悪魔

「それは私の口から説明しましょう」


 ガジの後ろから、真っ白でゆったりとしたローブを羽織った男が顔を出した。


「あ、あなたは確か……帝国教会の神官殿。名は――」


「スゲースだ。突然邪魔してすまない。今日はちょっとした用があって参った。フォズ様どうぞ」


 スゲースに手招きされて入ってきたのは、同じように白い祈祷衣に身を包む老紳士。たっぷりと蓄えた髭は地面に届くほどに長く、背の高い帽子をかぶっている。


「それで、今日は村に何の用でしょうか?」


 レイモンドがそうつぶやくなり、脇にいたスゲースが声を荒らげた。


「貴様この御方をどなたと心得る! 下民の分際で身の程を知れ!」


 怒鳴りながらスゲースは、老紳士の胸についたブローチを指さす。

 ブローチには紋章が施されていた。五芒星の中央に十字を刻む剣のような紋様が彫ってある。

 まさか……という考えが、レイモンドの頭をよぎる。一度持った考えを拭い去ることは出来ず、レイモンドは老紳士の眼前で跪く。


 ブローチに彫ってある五芒星の紋様は、帝国教会のシンボル。そして、十文字が刻まれた剣の意味するところは――


「大神官様……」


 老紳士もとい大神官はレイモンドを一瞥すると、傍の椅子にどっかと座る。


「よい、顔をあげよ」


 大神官の言葉に、震えながら顔をあげるレイモンド。一体なぜ村に大司祭様が……?


 帝国教会はエルデンテ帝国を総べる一大教団である。つまり、この世界に生きるほとんどの人々は、そこに戒律の厳しさの程度はあれど、教団の教えに従って生活をしている。


 フォズ・レイルザード。第三四代大帝国教会大神官。教会が誇る長い歴史の中でも、彼は初代帝国教団大神官の生まれかわりと称されており、世界的に高名な人物である。

 大神官とは教団での最高位の者に与えられる称号である。その意味するところは……この世界のほぼすべての人間を自分の意のままに操ることが出来る程の権力を有しているということだ。


 そんな時の大権力者、大神官フォズ・レイルザードがなぜこんな辺境の村に……。


 大神官は伸びた顎鬚をさすりながら話す。


「魔女の脅威については知っているな?」


「魔女……ですか? は、はい。そちらのスゲース殿が以前村で講演してくださったので」


 ――魔女。帝国教会が纏めた旧約教書には世界を混沌に陥れる禁忌の存在だとされている。古の魔女の血は現在にも受け継がれていると言われており、教会は魔女の血族を危険視し、全世界的な魔女捜索――通称、魔女狩りが行われてきたのだ。

 だが、魔女という存在が一体どんなものなのか。人なのか、それとも人ならざる者なのか、レイモンドも魔女について詳しいわけではないので、深くは知らない。


 思案顔のレイモンドに対し、フォズは低い声で威圧するように言った。


「魔女がこの村にいるという情報があるのだが……、それは真実か?」


「そ、そんな!? 嘘です! 村にそのような者は決して――」


 レイモンドの言葉を断つようにスゲースが言う。


「いいや! 私は見ましたぞ、フォズ様。魔女の瞳に浮かび上がる、悪魔の刻印を!」


 レイモンドはぎろりとスゲースを睨みつける。立場なんて関係ない。自分が愛する村民たちを疑うだけでなく、魔女とまで言われ、レイモンドは腸が煮えくり返っていた。


「……スゲース殿。虚言もいい加減にしてもらいたい。村に魔女がいるなどありえません。第一、瞳にそのような紋様がある人間は、私の生涯で一度たりとも見たことはありません。お言葉ですが、魔女とは実在するのですか?」


「口を慎めレイモンド! フォズ様を愚弄する気かっ!」


 興奮するスゲースを、フォズが左手で収める。


「落ち着けスゲース。私はあくまで話し合いで解決したいのだ」


「……勿体無いお言葉にございます」


 フォズは咳ばらいを一つして話を続ける。


「この村には紅髪の少女がいる。……そうだな?」


「……失礼ですが大神官様。どうしてその少女をお探しに?」


「――魔女とは、高潔にして人智を超えた存在。夜の闇の力を集約した月の光を受けた時、その瞳には怪しく紋様が浮かび上がると言われている。そして、魔女にはもうひとつ特徴がある。それは……血のように紅い髪。大地に流れた人間たちの血をその髪に宿しているという伝説がある」


 フォズの話を聞いてナナシの姿がレイモンドの頭によぎったが、すぐに自分の考えを否定する。紅い髪……まさか、ナナシのことか!? だが、そんな馬鹿な話があるわけない。彼女は至って普通の女の子だ。品行方正で、手先も器用、ちょっとばかし粗暴なところがあるが概ね器量も良い。魔女というよりは、どちらかと言えば聖女の方が近い。


 そんなナナシが世界を破滅に導く魔女だ、などとは到底信じられない。


「……ですが紅髪の少女なんてどこにでもいますよ。髪色だけで魔女と決めつけるなど、とても高名な大神官様の行いとは思えません」


 すると、フォズの後ろにいたスゲースが声を大にして言う。


「私はこの目で見ましたよ! 確か……名をナナシ、と」

「こいつの話は真か?」


 フォズはレイモンドの顔をじろりと睨みつける。

 バレている……。チコリ村にナナシがいることはすでに調べた上で、教団の連中はここまでやって来たのだ。

 レイモンドは鎮痛の面持ちで、しかし冷静さを失わずに話す。


「……ナナシという娘がいます。確かに紅髪ですが、魔女とはとても思えないような娘です。大神官様はナナシを訪ねていらしたのですか? でしたら無駄ですよ。今日は家に帰らないと思います」


 レイモンドがそう言うとフォズの双眸がキッと鋭くなる。一転して、別人のような冷たい空気を纏っており、たちまち部屋はフォズの放つ重苦しい空気に支配される。


「……それはどういう意味だ? 少女は今、どこにいる?」


 フォズは怜悧な視線をレイモンドに向ける。拳がわずかに震えていることから、相当怒っているらしい。だが、レイモンドも譲らない。彼にとって、いや、チコリ村にとって、ナナシは今や家族の一員であった。家族同然の彼女を、理由を知ることなく引き渡すわけにはいかなかった。それがたとえ、大帝国教会の大神官であっても。


「……わかりません」


「なんだと?」


「うちの子供はとんだやんちゃ坊主でしてね。遊びに出かけて家に帰ってこないことなどざらにあります。なので、息子の友達であるナナシには監視役を任せているのですよ。息子が時間を忘れて遊びほうけてしまわないようにね。

 しかし、思ったより効果は出てないようで……。今日も帰って来ないかもしれません。今の時間は何処かで遊んでいるのではないでしょうか?

 何分子供の事ですから、どこで遊んでいるのかまでは知りません。子供の世界に大人が介入するような無粋な真似は、私は好きではないので……。お役に立てず申し訳ございません、大神官殿」


 大神官は穏やかな表情を崩さない。しかし、わなわなと震える握り拳が彼の胸の内の怒りを体現している。


「ほう……あくまでしらを切るつもりということかね?」


「まさか。私が大神官様にどうして嘘など申しましょうか?」


「ふん……減らず口め……」


 フォズは後ろに立っていたスゲースに顎で合図する。すると、スゲースはレイモンドを見て、にたりと笑った。身震いしてしまうような不気味で冷たい笑みだった。

 わずかに口元を歪ませてフォズがつぶやく。


「いいことを教えてやろうレイモンド。強がりは相手を選ぶことだな。……おい、連れてこい」


 スゲースが突然、傍にいたガジの喉元に短剣を突き付ける。


「ガジ!」


「そ、村長!」


「大神官様、これは一体何の真似ですか?」


「口を慎め! さもなくば、この男の喉笛を今すぐにでも掻き切るぞ!」


「ぐ……」


「この男だけではない。こんな小さな村一つくらい、いつでも消し飛ばせることを忘れるな」


 大神官の言っていることは嘘ではない。帝国教会大神官の持つ絶大な権力を行使すれば、あの、帝国騎士団をも動かすこともあるいは可能なのである。


 だが、おかしい……。教団はこのような狂行に打って出る程、何かに焦っている。それは大神官や部下であるスゲースの様子を見ても明らかだった。魔女とはそれほどまでに恐ろしい存在なのか? しかし、今は悠長に考え事をしている場合ではない。ガジが人質にとられているため、フォズ達を刺激しないように慎重にならなければ……。


「お、落ち着いてください大神官様」


「私はすっと平静だ。冷静さを欠いているのはお前だ、レイモンド」


「まずはお聞かせ願えませんか。あの子が何か良からぬことでもしでかしたのでしょうか? もし、そうでしたらその責は私にあります」


「少女が本当に魔女であれば、貴様の首ごときで済む事態ではない。貴様は何も知る必要はない。黙って少女の身柄を引き渡せば良いのだ」


 レイモンドは下を俯いて黙った。


 どうすればいい? ナナシは、あの子はすでに村の一員、自分にとっては家族とも呼べる存在だ。だが、今はガジが、村が人質にとられている。どうすれば……。

 レイモンドが奥歯をぎりり、と噛み締める。


 と、不意に。それは全くの不意に、ガジが後ろの男に肘鉄を喰らわせた。決死の不意打ちであった。予期せぬ攻撃に反応できなかったスゲースは鳩尾の辺りを押さえながら倒れる。


 そのままガジが叫ぶ。

「村長! こんな奴らに屈してはいけません! ナナちゃんを渡してはいけません!」


 ガジが必死の思いで叫ぶ。


 フォズはまるで虫でも見るような目つきでガジを見た。そして、冷たく言い放つ。


「やれ」


 時間がひどくゆっくりと流れているように感じる。スゲースが引き金を引いた。鈍い音がして、ごとり、とガジの首が床に転がった。大量の血が飛散する。部屋はあっという間に血色で染まった。


 フォズは口元に着いた鮮血を長い舌でペロリと舐める。


 レイモンドは目の前の大神官を見て言い様のない恐怖に駆られた。目の前に立っているのは人……なのだろうか。いや、きっと悪魔に違いない。そうでなければ、どうしてこんなむごい仕打ちを平然と出来ようか。


 フォズは下卑た笑みを浮かべ、地面に転がった『人だったもの』を見下ろしてほくそ笑む。それにつられて、スゲースもまた狂気じみた笑みを浮かべて不気味に笑う。

 二人の声が不協和音となって、頭の中を反芻する。やがて、レイモンドは虚ろな瞳で唇を動かした。

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