラと炎の狼煙が上がっている。そして、その上では先ほどの巨竜が大きな翼を羽ばたかせていた。


「おい、あれ……!」


「しゃべっている場合ではありません。急ぎますよ!」


 エンジュはユカと共に竜を追って教会へと向かおうとした時、背後から魔物が切迫する。


「隙ありだゼェっ!」


 魔物の繰り出した鋭爪がユカに襲いかかる!


 だが、魔物がつぶやいた次の瞬間には首が無くなっていた。遅れて血が辺りに飛散する。ユカが俊足の抜刀術でものの一瞬で魔物を切り伏せたのである。


 すらりと光る銀色の剣を構え、ユカが言った。

「ここは私が殿を務めます。エンジュ、あなたは早く教会へ」


「……死ぬなよ、団長」

 エンジュはそれだけ言うと、教会へ向けて走り出した。



 ユカは走り去るエンジュの背を見て一言つぶやいた。


「私はあなたを信じていますよ、エンジュ。あなたが……騎士道精神に恥じぬ騎士であるということを」

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