復活祭(Easter) 23:終
【ホノウリウリベイ沿岸】
ハインライン大佐は陸伝いに、ホノウリウリベイへたどり着いた。護衛の兵士は伴っていない。
もちろん、根回しはしてある。スプールアンス提督の名義で、先方の司令部へ来訪を告げていた。
海岸でハインラインを出迎えた日本人は、小柄の海軍士官だった。もっともアメリカ人として平均的な体躯のハインラインからすれば、大半の日本人は小柄に分類されるかもしれない。
ハインラインは、戦前に反日プロパガンで配られたビラを思い返していた。デフォルメ化された日本人のイラストが掲載されていたが、彼の特徴をよく捉えているように思えた。なで肩で眼鏡をかけ、吊り上がった双眸。唯一の違いがあるとすれば、黄色ではなく浅黒い肌であろうか。人種的な偏見を忌避するハインラインだが、彼の抱くステレオタイプの日本人像に合致していた。
その日本人はクサカベと名乗った。渡英経験があるのだろうか、彼の英語はキングスイングリッシュだった。
「ハインライン大佐、本日はどのようなご用向きですか」
クサカベは微笑を浮かべながら問いかけた。友好的な態度に見えたが、どこか腹の底をヴェールに包んだ印象を受ける。
「いえ、大したことではありません」
ハインラインは額に浮かんだ汗をぬぐった。艦内勤務で冷房に慣らされた身体が抗議を上げている。
「実を言うと個人的な興味から、ここに来たのです。<タイホウ>を間近で見ることは、そうそうありませんから」
砂浜の向こうには
「それに、私は貴国との調整役を任されることが多いので、より見識を深めたいと思ったのです。特に陸戦側はあまり見たことがなかったので、ちょうどよい機会でした」
彼はつづけると、クサカベに先導されて日本軍の陣地を歩いて行った。
時折、すれ違う日本兵がハインラインを一瞥していく。どこか張り詰めたような印象に違和感を覚える。
確かに、ここは戦場だが前線から遠く離れている。それに、大半の戦闘は終息しつつあるはずだった。一昨日、比較的激しい抵抗が各地であったが、いずれも制圧されていた。それとも、とりわけ規律に厳しい部隊だろうか。
クサカベは砂浜沿いにハインラインを案内していった。ところどころ、兵士たちが分隊単位で何やら作業をしている。よくみればガスマスクを装着していた。
「魔獣の死骸を片付けているのですよ。ほら、昨日派手にやりあったでしょう。爆雷で吹き飛ばしたサーペントやクラァケンの残骸が打ちあがってましてね」
「なるほど、確かに昨日は珍しく
「海の動きは予想だにできませんからな。それこそ神のみぞ知るのみ。我が国では海より異郷へ通じる伝承があります。こんな戦争をしていると、余計に人知の限りについて考えさせられますよ」
「人知の限り。我ら知れども、いかほど知らずかは知りえぬ」
波打ち際を見つめながら、ハインラインはつぶやいた。クサカベが感心したように応じた。
「誰の言葉ですか」
「いいえ、誰のでも。ふと思い立っただけです」
「詩人ですな」
ハインラインは苦笑すると、話を変えるついでに本題を切り出すことにした。
「それにしても、惜しいですね」
クサカベは意味をとりかねるように、首をかしげた。ハインラインは水平線にそびえたつ4隻の空母へ目を向けた。
「いえ、可能ならば他の将兵にも、あの威容を見せてやりたいと思ったのです。米英日の機動部隊が勢ぞろいする光景は、この戦争でもなかなか見ることはできないでしょう」
目前の日本人士官は、合点がいったようだ。
「ああ、おっしゃる通りです。私もその点については残念に思いますよ。こんな入り江に押し込めるのは全くもったいない限り」
今度はクサカベが苦笑して見せた。さりげなく、ハインラインは続ける、
「何か、理由がおありで? どうか誤解なきよう、少々冒険的に思えるのです。あの海域の水深は決して深くはない。巨艦を停泊させるには不向きです。それに搭載機の離着艦にも支障が出てくるでしょう」
クサカベは肩をすくめて、ため息をついた。
「ええ、まあ、なんといいますか。ごもっともなご意見です。ところで大佐、少々暑くありませんか」
ハインラインを先導するように、クサカベは歩きだした。ハインラインは、その後ろ姿を訝し気に見送る。
「ちょうど近くの林に海軍のキャンプがあるのです。そちらで休まれてはどうでしょう。あそこなら快適にお話しできるかと思いますよ」
クサカベの意図を察し、ハインラインはうなずいた。
「行きましょう。確かに、ここは暑すぎる」
「よかった。ちょうど
数分後、二人は灌木林の中に設置されたテントにたどり着いた。しかしハインラインはテントの前で立ち止まったまま、一向に入ろうとしなかった。彼は林の一角を凝視した。無視できないものが、そこに鎮座していたのだ。
「クサカベ少佐、あの物体は何ですか。私の目には小型の潜水艇に見えるのだが」
クサカベは泰然としたまま、肯定した。
「ええ、我が軍の特殊潜航艇です。残念ながら大破しましたが──」
ハインラインが潜航艇に歩み寄みよると、すぐに兵士が駆け寄ってきた。しかしクサカベは兵士を制止すると、そのままハインラインを潜航艇に案内した。
潜航艇は先端に二本の魚雷を装填していた。ところどころ損傷しているが、バラストタンクまではやられていないようだ。最近建造されたらしく、へこんだ外壁から真新しい塗装がはげ落ちている。
「遺憾ながら、
「これを投入したのですか。魔獣との戦闘に?」
「ええ、そうですよ」
「無謀だ」
思わずハインラインの口から感想が飛び出る。慌てて、彼は謝罪した。
「失礼。今のは失言でした」
「いえ、かまいません。実際、無謀でしたから。おかげで、このざまです」
クサカベは口の端を大きく吊り上げた。道化師を思い浮かべながら、ハインラインは率直な疑問を口にした。
「クサカベ少佐、あなたは、なぜここに私を連れてきたのですか」
「私はラムネを飲みたかっただけですよ。ただ、そう昨日の魔獣との戦闘がなければ、あなたをここに連れてくることはなかったかも」
「どういうことですか」
「昨日は我が国を含め、派手に航空機が飛び交いました。もっぱら近接航空支援のためにね。陸戦において、我々は担当戦域の範囲内でしか活動しません。しかし、空は違う。空中に柵は立てられませんからな。まあ、そういうわけですよ。今さら隠したところで、何の意味もない」
「それだけで?」
「ええ、それだけですよ。ああ、おい、そこの貴様──」
クサカベは通りすがった兵士を呼び止め、ラムネをテントから持ってこさせた。ハインラインは手渡された炭酸水を口にした。冷えていたが、少し甘みが足りないように思えた。
「生還率は、どれほどですか?」
「高くはありません。幸い、あの潜航艇の乗員は助かったそうですが。恐らく彼は英雄となるでしょう。決死の任務から帰還した唯一の英雄。死地より復活した護国の鬼としてね。ま、そこらへんは我々現場の軍人には埒外なことですな」
クサカベは乾いた笑いを立てると、一気にラムネを飲み干した。
◇
数十分後、合衆国の士官はジープへ乗って去っていった。それと入れ替わるように、小鳥遊少佐が日下部のもとを訪れた。
「やあ、これはこれは」
晴れわたった満面の笑みで、日下部は小鳥遊を出迎えた。
「首尾はと聞きたいところですが、その様子だと上手くいったようで」
「お察しの通りで」
日下部は二本目のラムネを開けながら言った。
「それにしても、コペルニクス的というべき発想だ」
小鳥遊は心底感心したように、特殊潜航艇<甲標的>を眺めた。真新しい塗装がなされ、とてもではないが4年間放置されたようには見えない。船首には信管がぬかれた新型の酸素魚雷が装填されている。このまま出撃しそうな風体だった。
「そいつは過剰ってやつですよ。こちらとしても間一髪でね。あと一日早く、あの合衆国の士官が来ていたらご破算になっていました」
日下部は潜航艇に近寄ると、指で表面をこすった。生乾きの塗料がわずかにこびりつく。
「隠しきれないのならば、見せてしまえばよい。ただし、何をどう見せるかはこちら次第というわけで。今回は魔獣にも助けられましたよ」
日下部の仕掛けはかろうじて間に合った。彼は艦隊の資材を動員して、<甲標的>を新造同様に偽装したのである。さびて朽ちた外装は突貫で溶接、はげ落ちた塗装はペンキで塗りつぶし、わざわざ識別番号まで書き換えていた。さすがに内装までは手が及ばなかったが、合衆国軍の目を欺くには十分だった。
「昨日、派手な戦闘があったおかげで、火薬と死臭が塗料の臭いを散らしてくれました。合衆国が我々の動きに感づくのは時間の問題ですからねえ。そういった意味では、あの士官は適材でした。きっと彼は日本軍が、
「そうなることを祈っていますよ。我が軍の体面は多少は傷つくかもしれませんが。4年前の一件を蒸し返されるよりは良い」
「ええ、全く。その通り」
日下部は二本目のラムネを空けると、はばかることなく盛大に二酸化炭素を吐き出した。
◇
1945年12月25日。
ロサンゼルスタイムズがオアフ島の解放と合衆国領への復帰を伝えた。
同年、12月28日。
一人の少尉が原隊に復帰した。
同少尉は腹部に銃創を負っており、療養の後、内地勤務となる。
なお、件の連絡将校は今井少佐の強い推薦により、
どこか南の島の根拠地へ飛ばされた。
◇========◇
次回10月4日(日)に投稿予定
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弐進座
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