純白の訪問者(Case of White) 3
【東京 世田谷 三宿】
翌朝、儀堂家を訪れたのは小春ひとりだけだった。
「おや、小春ちゃんひとりかい?」
玄関で出迎えた儀堂は小首をかしげた。父親の形見だろうか。藍色の着物を着流している。
「ええ、そう。兄貴は朝早く飛行場へ行っちゃった。訓練だってさ」
「やれやれ、任務とは言え、あいつも調子のいいやつだな」
ぼやく儀堂だったが、真実は全く異なっていた。小春が寛に「来なくても良いわよ」と言ったのである。「任務で疲れているだろうから、ゆっくりしたら」と続ける妹に対して、寛は天変地異でも起きたような形相になった。小春はいささか不本意な思いを抱きつつも、自分の家を後にして、儀堂家の玄関をくぐってきたのである。
「衛士さん、朝ご飯まだでしょ? これよかったら食べてね」
小春は手風呂敷包みを手に儀堂家へ上がり込んだ。そのまま居間へ向っていく。勝手知ったる儀堂家である。まったく迷いのない足取りだったが、数歩だけでふと止まる。
「その、あの子は、どこ?」
所在なさげに小春はあたりを見回した。
「あの子?」
「ほら、あの舶来の女の子よ。ネシスさん」
儀堂は、わずかな間をおいて合点のいったふうにうなずいた。たしかに小春から見れば「あの子」になるだろう。外見上のネシスは、小春よりも年下だった。
「ああ、あいつ……ネシスなら――」
「ずいぶんと早いのう」
からかうような口調で、ネシスが洗面所から顔を出した。水玉のワンピースを着ている。見覚えがあった。かつて衛士の妹、真琴が着ていたものだった。小春は胸の奥をわずかなひっかりを感じたが、表情に出すことは無かった。
「あなたが来いって言ったんでしょ」
「はて、妾は朝から来いと言った覚えはないのじゃが?」
「それはそうだけど……あたしだって用事があるの。学校だってあるんだし。朝早くか夕方くらいしか空いてないんだから。それとも一日中ここにいろって言うの?」
「お主が望むのなら、妾は構わないぞ。なんなら、しばらくここで暮らしてみるか?」
ネシスは眼を細めて言うと、小春は思わず息を飲んだ。
「暮らすって私と衛士さんが? な、なに言ってんの?」
「のう、ギドー? かまわないじゃろう」
儀堂は軽くため息をついた。
「ネシス、からかうんじゃない」
「なに? この娘が居ては困るのかや?」
「そうじゃない。小春ちゃんの都合も考えろ。厭がっているだろうが」
小春は小さな声で否定したが、儀堂の耳には届かなかった。
「だいたい、お前が竜の飼い方を教えると言いだしただろう。ちゃんと面倒を見ろ」
「ふふん、本当にお主というヤツは罪作りな男よのう」
「どういう意味だ?」
「そういうところじゃ。まあ、よい。小春とやら、
「お前は、この家の何なのだ?」
ぼやくように言うと儀堂は台所に消えていった。
「衛士さん、座ってて! あたしがお茶を入れるから」
慌てて後を追った小春は、片隅に丸まった白い塊を目にした。幼竜のシロだった。台所の物置で首を丸めて寝ていた。
「シロ? 衛士さん、家に上げたの?」
「ああ、人目につくだけで騒動になりそうだったからね」
「なるほどね……」
確かに儀堂の言う通りだった。戸張家からシロを連れて行く最中、通りすがりの住民から好奇の目を向けられ、いたたまれない思いだった。兄の寛はどこ吹く風のようだったが。
「本来なら檻にでも入れるか、鎖に繋ぐべきかと思ったんだがね。まあ、ネシスが反対したんだよ」
儀堂はガスコンロにマッチで火をつけるとヤカンを置いた。ごとくから少しずれた位置だったので、小春は取っ手をつかんで火が当たるように直した。
「ああ、ありがとう。まだ慣れてないんで、助かるよ」
小春は昨日から気になっていたことを切り出すことにした。
「衛士さん、その眼は――」
「ああ、こいつかい」
眼帯を差しながら、儀堂は言った。
「いわゆる名誉の負傷というやつだよ。気にしないでもらえると助かる」
「あ……うん」
柔らか口調だったが、小春は立ち入ることを控えることにした。改めて、彼女は目の前の男が軍人であることを思い出したのだ。
「衛士さんは居間で待ってて。あたし一人で大丈夫だから」
「しかし――」
「いいって! 男子厨房に入るべからずって言うでしょ」
思わず儀堂は苦笑してしまった。小春の理論を適用するのならば、世の大半の軍事組織は禁に触れることになる。
「わかった。じゃあ、頼むよ」
片隅からカモメのような間延びした鳴き声が聞こえた。
騒がしさに目を覚ましたらしい。シロが首を伸ばしながら、大あくびをしていた。
◇
数十分後、儀堂家の居間では三人が食卓を囲んでいた。手早く食事を済ませると、小春は儀堂に湯飲みを手渡した。
「ありがとう。ごちそうさまでした。小春ちゃんが来てくれて助かったよ。あやうく乾パンで朝飯をすませるところだった」
「もう、そんなこと言って。大げさなんだから」
「いや、本当さ」
長期間、家を空けていたため、儀堂家には碌なものが置いていなかった。
小春は、儀堂の反応に満足すると、ふと台所の方へ顔を向けた。
「ねえ、あの子、何も食べなくて大丈夫なの?」
シロのことである。ネシスは感心したように肯いた。
「あの竜ならば、数日は何も口にせずとも支障は無かろう。どうやら、ここに来るまでにたらふく腹に入れてきたようじゃからのう」
「そんなにもつの?」
小春は目を丸くした。
「聞くところによれば――」
儀堂は卓に茶を置いた。
「魔獣の消化効率はかなり良いらしい。彼等は少ない食料で長時間活動できるんだよ」
「そうなの……」
「それに成長も速い。寛がシロを拾ったのは、それこそ五ヶ月ほど前だった。そのときは猫ほどの大きさしか無かったのだが、いまや土佐犬ほどの大きさになっている。オレはあれの成体と出くわしたことがあるんだが、それこそこの家ほどの大きさだったな」
「ええ、ちょっと待って。そんな大きさになったら……」
思わず我が家の屋根の突き破るシロの姿を想像し、小春の顔は蒼くなった。ネシスは苦笑をすると、すっと立ち上がった。
「案ずるな、小春よ。そうならぬようお主を呼んだのじゃから」
「どういう意味?」
「付いてくるが良い」
そう言うとネシスは台所へ足を向けた。
「ちょっと待って! 片付けが先でしょ!」
食器を手早く盆に載せると、小春は後に続いた。
◇========◇
次回10月30日(水)投稿予定
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
よろしければご感想、フォロー・評価やツイートをいただけますと幸いです。
引き続き、よろしくお願い致します。
弐進座
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます