19_微睡みに翳す希望


 城の中に入った私たちは高い天井の部屋にいた。私が戦車でも格納されていたのかと想像してしまったあの場所だ。ここなら少し顔を出せば戦況が見えるから……ではなく、王の間にもキサキさんの言う城内の観察地点にもまだ向かえずにいた。


「キサキさんから指示は?」


 左耳に掛けた小さな装置に触れる。


「ううん、まだ何も……」


「そっか……」


 私たちが駆け出してすぐにキサキさんから『動作確認です。私の声が聞こえたら振り向いてください』と案内があった。一方通行のインカムは説明通りきちんとキサキさんの声を届けてくれた。


「ミッシェルが集めていたポラロイドカメラもそうだったけど、どうしてこれは動いてくれるんだろう」


「きっとそのインカムくんの“大切な役割”だからだよ」


 そう言いながらナツが急にしゃがみ込んだので思わず心配してしまう。


「あ、大丈夫。そうじゃなくてね――」


 彼女は地面に、廃材の地に手を触れた。


「ジュースケのテントで電球の光を確認をした後にさ、外に何があるのかも分からなかったから、地面から何かを引っ張り出して持ち出せないかって考えたんだ。ハルカはやらなかった?」


 そう言われてみると確かに試していない。最初は直視できなかったからだろうか。ナツの真似をして膝を付いて、右手でそれに触れる。工具、電子部品、ネジにナットに歯車に、えっとワッシャーだったかな、ケーブル、チューブ、折れ曲がった何かのフレームの一部、割れた判断のつかない欠片、――色褪せた人工物たち。質感はある。温度もある。きっと重さもある。破損はあれど、不完全ではあれど、不思議とそこに“汚れ”を感じない。意識を向ければ何かを訴えかけているような彼ら。私たちがその上を走るときは“できるだけ平らになってくれている”かもしれない彼ら。しかしナツの判断は私も同じだった。彼らを地面から連れ出すことはできない、と。


「でもね、もしかしたら違うのかも」


「……え?」


 ナツの指先が形を保った金属製の工具――レンチに触れた。


「“もう一仕事”しないかい?」


 白銀の自転車を携えて、冗談っぽく自らを魔法使いだと言ったあの時のように。

 レンチが“銀色を取り戻していた”。使い込まれて傷付いているけれど、それさえも誇らしげに光沢を返す。閉じた折りたたみ傘よりも長くて重量感のある大きなサイズだ。ナツはそっと地面からそれを取り上げて握り直すと、高く掲げてみせた。


「どういうこと……?」


「多分だけど、私が今この子に“役割”を与えられたからだと思う。この地面で眠っているもの、特に形が残っているものは――」


 ナツは彼女の思う『役割』の意味を教えてくれた。かつて彼らにあったもので、今は失われたはずのもの。それは、ここに(特例らしき私たち以外の)人間がいないから。あるいは、ここに在る彼らが「自らの役目」を終えた時の姿だから。ナツが新たに与える役割は仮初でしかない。本来のそれには遠く及ばないのかもしれない。けれど、それでも、彼らはきっと“思い出す”。

 ナツが駅のホームで投げて見せた空き缶の褪せた赤色と放物線が、薄青い空に浮かぶ単三電池の青と金の質感が甦る。答えに至らずとも廃材の地の解像度が僅かに上がる。


「ごめんよ、一仕事はちょっと保留だ」


 ナツは銀色のレンチをそっと地面に戻した。


「でも問題はこの後だよね。こうやって小さな武器を持てたとして、私たちは透明ダコと戦えるかな」


――キサキさんと王様のために、ジュースケのために。


「……ナツ、キサキさんが答えを濁した私の質問のこと、ナツはどう思う?」


「透明ダコが私たちを食べられるのかどうか、だね?」


 頷く。ナツが和らげてくれたその意味するところは、この場所にとって、私たちにとって――


「私は、多分食べられないと思う。お肉と廃材……お肉と野菜にしよっか。あー、私たちが野菜ね。透明ダコは野菜を食べられない生き物なんじゃないかな」


「嫌いなわけでも、食べたことがないから分からないでもなく? ……ごめん、これ、答えた人が責任を持つみたいに聞こえちゃう」


 ナツが小さく左右に顔を動かす。


「私はちょっとだけ怖いんだ。キサキさんはきっと、『食べられない“はず”』って言っただけでも私が透明ダコを止めようとするから、答えないでくれたんだと思う」


「やっぱりあれはそういうことか。……でも、本当のところは誰にも分からない。キサキさんにもハルカにも、もちろん私にも。だからさ、私だって怖いよ」


 赤いフレームの眼鏡を無くしたナツの大きな瞳がまっすぐに私を見る。心強くて、けれど素直に喜ぶことではない気がして……


「もしもだよ」


 ナツは問う。


「二人で立ち向かうなら、ハルカは怖くない?」


 私が躊躇っていた“もしも”を代わりに問うてくれる。


「怖くないよ」


 それは無謀な算段でも、自らを、私たちを顧みない犠牲でもない。


「それしかできそうにないから、ではある?」


「……かもしれない。でも、ナツと一緒なら、透明ダコの前に立てると思う」


 少しだけ残っていた不安が消えて、きっと。

 それから先はお互いに一つ一つ確認し合った。自分たちになにか特別な力があって、それが透明ダコを退けるなんて思っていないこと。二人で立ち向かうのでもそれは変わらないであろうこと。やっぱり少しは怖いこと。もしも透明ダコが私たちを“食べられてしまっても”、ナツを/ハルカを一欠片も恨まないこと。その時は、二人一緒であること――


『ハルカさん、聞こえますか』


 インカムがそう告げた。キサキさんの言葉を復唱するとナツに伝える。ただ、ここでようやく私は気付く。


「私たちがキサキさんから離れちゃったら、こっちの意思表示が……」


『私の声は聞こえているものと思いますが、聞こえたことをこちらに示す必要はありません。想定していたよりも急速に戦況が悪化しそうです。劣勢どころか、……いえ、ハルカさん、すぐにナツさんと一緒に王の元へ向かってください。真っ直ぐに、再び城の外には出ずに。王ならば――』


「――最後まであなたたちを守ることができます」


 重く低い音が短く、ノイズのように入った。


「……私、キサキさんのお願いに従わなかった回数の方が多い気がする」


「悪気があってそうしたんじゃないでしょ。それに、私も共犯さ。持っていくのはこのレンチ一つでいい?」


「……うん」


「レンチ君、ごめんね。よろしくね」


 謝罪と要請。ナツは廃材の地から一人奮い立つ(あるいは私たちがそうさせてしまう)銀色の工具にそう言った。この部屋からは四角く切り取られた外の茜色の空――光が見える。その光が先にナツの瞳に灯った。

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