純白の訪問者(Case of White) 3

【東京 世田谷 三宿】

 昭和二十1945年九月二十五日


 翌朝、儀堂家を訪れたのは小春ひとりだけだった。


「おや、小春ちゃんひとりかい?」


 玄関で出迎えた儀堂は小首をかしげた。父親の形見だろうか。藍色の着物を着流している。


「ええ、そう。兄貴は朝早く飛行場へ行っちゃった。訓練だってさ」

「やれやれ、任務とは言え、あいつも調子のいいやつだな」


 ぼやく儀堂だったが、真実は全く異なっていた。小春が寛に「来なくても良いわよ」と言ったのである。「任務で疲れているだろうから、ゆっくりしたら」と続ける妹に対して、寛は天変地異でも起きたような形相になった。小春はいささか不本意な思いを抱きつつも、自分の家を後にして、儀堂家の玄関をくぐってきたのである。


「衛士さん、朝ご飯まだでしょ? これよかったら食べてね」


 小春は手風呂敷包みを手に儀堂家へ上がり込んだ。そのまま居間へ向っていく。勝手知ったる儀堂家である。まったく迷いのない足取りだったが、数歩だけでふと止まる。


「その、あの子は、どこ?」


 所在なさげに小春はあたりを見回した。


「あの子?」

「ほら、あの舶来の女の子よ。ネシスさん」


 儀堂は、わずかな間をおいて合点のいったふうにうなずいた。たしかに小春から見れば「あの子」になるだろう。外見上のネシスは、小春よりも年下だった。


「ああ、あいつ……ネシスなら――」

「ずいぶんと早いのう」


 からかうような口調で、ネシスが洗面所から顔を出した。水玉のワンピースを着ている。見覚えがあった。かつて衛士の妹、真琴が着ていたものだった。小春は胸の奥をわずかなひっかりを感じたが、表情に出すことは無かった。


「あなたが来いって言ったんでしょ」

「はて、妾は朝から来いと言った覚えはないのじゃが?」

「それはそうだけど……あたしだって用事があるの。学校だってあるんだし。朝早くか夕方くらいしか空いてないんだから。それとも一日中ここにいろって言うの?」

「お主が望むのなら、妾は構わないぞ。なんなら、しばらくここで暮らしてみるか?」


 ネシスは眼を細めて言うと、小春は思わず息を飲んだ。


「暮らすって私と衛士さんが? な、なに言ってんの?」

「のう、ギドー? かまわないじゃろう」


 儀堂は軽くため息をついた。


「ネシス、からかうんじゃない」

「なに? この娘が居ては困るのかや?」

「そうじゃない。小春ちゃんの都合も考えろ。厭がっているだろうが」


 小春は小さな声で否定したが、儀堂の耳には届かなかった。


「だいたい、お前が竜の飼い方を教えると言いだしただろう。ちゃんと面倒を見ろ」

「ふふん、本当にお主というヤツは罪作りな男よのう」

「どういう意味だ?」

「そういうところじゃ。まあ、よい。小春とやら、朝食あさげを献上してくるとは大義である。遠慮はいらぬから、妾と共に卓を囲むがよい。儀堂、何をしておる。茶を淹れるのじゃ」

「お前は、この家の何なのだ?」


 ぼやくように言うと儀堂は台所に消えていった。


「衛士さん、座ってて! あたしがお茶を入れるから」


 慌てて後を追った小春は、片隅に丸まった白い塊を目にした。幼竜のシロだった。台所の物置で首を丸めて寝ていた。


「シロ? 衛士さん、家に上げたの?」

「ああ、人目につくだけで騒動になりそうだったからね」

「なるほどね……」


 確かに儀堂の言う通りだった。戸張家からシロを連れて行く最中、通りすがりの住民から好奇の目を向けられ、いたたまれない思いだった。兄の寛はどこ吹く風のようだったが。


「本来なら檻にでも入れるか、鎖に繋ぐべきかと思ったんだがね。まあ、ネシスが反対したんだよ」


 儀堂はガスコンロにマッチで火をつけるとヤカンを置いた。ごとくから少しずれた位置だったので、小春は取っ手をつかんで火が当たるように直した。


「ああ、ありがとう。まだ慣れてないんで、助かるよ」


 小春は昨日から気になっていたことを切り出すことにした。


「衛士さん、その眼は――」

「ああ、こいつかい」


 眼帯を差しながら、儀堂は言った。


「いわゆる名誉の負傷というやつだよ。気にしないでもらえると助かる」

「あ……うん」


 柔らか口調だったが、小春は立ち入ることを控えることにした。改めて、彼女は目の前の男が軍人であることを思い出したのだ。


「衛士さんは居間で待ってて。あたし一人で大丈夫だから」

「しかし――」

「いいって! 男子厨房に入るべからずって言うでしょ」


 思わず儀堂は苦笑してしまった。小春の理論を適用するのならば、世の大半の軍事組織は禁に触れることになる。


「わかった。じゃあ、頼むよ」


 片隅からカモメのような間延びした鳴き声が聞こえた。

 騒がしさに目を覚ましたらしい。シロが首を伸ばしながら、大あくびをしていた。



 数十分後、儀堂家の居間では三人が食卓を囲んでいた。手早く食事を済ませると、小春は儀堂に湯飲みを手渡した。


「ありがとう。ごちそうさまでした。小春ちゃんが来てくれて助かったよ。あやうく乾パンで朝飯をすませるところだった」

「もう、そんなこと言って。大げさなんだから」

「いや、本当さ」


 長期間、家を空けていたため、儀堂家には碌なものが置いていなかった。

 小春は、儀堂の反応に満足すると、ふと台所の方へ顔を向けた。


「ねえ、あの子、何も食べなくて大丈夫なの?」


 シロのことである。ネシスは感心したように肯いた。


「あの竜ならば、数日は何も口にせずとも支障は無かろう。どうやら、ここに来るまでにたらふく腹に入れてきたようじゃからのう」

「そんなにもつの?」


 小春は目を丸くした。


「聞くところによれば――」


 儀堂は卓に茶を置いた。


「魔獣の消化効率はかなり良いらしい。彼等は少ない食料で長時間活動できるんだよ」

「そうなの……」

「それに成長も速い。寛がシロを拾ったのは、それこそ五ヶ月ほど前だった。そのときは猫ほどの大きさしか無かったのだが、いまや土佐犬ほどの大きさになっている。オレはあれの成体と出くわしたことがあるんだが、それこそこの家ほどの大きさだったな」

「ええ、ちょっと待って。そんな大きさになったら……」


 思わず我が家の屋根の突き破るシロの姿を想像し、小春の顔は蒼くなった。ネシスは苦笑をすると、すっと立ち上がった。


「案ずるな、小春よ。そうならぬようお主を呼んだのじゃから」

「どういう意味?」

「付いてくるが良い」


 そう言うとネシスは台所へ足を向けた。


「ちょっと待って! 片付けが先でしょ!」


 食器を手早く盆に載せると、小春は後に続いた。


◇========◇

次回10月30日(水)投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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引き続き、よろしくお願い致します。

弐進座


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