幼年期の記憶(Once upon time) 3
小鳥遊は
ほどなくしてグラスに冷えた水が注がれてきた。二口ほど飲んだところで、小鳥遊はグラスを置いた。竹川は半分ほど飲み干していた。
「それで、君は何がおかしいと思ったんだい?」
「考えてもみてくれ。五年ほど前のぼくらは、ドラゴンやデーモンなんて存在から無縁の生活を送っていたんだ。意識すらしたことはなかった。せいぜい学童の頃に読んだ冒険小説の中でしか居場所が無かった概念だ。それが今や日常会話の中で、ごく当たり前に使われている。彼等の存在はぼくらの生活に定着してしまった」
「当然の成り行きじゃないかな。なにしろ奴らは現れてしまったのだから」
「そうだよ。だけど、それはとてもおかしなことだと思った。例えばドラゴンと呼ばれる魔獣がいるけど、なぜぼくらはドラゴンと呼んでいるんだ?」
小鳥遊は小首をかしげた。話の行方が見えなくなっていた。彼の友人が懸命に何かを訴えようとしているのはわかっているが、それが何なのかがわからなかった。お互い、飲みすぎたのようだ。
竹川の言葉を脳内で反芻しながら、小鳥遊は自身の考察を口述した。
「なぜ、ドラゴンと呼んだか? 似ているからじゃないかな。未知の対象を認識するにあたり、人間は既存の知識、経験に依らざるをえない。ある魔獣を記号化して既存の認識と照合した結果、ドラゴンと呼ぶようになった。そんなところじゃないか」
竹川は破顔して肯いた。どうやら議論の道筋に沿っているらしい。しかし、その行く先について未だに小鳥遊は見当も付けられなかった。
「そうだ。そこが問題なんだ。ドラゴン、トロール、クラァケン、あるいはグールでもなんでもいい。符合しすぎていると思ったのがはじまりだ。かつて
竹川はグラスの水を飲み干すと、給仕にお代わりを要請した。
「小鳥遊君、どう思う?」
「何とも言えないな。確かに言われてみれば、その通りだが、思いつきもしなかったよ。恐らく、それれも認識が原因だね。
「その通りだと思う。軍人に限らず、それが大半の人類が抱く見解だ。かく言うぼくも、その一人だった。恐らくぼくが妙な違和感を抱いたのは、いくつか要因が重なったからにすぎないよ。ぼくは史学を専攻していたが、実質研究していたのは民俗学に近いものだ。ぼくは昔から神話の類いが好きでね。その派生で、大昔の怪物の伝承に触れてきたんだ。とりわけドラゴンに関しては、その比率は高かった。なにしろ、あの種の怪物は世界各地で伝えられているからね。日本でもそうだろう。
「竜退治の英雄か。今となっては
「あるいはゲオルギウスやジークフリートと言ったところだね。いずれにしろ、ドラゴンは世界中で共通に語り継がれながらも架空として定義されたものだ。これは今でも変わらない。洪水神話の象徴、水棲生物の変異体、あるいは宗教的な権威を高めるための舞台装置として解釈されている。ぼくはね、違和感を追求するうちに、この解釈を見直した方がいいんじゃないかと思ったんだ」
「見直す? つまりは、それは――」
「ああ、そうだよ。人類は五年よりも遙か前に魔獣と接触していたんじゃないかってね。そう思ったんだ。実はぼくらのご先祖様は
小鳥遊は彼にしては珍しい反応を示した。絶句したのである。竹川は苦笑した。あるいは自嘲したのかもしれない。
「うん、そうだよね。ぼく自身が莫迦げていると思ったよ」
竹川はメモを読み上げるように続けた。それらは自身の
第一に、仮に古代にドラゴンが実在したとして、骨格や剥製などの標本が残されていないのはおかしい。保存の技術がなかったにせよ。化石化、あるいはミイラ化した個体が見つかっていてもいいはずである。
第二に、魔獣が古代に現れたとしてBMの記述がないのはおかしい。現代の我々が対峙にしている魔獣と同一種ならば、BMを経由して現れた確率が高い。にもかかわらず、世界各地の神話においてBMに類する伝承はほとんどみられない。月食や日食にまつわる神話はあるが、BMと関連づけるに足る根拠がない。
「第三にね、これが最も有力な反証材料なんだけど、近代兵器でようやく太刀打ちできる魔獣に、古代の人々が如何にして立ち向かったというんだい。七十五ミリの徹甲弾すら弾くような生物を殺傷する手段なんて、それこそ神の奇跡か魔法でしかなせない技だよ。あるいは我らの先祖はそんな人外の技を持っていたのかもしれないけど、今となっては証明はできないことさ」
竹川はグラスの水を飲み干した。その表情は、どこか毒気の抜けたようなものだった。疲れているのだろう。
「どうか怒らないでくれ。面白い説だと思ったよ。あるいはあり得るのかもしれないとね」
「ありがとう。理論的にはありえないないと思っている。でも、その一方で符合しているのも事実なんだよ。魔獣の形状だけじゃない。その生態や能力まで、伝承をなぞっている。火を噴くドラゴン、船を襲撃するクラァケン、驚異的な再生能力を持つトロール。枚挙にいとまがない。ひとつだけわからないことは、それを不思議だと思った人間がぼく一人らしいってことさ。いや、これはぼくの傲慢だね。恐らく、この世界のどこかで誰かが気づいているのかもしれない。あるいはぼく以上の真実に近づいているのかも……まあ、そんなところを思っていたら、いつの間にかレポートを書き上げていたのさ」
気がつけば周囲に人影もまばらになっていた。
給仕が申し訳なさそうに、閉店を告げてきた。
◇========◇
次回1月26日(日)投稿予定
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弐進座
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