戦国武将に憑依されたオレ/ワシの恋路は順風満帆

青海 嶺 (あおうみ れい)

1 樫飯さんの後姿は尊し

 カッ、カカッ、カッカッカカッ!

 カッ、カカッ、、カッカッ!

 佐々木先生が猛スピードで板書しながら、機関銃のようにまくしたてている。

「厳島の合戦の前哨戦、折敷畑の戦いにおいて…(長くて面倒なので大幅に中略)…なわけですねー」

 スースースースー。気持ちよさそうな寝息が教室の真ん中から聞こえてくる。田中くん、例によって日本史の時間は睡眠時間。

 先生がジロっと寝息の方を睨みながら、

「おーい。みんな、ちゃんと聞いてるかー。それとも寝てるのかなー。春眠暁を覚えずとはいうけどもー」

 スースースースー。寝息は動じることもなく続く。

 退屈な授業。そもそも早口すぎて誰も聞き取れないし、だから分からない。みんな欠伸を噛み殺すのに必死(寝ている田中くんを除く)。

 板書の字も汚いし。誤字だらけだし。

 しかも書いてはつぎつぎ消していくので板書を写すのが追いつかない。学習委員の高橋くんが写真を撮って、即座にSNSに流してくれるからいいようなものの(ちなみに以前、授業の音声データもアップしてくれたことがあったけど、誰も聞かないので、録音はやめたようだ)

 チョークの音と早口が虚しく響き、田中くんの寝息が響く3年F組の教室。

 広島県立桜尾高等学校(通称ラオコー)のありふれた日常風景だ。


 スースースースー。先生の怒りメーターはじわじわ上昇中。さあ今日はいつ爆発するのかなー。

 なにしろ田中くんにとっては分かりきってる内容しか説明されない日本史の授業。眠いのもしかたない。

 だけどさすがに寝息が高い。ガーガー、ピーピー。寝息と言うかすでにいびき


 春眠を誘う授業に高鼾  瑠瑠るる (なんちゃって俳号です)


 気持ちよさそうな鼾だ。

 こっちまでうたた寝の誘惑に負けそうになる。

 すぐ後ろの席の彩乃ちゃんが、鉛筆の尻でわたしの背中をツンツン突いた。

「ねえねえ、瑠香るかちゃん」

 わたしはハッと意識を取り戻す。あっぶねえ危ねえ、あやうく秘技『ノートを取っているかのように目を開けたまま睡眠』を発動するところだった。というか、ちょっとしてた。

 何事かと後ろを振り向くと、彩乃ちゃんは鉛筆で田中くんを指した。

 目を凝らして見ると、突っ伏して寝ている田中くんの口元からヨダレが糸を引いて滝になって流れ落ち、教科書に小さな池を作っている。うわー、きちゃない。

「ガー。ゴー。むにゃむにゃ……樫飯さぁん……」唐突に人の名前を寝言で言うな。冷やかす笑い声がクラス中に広がる。いたたまれない。

「瑠香ちゃん、呼ばれたー」と彩乃ちゃんが目を輝かす。

「知らない」ムッとするわたし。

「だって、いまの告白じゃん」

「そう?」

「うーうー!」彩乃ちゃんの「うん」は「うー」とか「んー」とか聞こえる。 

「いやいや単なる寝言でしょ」

「そうかなー。でも、なかなか寝ながら告白なんてできないっしょ」

 クラスのざわめきと鼾の音に気づいた佐々木先生が、おもむろに板書を中断し、田中くんに近づいていき、そして、田中君の頭を教科書で叩こうと、腕を高く持ち上げた。



      * * * 



 オレは荒れ果てた野原を彷徨っていた。

 荒野のあちらこちらに甲冑を身に着けた仲間の無残な屍が転がっている。

 ああ、なんと酷い。

 みんな殺されてしまったのか。

 生き延びている者はどこにもいなかった。

「田中ぁ……」

 どこからかオレを呼ぶ声が聞こえる。

 死んだ仲間の霊が呼ぶのでもあろうか。

 死屍累々たる野原の山際に、歴史絵巻で見るような美しい着物を着た女が倒れている。瞬時にそれが樫飯さんだと分かり、オレは駆け寄る。不吉な予感に駆られ。

「田中くん、聞こえるかい、生きてるのかなー」

 また声だ。オレは生きてるに決まっている。そもそも、この声はどこから? 黄泉の国からか。

 オレは樫飯さんに駆け寄り抱き起こす。死んでいる。だがその死顔は尊いまでに、凄絶なまでに美しい。

 死姦。

 危険な言葉がオレを捕らえる。またたくまに全身が痺れ、その痺れが渦を巻いて股間へと集中する。

 その想像のおぞましさと、人類の根源的な禁忌タブーを犯す興奮との間でオレは引き裂かれる。

 股間に集中した快感は既に最終段階に至ろうとしている。そしてこれは夢だ。夢精への道のりはもう引き返せない。しかもオレはいま、実際は教室で居眠りしているはずだ。もし教室で夢精などしてしまったら、もうこの学校で生きてはいけない。

 まずいまずいまずいまずい。

 止めなければ。

 でも夢精のあの絶対的快感の誘惑が。

 そんな場合か!

 ストップ自分!

 静まれ快感!

「田中!」

 声が鋭くなった。

 その時、ふと冷たい殺気が背筋を走った。

 何かがオレのそばまで寄ってきている。不穏な気配。殺気だ。

「田中殿、おぬしの命しばし預かるぞ」

 さっきまでとは打って変わった胴間声が厳かにそう告げる。

「しからば御免!」

 背後から、甲冑を身につけた戦装束の侍が刀を振り上げ、オレの頭に振り下ろした。

 バシッ!


「痛ってぇ……」

 オレは目を覚ました。

 ハッとして、すぐに股間の状況を確認。パンツは濡れてない。

あっぶねえ危ねえ」とりあえずホッとした。

 だが何故か教室中は爆笑の嵐に。え? なに?

 横を見ると、佐々木先生が手に教科書を持って腕組みをし、オレを冷たい目で見下ろしていた。

 状況が分からず、周囲を見渡すと、クラスのほとんどがオレの方を見てクスクスニヤニヤ笑っている。そうか、今のバシッという音は教科書が頭に。事情が飲み込めた。

 痛む頭を撫でながら最前列の樫飯さんを見る。

 一瞬目があったが、樫飯さんはプイッと前を向いてしまった。

 え? オレ、彼女に嫌われるようなこと、なんかした?

 夢の中で死姦を想像したことはバレてないよね。それとも寝言で何か言ったとか。だったら最悪。筋金入りの変態野郎であることがバレてしまう。

 それか。絶望か。

 憧れの樫飯さんに嫌われた。

 オレの青春、終了。

 さようなら、最後まで清らかだった僕の恋よ。

 絶望に打ちひしがれるオレの頭頂部を、教科書の角がコツコツと叩いている。先生、角はやめようや、角は。

「田中くん、お早よう。目は覚めたかい?」

「あ、え、はい。どうも」

「さっきまでガーガー鼾をかいていたと思ったら、今度はひとりごとですか。それとも寝言? まだ頭が起き切ってないのかなー?」

 コツコツコツコツ。だからー、角はいけねえよ角は。

「え、オレ、寝言言ってました?」冷や汗がだらだら流れる。

「オレはよく聞こえなかったんだけど。なんか愛の告白的な?」

「え、ちょ、ちょっと、嘘でしょ!」焦るオレ。極めつけの変態野郎確定か?

「寝言というより、思ったことがダダ漏れ?」楽しそうにニヤニヤ笑ってんじゃないよ。

「それはあれです、空耳です。もしくは思い込みって奴です。むしろ錯覚です。でなければ、この教室に居着いている地縛霊の声」

「まあ、それはいいや。で、いまの授業さー、ちゃんと聞いてた訳? 1mmでも聞いてました?」

 やばい。ちょっと本気で怒ってるっぽい。

「あ、はい。えーと、今日は、厳島の戦いの前哨戦で、毛利勢が……」

「あー、もういい! 分かった、何も言わなくて結構! どうせ、お前は、オレの授業なんか1mmも聞かなくたって、なんでも知ってるもんなー。全然勉強しなくてもテストは余裕で満点だしねー。嫌味なやつだよ、まったく」

「先生、それ残念ながら日本史だけなんで。あとは軒並み……」

「日本史だけでオレには十分なんだよ、だってオレ日本史教師だから! あーあ、これだから頭が良くて素行が悪い、半グレ歴史マニアは嫌だよねー」

「先生、そこまで言わなくても」

「もう、今学期はテスト2割、授業態度8割で成績つけちゃおっかなー!」

 とたんに教室中が色めきたつ。

「ハイハイハイハイ先生! オレ、授業中一回も寝てないし、ノート提出も毎回ばっちりじゃけえ、評定は『5』じゃろ?」

 何かにつけてオレに突っかかってくる高橋茂が威勢よく挙手してそう言った。高橋の奴も樫飯さんに惚れていて、勝手にオレを目のかたきにしている。

 先生は冷ややかに、

「高橋よー、お前、本気と冗談の区別ぐらい分かれー」

 教室中の期待が急にしぼむ。

「なんじゃ、冗談かー」

「ぬか喜びさせんでくれんかのー」

「まったくじゃ」

「期待して損したけえ」  

 狭い教室の中で、大音量の私語が反響する。

 しかし高橋はまだめげない。

「じゃけど先生、田中はあれじゃろ? 歴史には詳しゅうても、態度がサイテーじゃけ、評定は『1』よのう、先生?」

「オレが『1』なら、お前は『マイナス7』くらいじゃろ」とオレ。

「あのなあ評定にマイナスはないんじゃ。しかも5段階じゃ」と高橋。

「お前なんぞランク外でたくさんじゃ」

「なんなんなら、われぇ。ぶちまわすぞコラ」

 ふざけた言い合いをしながら、オレは、最前列の樫飯さんの様子をチラチラ見ていた。

 樫飯さんは、最前列の席で、まるで書道の清書でもするようないい姿勢で、背筋を伸ばして、板書を写している。

 なんという凛とした美しさ。黒くてまっすぐなロングヘアが春の日差しを反射して輝いている。

 きっと樫飯さんは居眠りとかしないんだろうな。毅然としたその生きざま。かっこいいよ、樫飯さん。

 陶然としているオレに冷水をぶっかけるように、佐々木のハゲ野郎が再び絡んできた。

「田中はさー、少々、授業態度を反省するべきではないかな? 反省してる? ん?」

「それは、もちろん、深く深く反省しており侍り候」

「アレレ、まったく反省の色が見えないんですが? なんなのその語尾。まさかのおちょくり?」

「いやいや、左様なことは断じてござらぬ……って、アレ?」

 おれ、こんなふざけた古文口調で答えるつもりはなかったのに、口が勝手に。

「先生あの、今のは、口が勝手にですね」

「あー。心にもない反省の弁だったと」

 渋い顔で成績記録簿になにか書き込むハゲ。

「いや、そういうことではなくてですねえ!」


 そのとき、終業ベルがなった。ギーンゴーンガーンゴーン。救いの鐘だ。先生は、今日はこのへんで勘弁しておいてやる、とか言いながら教卓へ戻っていった。

 起立、と言いかけた日直を手で制し、先生は突拍子もないことを言い出した。

「えー、次回の授業は野外です」

「え? 野外?」

「先生、頭大丈夫けぇ?」

「毛ぇ? 毛ぇはない、いつもどおりのスキンヘッドだ」

「毛のことは誰も聞いとらんけぇ」

「ヅラはかぶってないから、ずれる心配もなし」

「いやいや、見た目やのうて、中身を心配しとるけん」

「中身のほうは、オレもたしかに心配だけれども」

「先生の教科は日本史じゃろ」

「それが何か」

「なんで外なん? 体育か」

「あー、なんで外か、今から説明します」


 「山陽本線の向こうっかわに森があるでしょ。小学校の裏の。

 その森の一角を開発して、アジア系海外資本がリゾートホテルをおっ建てることになりまして。

 で、土地を整備するために山をほじくり返していたら、多量の人骨が出土して、これは一体なんなんだ、となった訳だ。みんな知ってるよな? 新聞にも出たし、テレビのニュース番組でも……」

「あー、だいぶまえにLINEで見たわ」

「そういえばTLで流れてたけどスルーした」

「スルーですか、そうですか。で、ですね。歴史学者の先生方が、これは知られざる古戦場の遺跡ではないか、と言い出して、ここ広島で古戦場といえば?」

「厳島の戦い!」とクラス全員が唱和。

「ピンポンピンポン! その歴史的合戦に関わる、まあ小競り合いかも知れないけれども、関連する古戦場だとすれば、今まで知られていなかった厳島の戦いの新たな側面に光を当てる歴史的大発見な訳」

「先生、大発見は分かるんじゃけど、もう休み時間じゃけえ、トイレ行きたいんじゃけど」

「わかった、すぐ済むから!

 で、貴重な遺跡ということで、ホテルの工事は一旦中止、学者チームによる調査が済んでから再開という申し合わせが出来まして、しかし、ホテル側も工事を急いでいるので、早急に調査を終わらせねばなりません。

 そこで!

 皆さんには、発掘調査の体験学習という意味も込めて、古戦場跡でいにしえの武士たちの骨を拾ってもらいます」

「え? なんで?」

 学級騒然。

「なんでうちらが発掘せんならん?」

「お骨をいっぱい拾っちゃおー。オー!」先生の空元気が白々しい。

「なんか楽しそう」樫飯さん、さすがに前向き。

「ええ? 気持ち悪いじゃん。骨て!」と大木さんのツッコミ。

「考古学の演習みたいなものですが、ちょうど戦国時代を学習中ですし、実際の古戦場をみて、歴史への思いも深まり、一層勉強に励みが」

「思い深めたくねえええ!」

 騒然とする教室の中で、オレは一人頭を抱えていた(このハゲ、こないだ言ったオレの冗談を、そっくりそのままパクりやがった!)


 「知られざる古戦場跡発見か?」という記事がネットのニュースで流れたのは数日前。

 自分が通う学校のすぐそばで、多数の白骨や、古い武器、刀剣、武具などの断片が出土したと聞いては、歴史マニアのオレとしてはいてもたってもいられない(ただいま急増中の「にわか日本刀ファン」も目の色を変えたようだが)

 オレはさっそく夜中に家を抜け出し、厳重に立ち入り禁止になっている現場に出向いた。

 鉄板で出来た仮設の塀に「ホテル建設予定地につき関係者以外立入禁止」という看板が掲示されていた。出入口は施錠されている。

 だがそんなチョロいセキュリティはオレには通用しない。

 秘密の裏技を駆使し塀の内部に侵入したオレは、ヘッドランプのわずかな灯りを頼りに古戦場跡地を歩き回り、歴史の息吹に直接触れて、無上の喜びを味わった。

 学者チームによる調査は現在進行中らしく、ほうぼうにブルーシートで覆った発掘中の箇所があった。

 そのブルーシートの一つをそっとめくりあげてみる。生々しい発掘現場の姿。

 ふと、白い破片が目に止まる。白骨?

 オレはなかば無意識にその骨を掴もうとして、ギリギリのところで自重した。現状を変更して研究の妨げになってはいけない。

 (でも、ぶっちゃけ、こんな小さな破片一個ぐらい、わかりゃしないか?)

 しばし心の中で善と悪が押し問答。そして――

 おれはその骨を手に取った。

 瞬間、触れる指先が切れそうなほどの光に、体が貫かれた。微かだが深いバイブレーションが全身を震わせる。歴史そのものに触れた感動――と、そのときは思ったのだが、実はそんな生易しいものではなかったということに気づくのは、ずっと先のことだった。

 手に持っているものが発するオーラに怖気づいてか、やはり何も動かすべきじゃないな、と考え直して、骨片を元の場所にそっと戻した。ブルーシートも元通りに整えて、まっすぐ家に帰った。

 そして翌朝、学校に登校するとすぐに職員室に佐々木先生を訪ね、日本史の授業で発掘作業の実習をぜひに! と直訴したのだった。

 まさかこんなに早く実現するとは。


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