カリビアン・ロンド(Round dance) 3

【カリブ海】

1946年1月15日 夕


 カリブ海、黄金の夕日を受けながら、海上を征く艦影があった。


 遠目から見ても空母とわかる輪郭だ。


 その艦首は鋭角的にそそり立つアトランティックバウで、波濤を切り裂きながら進んでいる。


 周辺には、護衛艦艇は存在しない。その空母は単独行動を前提に建造されていた。


 日英米の海軍の空母とは、かけ離れた運用思想だ。彼らにとって、空母は海の女王であり、その周辺には必ず護衛艦艇ナイツが必要だった。大海原を孤狼のごとく放浪するなど、ありえなかった。


 大部分にとって常識外れな空母は、鍵十字ハーケンクロイツをあしらった艦船旗を掲げていた。名前は<グラーフ・ツェッペリン>という。彼女は、ドイツ帝国海軍クリーグスマリーネが保有する唯一の空母だった。


「麗しのキューバ、実に懐かしい」


 艦長のベルンハルト・フォン・アドラー大佐は目じりを緩めていった。艦橋から黄昏の中に横たわる島々が見えている。


 傍らの士官が尋ねる。


「来られたことがあるのですか」


「ああ、もちろん。あそこの葉巻は格別だ。ラムも良い。何よりも、ヨットを滑らせるのに最高の海に囲まれている」


 アドラーは一風変わった経歴の持ち主だった。


 彼は地方貴族ユンカーの長男に生まれた。下には二人の弟がおり、いずれも国防軍人だ。アドラー家は、元々軍人から貴族へ成り上がった家系だった。フリードリヒ大王の時代に、騎兵科の将校として軍功を立てた。その中には、かの有名なロスバッハの戦いも含まれている。彼の祖先はザイトリッツ少将に率いられ、敵陣をサーベルで蹴散らした。その後、代々に渡りプロイセンからドイツ第二帝国、そして今の第三帝国へ至るまで、アドラー家の男子は軍へ入るのが前提となった。


 ベルンハルトは、その前提を覆した異端児となった。15歳を前に、ベルンハルトは冒険家になると言い出した。父は自分が選択を誤ったと悟った。


 ベルンハルトの父は情操教育の一環として、海外の紀行本や冒険小説を与えていた。その中にはロビンソンクルーソーのようなフィクションもあれば、実在したスタンリー、リヴィングストンの手記も含まれている。好奇心旺盛な少年にとって、冒険は非現実的なものではなくなっていた。


 当時ドイツ第2帝国は、植民地主義の流行りに乗っていた。皇帝ヴィルヘルム2世は、アフリカや太平洋に領土を求め、英仏と対立、やがて第一次大戦の遠因となる。結果はどうあれ、一次大戦前のドイツでは、かつてないほどに海外への関心が高まっていた。それは少なからず、保守的な地方貴族の過程にも影響を及ぼしたのである。


 紆余曲折を経て、ベルンハルトの父は息子の希望を受け入れた。ただし、条件があった。冒険をするためには、海に出なければならない。そして海は危険で、悪意に満ちている。「困難に打ち勝つために、海軍へ入れ」と彼の父は言った。ベルンハルトは父の条件を受け、海軍兵学校の試験を受けた。落ちたら、家業の農園を継ぐか陸軍へ入らなければならない。いずれにしろ、ベルンハルトの夢は限りなく遠ざかる条件だった。


 結果的にベルンハルトは試験を合格し、海軍士官候補生となった。父は満足げにベルンハルトを兵学校のあるキールへ送り出した。


 彼の父は陸軍士官だったが、軍と言うものの体質を身に染みて理解していた。すなわち自由意志とは無縁の境遇である。多少の差異はあれども海軍も似たようなものだろうと思っていた。やがて息子も夢を脱色し、現実に染まるだろうともくろんでいた。その予測は半分当たった。確かに海軍は過酷な現実を息子に突き付けた。外れたのは、息子が並外れた情熱と行動力を有していたことだった。


 ベルンハルトは優秀な成績を収めて、兵学校を卒業すると、休暇中はヨットを乗り回すようになった。やがて彼は父に無断で軍を抜け、文字通り冒険へ繰り出した。ヨットで単独航海を行い、南米やアフリカを踏破した。彼の旅程は常に危険に満ちていたが、海軍は彼に危険と恐怖の付き合い方を覚えさせていた。彼は父に心の底から感謝し、父は頭を抱えて隠居した。


 その後、第二次大戦がはじまり、ベルンハルトの人生は一転する。海軍は海外に通じた人材を欲していた。かつてベルンハルトとヨット旅行に出た友人は、海軍で人事課長を務めていた。ベルンハルトは再び海軍へ呼び戻された。


 彼の初任務は仮設巡洋艦による通商破壊だった。<ナーヴァル>号と名付けられた船は、大西洋を荒らしまわり、十万トン近い商船を沈める。その軍功からベルンハルトには騎士十字章が授与された。勲章を渡したヒトラーは、ベルンハルトに望みを聞いた。


 彼は答えた。


「総統閣下、飛行訓練課程に進む許可をいただけませんか」


 数か月後、彼はドイツ空軍ルフトヴァッフェで戦闘機の訓練課程を受けていた。ベルンハルトは陸と海に飽き足らず、空を求め始めた。たとえ戦時下であっても、彼の冒険心は尽きなかったのである。


 BMの出現によって彼の人生は急転したが、ドイツ海軍は依然としてベルンハルトを必要していた。


 初の国産空母、その艦長職に相応しい人材を強烈に求めていたのだ。

 

◇========◇

次回12月30日(水)に投稿予定


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弐進座

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