第3話…………で、いきなりですが、わたくし、悪役令嬢をやめようと思いますの。

「……はあ、虚しいですわ」


 自室の窓際の椅子に身を任せ、テーブルに頬杖をつきながら、アンニュイにため息を漏らす、私のあるじにして王国筆頭公爵家のお嬢様。


 淡いミントグリーンのワンピースに包み込まれた小柄で華奢な肢体と、銀白色の長い髪の毛に縁取られた人形そのままの端麗なる小顔の中で煌めいている、黄金きん色の瞳といった有り様は、まさに秋の季節にふさわしい、メランコリックな一幅の絵画のようであり、非常に目の保養となった。

 もちろん専属メイドであり、生活全般のお世話を見させていただいている私としては、彼女の精神状態が不安定であることは好ましくなく、いかにも不安そうな表情を、胸中で密かにつぶやく。


 ──ぐふふふふ。美少女は憂鬱そうな表情をしていても、絵になるのう。今夜はこれだけで、ご飯を三杯ほどおかわりできようて。(※この場合の『ご飯』は、性的な隠語です♡)

 そのように一人ほくそ笑んでいるメイドの心の内なぞ知りようもなく、それからも幾度となくため息をついた後で、お嬢様はおもむろに再び重い口を開いた。

「ねえ、メイ」

「はい?」

 そして何の前触れもなく、その衝撃の宣言はなされたのだ。


「──わたくし、悪役令嬢をやめようと、思うのですが」


 ………………………………は?


 その瞬間、この世のすべてが静止した。


 ──かに思われたものの、ほんの二、三十秒ほど硬直した後で、私は泡を食って、おのあるじに向かって食ってかかった。

「なななななな、何を言い出すのですか⁉ いまだ新公開第二話めだというのに、いきなり悪役令嬢をやめるだなんて! 下手すると、シリーズがここで終わってしまうじゃないですか⁉」

 つうか、悪役令嬢が自分の意思で、自分が悪役令嬢であるのを、やめることなんてできるのか?

 何せ『悪役令嬢』って別に、確固とした役割や職業なんかではなく、むしろ抽象的な性格や気質のようなものだろうし。

 ……いかん、あまりにも動転して思考が錯綜して、『悪役令嬢』がゲシュタルト崩壊しそうだ。

「私、わからなくなったのです、悪役令嬢というものが」

 お? お嬢様のほうも、ついにゲシュタルト崩壊したとか?

「本来の『悪役令嬢』というものは、あくまでも『仕掛け』のようなものでした。昨今のラノベ等でいえば、『リア充』や『陽キャ』がこれに当たり、主人公サイドである『オタク』や『陰キャ』のとして登場するのみで、別に主人公サイドのように深く掘り下げられることはなく、憧れの対象や抑圧の象徴として描かれるのみであり、主人公サイドとは違って変化や成長を見せることはありません。──そして実はこれは、悪役令嬢にとっても、同様だったのです。大昔の小学校低学年向けの学習雑誌のおまけ漫画の中で産声を上げた、原初の悪役令嬢は、あくまでも主人公である身分が低く薄幸のヒロインにとっての、『立ち塞がる壁』であり『最後に打倒すべき敵』としてのみ描かれており、そこには個々の人間性なぞ与えられることなく、まるで金太郎飴そのままに、いかにも没個性で判で押したような存在でしかありませんでした。──しかし、これに対して大いなる変革をもたらしたのが、ご存じネット小説だったのです」

 へ?

「……ネット小説って、あの『ゲンダイニッポン』の、『インターネット』上で話題になっているやつですか?」


「ええ、この世界の量子魔導スマートフォンにおいても、集合的無意識を介してアクセスできますので、暇な時にでも参照なさいませ。──とにかく、数年前からネット小説界で人気を博してきた、あたかも『乙女ゲー』の二次創作的な『悪役令嬢物語』の類いときたら、いわゆる『ゲンダイニッポンからの異世界転生の受け皿』という、新たなる役割フォーマットが与えられることとなり、何よりも婚約者から捨てられることや実家そのものが没落するのを防ぐことを最大の目標として、高飛車で人を人とも思わない性格を改め、自分の幸せを奪おうとする『ヒロイン』さえも含めて、人間関係の良好化こそを最重要視して、何事においても『謙虚、堅実をモットーに』生きていくことにより、事もあろうに『悪役令嬢』としてのアイデンティティを完全に破壊することに始まり、そしてその後に続くのはネット小説ならではの『お定まり』として、改心することで人気者になったり、むしろ高飛車でピーキーな性格を更に強調することでもてはやされたり、転生者の『ゲンダイニッポン』の知識を応用して実家はもちろん学校や王宮や国家そのものに至るまでの『経営』の革新を進めて大成功を収めたり、これらの結果自分を捨てた元婚約者や彼を奪ったヒロインに対して『ざまぁ』をしたり、悪役『令嬢』なのに女ではなく、何と男が転生(=憑依)しようとしてきたり、米軍の海兵隊に鍛えられたり、世界征服を目指したり、挙げ句の果てには、最大の恋敵であるヒロインから迫られたり、逆にヒロインに迫ったりするといったふうに、まさしく百花繚乱の有り様となり、もはや『悪役令嬢』としての原型を留めたものなぞどこにも見当たらず、今では『悪役令嬢』としての定義自体が完全に崩壊しているといった有り様。こんな状況の中で、私がこれ以上『悪役令嬢』を演じ続ける意味なんて、本当にあるのかしら?」


 「──うっ」

 た、確かに……。

「それに、すでにこれだけ『カクヨム』や『小説家になろう』において、多種多様な悪役令嬢が花盛りな状況なのだから、別に私なんかが悪役令嬢で居続ける必要も無いでしょうよ」

 ──い、いかん。

 これは相当、重症のようだぞ。


 どうしたんだろう。もしかして、第一話のスタートダッシュに失敗して、『小説家になろう』では早くもPV100アクセスを達成したというのに、『カクヨム』においては何と事もあろうに、昨日からずっとPV1アクセスのままの体たらくなんていう、惨憺たる有り様だったりするんじゃないだろうな?(※事実です)


 そして私は慌てふためいて、愛用の量子魔導スマートフォンを取り出したのであった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──悪役令嬢をやめるって、ほんとかよ⁉」

「そんな!」

「どうか、考え直してください!」

「何せ悪役令嬢あっての、私たち取り巻きですからね」

「困るよ! ちゃんと嫌がらせしてもらわなければ、『ヒロイン』としての私が、光り輝けないじゃないか⁉」

「我々、王宮上級貴族クラブ、並びに──」

「貴婦人クラブにおいても、切にお願いいたしますわ!」

「何せ、我々権力者すらもものとはせず、高飛車極まる悪役令嬢がおられてこそ、普段味わえない、『見下された』快感を覚えることができるのですからな!」

「今やこれこそが我々大貴族における、唯一の憩いとなっているほどなのです!」

「どうか円滑なる王国経営を押し進めるためにも、これからも悪役令嬢でいてくだされ!」

「もちろん、王立量子魔術クォンタムマジック学院においても同様です!」

「どうぞ、上級生や下級生や男女の別にかかわらず、侮蔑の視線で豚扱いしてください!」

「特に第一王子にして婚約者である、俺を始めとして、イケメン連中に対してもな!」

「そうです、そうです、そうなんです! お嬢様は何よりも、悪役令嬢であってこそなのです! そんなお嬢様だからこそ、私は専属メイドに志願したのですよ!」


「「「──だからお願いします! これからも、そして、いつまでもずっと、私たちの悪役令嬢でいてください!」」」


 そう声を揃えて言い放つや、お嬢様に向かって一斉に頭を下げる、大勢の人々。

 そこには専属メイドである私を始めとして、婚約者である第一王子や取り巻きの令嬢方や『ヒロイン』ちゃんや、学長を筆頭とする学院関係者や、王子や王女様や、大公爵家当主や宰相や大将軍や枢機卿等々といった、王国内に極秘に結成されていた、『悪役令嬢様☆ピンヒールで踏んでください♡』秘密クラブの幹部メンバーが、勢揃いしていたのだ。

「……ちょっと、メイ、これって一体」

「あ、さっき取り急ぎ、お嬢様の現状を量子魔導LINEで流したところ、こうして皆さん駆けつけてくだされたといった次第であります」

「そう、量子魔導LINEで……」

 そう言って、完全に無の表情で、周囲の面々を見回すお嬢様。

 そして、あたかも女神や天女であるかのように、にっこりと微笑むや──


「──死ねや、このドMどもが」


 極寒の声音で、吐き捨てられたのであった。

 ──その、とたん。


「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼」」」


 広大なる公爵邸の応接間に響き渡る、怒号のごとき大歓声。

「これ、これですよ!」

「こう来なくっちゃ!」

「見ましたか? あの蔑みの視線」

「声色のほうも、絶対零度並みに、冷たかったこと」

「それでこそ、我々の悪役令嬢というものですよ!」

「バンザーイ!」

「バンザーイ!」

「バンザーイ!」


「「「我らが悪役令嬢よ、永久とわにあれ!」」」


 今や嬉し涙すら流しながら、万歳を連呼し続ける、我が国の重鎮たち。

 そしてその結果、ついにお嬢様の堪忍袋の緒がぶち切れた。


「もう、いい加減にしてちょうだい! 何でそんなに、私のことをもてはやすの⁉ 別に『ゲンダイニッポン』からの転生者に乗っ取られているわけでも、海兵隊から地獄の訓練を受けたわけでもない、ただのテンプレの悪役令嬢に過ぎないこの私に、一体何の価値があるって言うの⁉」


 今度は私のあるじの心の底からの悲痛なる叫びがとどろき渡る、豪奢なる応接間。

 そしてその少女は、本音を語りきったことで力尽きたようにして、顔を完全にうつむけてしまう。


 震え続けるか細い両肩に、力の限り握りしめられている拳。


 そんな哀れな少女のことが、とても見ていられなくなった私は、勇気を振り絞って、絶望のなかにある御主人様へと声をかける。

「……あの、お嬢様?」

「なに」

「お嬢様は、我が王国における最高学府である、王立量子魔術クォンタムマジック学院に入学して以来、常にトップの成績を収められていますよね?」

「ええ」

「そしてその身に秘めたる魔導力に至っては、『なろうの女神』と共にこの世界を司っていたという、『みの巫女姫』の再来とまで言われるほどに、質量共に規格外であられますし」

「ええ、それが、一体何だと言うの?」

「しかも現在の有り様を見るや、一目瞭然のように、婚約者の第一王子殿下を始め、王国の重鎮連中の皆様からも慕われておられたりして」

「……迷惑なことにもね」

「──ところでお嬢様って、現在お幾つでしたっけ?」

 私のあまりに唐突なる質問の転換に面食らいながらも、律儀に答えてくださる、愛するお嬢様。


「えっ? ……ええと、今は10歳だけど、今年中に11歳になりますわ」


 ──今明かされる、驚愕の事実!

 そうです、そうなんです! いかにも叙述トリック的に、お嬢様の実年齢をぼかしておりましたが、本来なら小学校に通っているような、ロリっだったのです!

「……尊い、何て、尊いんだ! 悪役令嬢でありながら、ロリっ! ──いやこの場合、ロリっでありながら、悪役令嬢でもある、と言うべきか?」

「ちょ、ちょっと、何を目を血走らせつつ鼻息を荒げて、興奮なさっているの⁉」

「それに見てくださいよ、お客さん! 銀白色の髪の毛に、黄金きん色の瞳という、人並み外れた絶世の美少女でありながら、いまだ性的に未分化な、あたかも天使や妖精そのままの、小柄で華奢な肢体! これで悪役令嬢であるなんて、まさしく『ギャップ萌え』の極みというものですよ! いやむしろテンプレな悪役令嬢であられるからこそ、そのギャップもひとしおというものです!」

「「「異議なーし!!!」」」

 今や完全に一体となる、ロリっ悪役令嬢秘密ファンクラブのメンバー。

「……あなたたち、そんな爛れた視線で、人のことを見ていたわけ?」

「そりゃあ、そうですよ。幼くも清楚な超絶美少女でありながら、悪役令嬢でもあるという、ギャップ萌えだけでも大興奮なのに、知性や魔力等の実力のほうも申し分なく備わっているなんて、これであなたのことを崇め奉らない者なぞ、いるわけないでしょうが?」

「い、いやでも、この国には真に崇め奉るべき、女王様がおられるではありませんか?」

「あっ、実は陛下も、秘密クラブのメンバーであられるのですよ?」

「はあ⁉」

「──というか、過去詠みの巫女姫というものは、世俗の権威を超越したものなのであって、女王陛下以上にお嬢様が崇め奉られるのも、当然なのでございます。──だからあなたは、これまで通り悪役令嬢のままで──そう。、よろしいのでございますよ!」

「──っ。あ、あなた、私が本当は、悪役令嬢であるだけではなく、素の自分自身であること自体に悩んでいたことに、気づいていたの⁉」

「もちろん。何せ私は、この世でただ一人の、お嬢様専属メイドですからね♡」

「……メイ」

「だからもう、お悩みになられたりせずに、何よりも、振る舞われていけばいいのですよ!」

「ありがとう、メイ。すべては私を、励ますためだったのね」

「はいっ、どうやら私の苦労も、実ったようですね」

「ええ、本当に、ありがとう!」

「ふふっ」

「うふふ」

「「あはははははははは」」

 そうして、再び絆を取り戻した主従の明朗なる笑声が、応接間中に響き渡っていく。

「「「ようし、我らが悪役令嬢が笑顔を取り戻したことだし、みんなで胴上げだ!」」」

「──えっ、ちょ、ちょっと、皆さん⁉」

 突然のことで抗う間もなく、高々と抱えられてしまう、お嬢様の矮躯。

「「「そおれ、わっしょい! わっしょい! わっしょい! わっしょい!」

 高大なる天井に触れんばかりに、勢いよく胴上げされる、ロリっ悪役令嬢。


「いやあー、やめてーえ! こわいー! やっぱり私、悪役令嬢なんかやめますわあ!!!」


 その馬鹿騒ぎは深夜遅くまで続き、王宮から帰宅なされたこの屋敷のあるじである、何よりも子煩悩な公爵様から、全員大目玉を食らってしまったのであった。

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