遠すぎた月(A Moon Too Far) 5:終

【東京 築地 海軍大学校】

 昭和二十1945年七月二十九日


 六反田少将と副官の矢澤中佐が内地に帰還したのは、前日の七月二十八日のことだった。


 二十七日に二式大艇でシアトルを発ち、途中のミッドウェイ島で燃料補給を終えて、ようやく横須賀へ辿り着いた。ほぼ丸一日かけて、太平洋を横断してきたことになる。


 海軍大学校の一室では、慌ただしく荷ほどきが行われていた。表向き、戦訓研究室として接収している部屋だ。その実態は六反田が長となっている月読機関の管轄となっていた。この部屋に限らず、建物全体が月読機関のものとなっている。


 あちらこちらへ荷物を移動させたせいで、室内のテーブルを埋め尽くしている紙の束がいくつか雪崩を起こしていた。しかし、部屋の主は気にするそぶりすら見せなかった。


「閣下、荷ほどきくらい、せめて誰か従兵にやらせてはどうですか?」


 忙しなく動き回る六反田に矢澤は思わず意見具申を行う。こんなことでは落ち着いて仕事ができない。


 矢澤は自身の執務机で北米戦線での戦況報告をペーパーにまとめていた。時差ボケで、霞がかかったような頭脳を無理矢理回転させている。


 矢澤の要請はにべもなく却下された。


「莫迦を言え。機密の塊だぞ。遣米軍の幹部連中や合衆国のお偉いさんを口説き落として吐き出させたペーパーやデーターだからな。そう易々と扱わせられるか。五月蠅いと思うなら、君も手伝いたまえ」


 矢澤は辟易した様子で、首を降った。


「お断りします。閣下、お忘れですか。どこかのどなた様あなたが、井上海軍大臣と山本軍令部総長へ出さねばならない報告書を代わりにまとめているのですから」


 六反田は鼻で笑った。


「冗談じゃない。そんな社交辞令じみた報告書なんぞ、やっていられるか。だいたい、北米の戦況報告は他にいくらでも届いているはずだろう。今回、<宵月>と本郷中隊の活躍と反応爆弾の成果は誰の目にも明らかだったのだからな」

「まあ、あれだけ派手に暴れれば否が応にも知れ渡るでしょう。聞くところによれば、合衆国から相互技術供与の話が来ているそうで……」


 六反田は肩眉を上げた。


「耳が早いな」

「私にも友人は居ますから」

「憂うべきかな、我らが防諜態勢……」

「合衆国の友人ですよ」

「どちらにせよ、問題だ。やれやれ、まあ、おおむね君の言う通りだ。反応爆弾の開発援助と引き替えに、うちの魔導機関と鬼の嬢ちゃんを見せろと言ってきている」

「どうされるおつもりで?」

「見せてやるさ。なんなら、魔導機関の設計図をそっくり渡してやってもいい」

「それは……本気ですか?」


 正気と言いかけた所を、矢澤はかろうじて回避していた。


「ああ、本気さ。渡したところで支障は無い。連中なりに概念を理解し、恐らく複製に成功するだろう。ひょっとしたら量産してくれるかもしれん。だが、肝心のものがなければ意味が無い。おい、最後まで言わせるなよ」

「月鬼ですね」

「まあまあ、正解だ。より正確には魔導を使役できるものだ。宮内省の技官が言うには、理論上は人間でも魔導機関は扱える。だが、魔導機関の出力に堪えられるものはそうそういない。ありゃあ魔力を莫迦食いするからな」

「つまり合衆国が魔導機関を稼働させるためには、動かせる者をどこからか調達しなければなけない」


 呟くように矢澤は言うと、六反田は意地の悪い笑みを浮かべた。


「さて、ここで問題だ。合衆国がソイツを調達するとしたら、どこから持ってくる?」


 矢澤はしばらく考えた後で、口にするのをためらった。あまりにも突拍子もないことだった。


「まさか……」

「そういうことだ。虎穴に入らずんばと言うだろう」

「しかし、いや、その通りですが……」

「もちろん、連中だけでそれができるとは限らない。いずれ、心強い先導者パートナーが必要となるだろうさ。そう、実際に虎穴で虎児を得た者が適任だ」

「閣下は、最初からそのつもりだったのですか?」


 矢澤は呆気にとられていた。恐れてすらいるようだった。


「まあ、上手く転べばそうなるかもしれないと思っていたさ。合衆国は合理主義の大国だ。我らが<宵月>の有用性を理解したら、すぐに何らかの反応をみせるだろうとは思っていたよ。ただ、まあ――」


 六反田は荷物の整理を一区切りさせると、長いすに腰を落ち着けた。その顔から笑みは消し去られている。


「あの月獣の出現は、さすがに予測できなかったさ。こいつはちょいと面倒だぜ。不確定要素にもほどがある。ありゃあ、反則だ。おーい、従兵おらんかぁ?」


 ドアから顔をのぞかせた従兵に、六反田は珈琲を頼んだ。


「君はどうする?」

「ありがとうございます。せっかくですが、私は結構です。この報告書を終わらせたら、茶を入れますよ」

「そうか。まあ、そいつは適当に済ませるといいさ。エクリプスと壇之浦については、オレから直接井上さん達に話してやるさ。一言で終わる話だがね」

「どういうことですか?」

「遠すぎたんだ」

「は?」

「あの月は、我々には遠すぎた。そういうことだ」


 六反田は従兵が運んできた珈琲を有り難く受け取り、一口だけ飲むと顔をしかめた。不味かったのではない。成すべきことを思い出したのだ。


「ああ、そうだ。あとで儀堂君と本郷君に連絡を頼む。二人とも内地ないちに戻ってもらうぞ。それから例の専属飛行隊について、井上さんをせっついてくれ。腕の立つ戦闘機乗りが必要だと言っておいたはずだ」

「承知しました」


 矢澤は肯くと、執務机に向き合った。彼が適当に報告書を終わらせたのは二時間後、それから六反田の言伝を各所へ回し終わったのは一時間後のことだった。



 三週間後、八月も終わりかけた頃、<宵月>と本郷中隊は内地へ帰還した。


◇========◇

※2021年6月23日追記

書籍化に向けて動きます。

まだ確定ではありませんので、

実現できるように応援のほどお願いいたします。

(主に作者と作品の寿命が延びます)


詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)

もしくは、活動報告(2021年6月23日)を

ご参照いただけますと幸いです。


ここまで読んでいただき、有り難うございます。

引き続き、よろしくお願いいたします。

弐進座




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