純白の訪問者(Case of White) 8

 六反田が陸軍と交わした取引は理に適ったものだった。


 陸軍は幼竜シロのために、駒沢練兵場の使用を許可し、見返りとして新兵の訓練へ協力を要請した。六反田は他省庁に感づかれないように根回しをした上で要請を受ける手はずを整えた。体裁としては竜を預かっている戸張家が陸軍の要請に協力したことになっている。


 駒沢練兵場は儀堂達にとって、理想的な立地だった。儀堂家と戸張家のある区画から練兵場まで歩いて二十分ほど道程で、無理なく通える距離だ。周辺は防音林に囲まれており、火炎の発射音も減衰される。大きな音が聞こえたとしても、練兵場からならば怪しまれることはない。日常的に銃器の発射音が聞こえている場所なのだから。


 駒沢練兵場にシロが来てから一週間ほどたっていた。儀堂家でやや窮屈な生活を送っていたシロは、文字通り羽を伸ばし、生き生きとしていた。


 逃げ惑う新兵達は必死の形相だったが、追う側は打って変わって楽しんでいる様子だった。シロは長い首をしならせると、兵士達の頭部ぎりぎりに向けて火炎を放った。まだ二十歳にも満たない若者たちの瞳に紅蓮の恐怖が焼き付けられる。


一部の集団で悲鳴が上がった。シロは本能の赴くまま、無邪気に集団へ向けて、駆けていった。危害を加える気は無かった。ただ純粋に追いかけっこをしているつもりだ。狩りのまねごとごっこ遊びだった。しかし、追いかける側からすればたまったものではなかった。兵士の瞳には牙を剥き出しにして、口腔部を紅蓮に輝かせるドラゴンが映っている。思わずひとりの新兵が肩にかけた小銃に手をかけた。訓練ゆえに実弾は装填されていないが、銃剣は装備していた。パニックに陥った新兵は闇雲に銃を突きだそうとしたとき、制止の声がかかった。


「「おすわりコヅン」!!」


 直後、電気が走ったようにシロはぴたりと腰を下ろした。


 唖然とする兵士達は粉塵の先に仁王立ちとなった小さな影を認めた。



【駒沢練兵場 厩舎】


 演習が終わり、シロは厩舎で羽を休めていた。そこは、かつて軍馬が飼育されていた施設だったが、今や放棄されて久しくなっている。


「シロ、手加減しないとダメじゃない。危うくあなたも兵隊さんもケガをするところだったでしょう」


 戸張小春は幼竜をしかりつけた。相手は身の丈数倍ほどの大きさになっていたが、小春にかまう様子は無かった。彼女は本当に怒っていたのだ。


 シロは小さな声で喉を鳴らし、頭部を垂れた。反省はしているらしい。


「許してやれ。そやつとて怖じ気づかせるつもりはなかったのじゃ。単にじゃれただけのことよ」


 ネシスは壁に身をもたれさせていた。


「あのね。あたしが言うのもなんだけど、こんなクマみたいな大きさの竜にじゃれつかれるなんてたまったもんじゃないわ。まったく、本当にあっというまに大きくなるなんて……」


 シロをあずかって半月あまりたったが、その間に驚異的な速度で成長していた。今では儀堂家で飼うことが難しくなり、今では駒沢練兵場内の一角を間借りする事態になっていた。


「ねえ、この子って、どれくらいで大人になるの?」

「はて、どうじゃったかのう。妾とて赤子から育てたわけではないので断じることはできぬ。そう先の話では無かろう。かかっても二、三年ほどではなかろうか」

「そんなに早く……」

「これでも遅い方じゃ」

「え……どういこと?」

「他の魔獣はもっと早く育ちきる。あやつらは雑兵と同じ扱いだからじゃ。ただ、こやつは造りが特別でのう。手間をかけなければ容易に育ちきらぬし、懐きもせぬ。お主はよくやっておるぞ」


 いつもよりも饒舌なネシスに、小春はうすら寒いものを感じた。今まで意識せずにいたが、なぜこれほどまで魔獣に通じているのか疑問に思うべきだった。


「ねえ、あなた何で……」

「なかなか興味深いお話しね」


 少し訛りの入ったアルトに近い音域が厩舎内に響いた。


 思わず振り返った小春は、時代錯誤な感覚に囚われた。ふと浮かんだ言葉は「モガ」だった。レディースのベレー帽をかぶり、ボックスコートを羽織った婦人が立っている。足下を見て、さらに眼を見はった。いまどきヒールを履いた女性など銀座でもそうそうお目にかかれない。


「あなた、だれ?」


 小春の問いに答えるように、モガの後ろから女性士官が現れる。御調みつぎ少尉だった。


「失礼。フロイライン、勝手をされては困ります」

「あら、ごめんなさい。つい研究者として聞き逃せなかったのよ」


 モガの西洋人に悪びれた様子も無かった。御調はわずかに眼を細めた。


「ここは欧州では無く、日本です。その事実をお忘れなら、ただちに本国へ戻っていただきます」

「ご安心なさい。そんな脅しをかけなくても、どのみち今の私に大したことはできないのだから。そんなことぐらい、あなたもあの小太りの上官もわかっているでしょう?」


 やや自嘲するようにモガは続けると、改めて小春の前までやってきた。困惑している少女へむけて、その金髪の独逸人は笑いかけた。本国の舞踏会で幾人もの名士にため息をつかせた笑みだった。


「あなたが、この竜の飼い主ね?」


 小春はうなずいた。


「……その、どなたですか?」

「はじめまして、キールケよ。キールケ・リッテルハイム、独逸ドイツから来たの」

「独逸!?」

「ええ、あなたにお願いがあってね」

「お願い?」


 キールケは笑みを絶やさぬまま、小首をかしげた。


「竜の血をわけてくださらない?」

「シロの血を?」


 小春はあからさまな拒否反応を見せた。


「ええ、そう。ご安心なさい。麻酔はするから痛くは無いわ。それに採取する量もごくわずかよ」

「でも――」

「やれやれ、ひとつ忠告しておくぞ」


 見かねたネシスが壁際から身を起こすと、二人の間に入った。


「そやつの肌は鉄すら弾くほど硬い。血が欲しくば、相応の覚悟で臨まねば得られぬじゃろう。それこそ刺し違えるほど覚悟じゃ」

「あら、ネシス。おひさしぶりね。あなたと<宵月>の活躍は聞いているわ。今日はあの艦長カピテンは一緒じゃないのね」

「妾の問いに答えよ」


 ネシスは表情を消し去っていた。その瞳は紅く冷たい光が宿っている。


「お主に覚悟はあるのかや?」

「刺し違えるなんて真っ平ね」


 憮然とキールケは言った。


「ならば諦めるが良い」

「それは出来ないわ」

「お主、妾の話を聞いておらなんだか?」

「あなたこそ、最後まで私の話を聞きなさい。別に戦いを挑みに来たわけじゃ無いのよ。ああ、まったく信じられないわ。この国の生物学者は何をやっているのかしら」


 キールケは母国ドイツ語で罵りの言葉を呟くと、ネシスと小春に向き直った。


「確かに、ドラゴンの表皮は硬いけど、それは外側・・に限った話でしょう」

「何を言っておるのじゃ?」


 小首をかしげるネシスと裏腹に、小春は真意に気づいた様子だった。


「まさか、そんな嘘でしょう――」


 キールケは不敵に笑うと、カバンから小さな注射器を取り出した。中には部分麻酔用の薬液が注入されている。


 ドラゴンの巨体には不釣り合いすぎるものだ。人間相手でも小さすぎるだろう。だが、それはある特定の医療分野ではごく当たり前に使用されているものだった。


◇========◇

次回11月20日(水)投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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引き続き、よろしくお願い致します。

弐進座

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