北太平洋(North Pacific) 2:終
儀堂の呼びかけに、ネシスはしばらく答えなかった。やはり、またぞろ居眠りかと思う。
「おい、ネシ……」
『起きておる』
気のせいだろうか。鼻の詰まったような声だった。
「……風邪でも引いたのかい? 声が変だぞ」
『引いておらん。それより何の用じゃ?』
不機嫌そうだったが、無用な追求は避けることにした。何よりも今は時間が無い。
「魔獣だ。タイプはクラァケン。味方の船に張り付かれた。引きはがせるか?」
『たやすいぞ。妾の歌を届かせる準備をするがよい』
「わかった」
儀堂は通話先を水測室へ切り替えた。
「水測長、周辺に敵獣の反応はあるか?」
『味方に張り付いた一体のみです。それ以外は認められません』
「宜しい。水中拡声機を用意」
『宜候。
水測長の兵曹が揶揄するように応えた。
「そうだよ。暫く
『承知しました。おい、お姫様の子守歌だ。すぐに放送の用意にかかれ』
<宵月>の船底で変化が生じた。船体中央部、喫水線下に隠された
儀堂はさらに<宵月>を増速させると、クラァケンに取りつかれた油槽船の真横につけ、同航状態に持ち込んだ。喫水線上にクラァケンの触手がはみ出ている。極めて遺憾に思う。一刻も早く処分せねばと思う。
「副長、付近の艦艇に通達しろ。これよりローレライを行う」
「承知しました」
<宵月>の通達を受け、半径10キロ圏内の艦艇、その水測員が一斉に耳当てを外した。巻き添えを食らわないためだった。
「左舷、水中拡声機作動。ネシス、頼む」
『よかろう……』
水面から這い出ていた触手が急速に力を失っていくのが見えた。油槽船を羽交い締めにしていた触手どもは、糸が切れたように次々と水中へ姿を消していった。
やがて、油槽船からクラァケンが船体より離れたと通信が入った。どうやら依然としてクラァケンに体当たりされた破孔より、浸水しているが航行可能なようだった。
「すぐに、この海域から離れてください。またすぐにヤツは襲ってきます」
儀堂は油槽船へ無線で命じた。相手は彼より遙か年上の船長だった。
『わかっとる。ただ、今動くとかえって浸水が広がるんだ。少し待ってくれ』
相手はどうやら元軍人のようだった。声の態度、冷静さと状況判断の的確さから判断した。確かに、まともに応急措置を行わずに航行した場合、返って浸水の被害を酷くすることになる。
「申し訳ないのですが、時間がありません。ほんの200メートルばかり進んでいただけませんか。さもなければ、ヤツを取り逃してしまう。あなた以外の船が被害に遭うかもしれない」
儀堂は既に散布爆雷の照準を油槽船が漂う海域へ合わせていた。
『……ああ、認めよう。軍人さん、あんたの言うとこは正しいよ。ただ、もしものときはケツをもってくれ』
「ええ、もちろんです。我々はそのためにいるのです」
油槽船はよろよろと退避を始めた。完全に攻撃圏外から外れたのを認めたところで、儀堂は散布爆雷の投射を命じた。24個の小型爆雷がクラァケンの潜伏海域へばらまかれた。
数十秒後に水柱が数本立ち上がり、バラバラになった肉片が浮き上がってきた。歓声を上げる間もなく、再び儀堂は喉頭式マイクのスイッチを入れた。
「ネシス、もういいぞ。ヤツは眠った」
念のため数秒の間をおいてから、右耳に耳当てを装着する。以前うっかり彼女が歌い終える前に装着してしまい、その場で昏倒したことがあったのだ。
ネシスの使った魔導は、
「ネシス、どうかしたか?」
『別に……どうもせん』
やはり、声にいつもの覇気が感じられなかった。儀堂はあえて問いただすべきか考えたが、敵獣は彼に迷う隙すら与えてくれなかった。
「外周哨戒艦より警報。敵獣3体が警戒線を突破。こちらへ向ってきます」
興津が高声電話を握りしめて言った。
「水測室へ、聴音を再開させろ。一匹残らず、例外なく駆除する」
<宵月>が駆除を完了させたのは、それから3時間後のことだった。
◇========◇
ここまで読んでいただき、有り難うございます。
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今後も宜しくお願い致します。
弐進座
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