暗夜航路(Dark waters) 4:終

「……何をやっている?」

「見てわからぬのか。お主を待ちくたびれて、寝ていたのだ。それにしても、この寝床は固すぎるのではないか。お主にとって、睡眠とは苦行なのか?」


 儀堂は額に手を当てた。頭痛の気配がしてきた。


「そういうことじゃないと、わかるだろう。なんでここにいる? ここはオレの部屋だ。お前の部屋にはもっと良いベッドがあるだろう。眠たいなら、そこで寝ろ」 


 儀堂は自分の後方にある扉の方を指さした。確かに、今日の戦闘で様子がおかしかったので、ネシスのことが気にはなっていた。だが、正直なところ、今は勘弁して欲しかった。丸一日艦橋で指揮を執った上に、あの独逸令嬢と極寒の甲板で暗澹たる会話を繰り広げた後なのだ。脳みそが休養を欲していた。


 ネシスはそっぽ向くと、黙りこくってしまった。拗ねたようだ。こいつと出会って2ヶ月以上経とうとしているが、相変わらず何を考えているのかわからなかった。妙齢の女性のように、こちらを手玉に取ってくるかと思えば、今日のようにまるで幼子のような態度をとることもある。


 儀堂は取りあえず、ベッドの端に腰掛けた。


「何か、オレに用なのかい?」

「………」

「言っておくが、答えなければオレはこのまま床で眠るぞ」

「最近、よく夢を見るのじゃ」


 ぽつりと呟くようにネシスは言った。顔は向こうを向いたままで、表情はうかがえない。


「夢?」

「ここ二、三日、頻繁に現われおる。今日の戦いの前もそうじゃった。妾は夢を見ておった」

「なるほど」


 相づちを打ちながら、儀堂はあることに気がついた。やはり、こいつ戦闘前に寝てやがったな。


「それで、怖い夢でも見たのかい?」

「……そういうわけではない」


 そういうわけなのだろうと思った。


「妾が、そんな夢ごときで、このような真似に及ぶと思うのか」

「ああ」

「否定せよ!」


 ネシスは怒った顔で起き上がった。怒り顔を初めて見たような気がする。


「無礼にもほどがあろう!」

「すまない。で、どんな夢を見たのだ?」

「夢の中で、誰かが妾の名前を呼んでおった……」

「名前を? つまり、君を知っているものの夢だな。まさか――」


 儀堂は思わず、ネシスのすぐ側まで身を乗り出した。知人が出てくると言うことは、あることを示唆していた。


「記憶が戻ったのか?」

「違う。あ、いいや、わからぬ。誰の声かも、妾には思い出せぬ。ただ、あれは泣いておった。聞くに堪えられないほどの叫びじゃ。心を削り取られるような慟哭であった。妾には聞き覚えがある。何しろ、ほんの少し前に、妾も同様の叫びを上げておったのだ。あの忌々しい、黒い牢獄BMの中で……!」


 ネシスの瞳に光るものを認められた。


「相手の姿は見えたのか? それとも声だけか?」

「声だけじゃ。ギドーよ。あれは妾に助けを求めておった。きっと妾に近しいものに違いない。ああ、あの慟哭、妾の耳にこびりついて離れぬ。妾はどうすれば良いのだ……」

「それは――」


 儀堂はネシスから目を逸らした。誤魔化すつもりは無かった。彼にも似たような経験があるのだ。今でも思い起こさせる。家族の遺体を引き取った日のことを。数秒の間をおいて、再び儀堂はネシスと向き合った。


「二つだけ確かなことがある」

「……なんじゃ?」

「まず忘れないことだ。君に助けを求めるものがいることを、あるいはいたかもしれないことを。君はその人物が誰か思い出す義務がある。これは私からすれば自明だ。なぜならば、君が思い出さねば、恐らくその者は報われる機会を永久に逸するからだ」

「………」

「次に、君がここにいるということだ。ここは帝国海軍所属の<宵月>であって、あの黒い月ではない。君を束縛するもの、できるものは皆無だろう。帝国海軍はおろか、人類の中で君を制約できるものはいない。ああ、そうだ。オレは例外だからな。君をこき使う心づもりだ」


 ネシスは吹き出すように笑った。


「お主とはそういう約束じゃからな」

「そうだ。存分に働いてもらう。ただ、そのためには君が万全でなければ困る。というわけで、もう寝ろ」

「ギドー、一つ頼みがある」

「なんだ?」

「この寝床を妾に預けよ」

「……そこで寝るのは苦行と口走らなかったか?」

「そんなこと言ったかのう」


 ギドーは首を振った。ここで自室へ戻して、悪夢とやらに精神を乱されても困る。


「勝手にしろ」

「無論、そうさせてもらう」


 ネシスはそういうと再び寝転がった。


「ああ、そうじゃ。妾と同衾するのを許すぞ」

「断る」

「なんじゃ、つれないのう」

「オレにはやることがあるのだ」

「艦長とやらの仕事か?」

「そうだ。だから、早く寝ろ」


 ギドーはベッドから立ち上がると、備え付けの簡易机の方へ向った。実際、彼には仕事が残っていた。今日の航海日誌を書かねばならない。ネシスは、机で何やら書き留める儀堂の姿をしばらく見ていたが、やがてネジが切れたように寝息を立て始めた。


――ようやく眠ったか。


 机から振り向き、寝顔を確認すると、儀堂は航海日誌の続きを書いた。全く今日は書くネタだけは困らなそうだった。もっとも全てを書くことはできないだろう。特にあの独逸令嬢との会話は。


「夢か……」


 あのネシスが、ああも怯えるとは相当な悪夢だったのだろう。ここ二、三日前から続いていると言っていたが、今後も続くようならば軍医に診せる必要が出てきそうだ。医者に診せて何とかなる類いのものならばいいのだが、望み薄だった。


「よりにもよって、魔獣の襲撃が活発化してきているというのに――」


 日誌のページをめくり、過去を振り返る。ちょうど三日前から魔獣の襲撃頻度が活発化してきていた。しかも日を追うごとに、襲撃の規模が大きくなっている。

 儀堂は、妙な因果を感じてしまった。


――ただの偶然だろうか?


 それにしては不穏な一致だった。

 しばらく考えた後、儀堂は備え付けられた高声電話は手に取った。小声で呼び出し先に話しかける。


「儀堂だ。副長、ひとつ頼みがある。三航艦第三航空艦隊の司令部へ意見具申をする。陣形の再編だ。<宵月>を警戒ピケット担当に当ててもらう。位置は――」


◇========◇

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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今後も宜しくお願い致します。

弐進座

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