嫌われ莉歌ちゃんの日常
第57話 「莉歌ちゃん」
今回は莉歌目線の一人称となります。
******
篠原さんへの報告の日。
気が重い。
進捗を報告するのが嫌なんじゃなくて、篠原さんが嫌。
皆は篠原さんの高飛車で冷たい態度が嫌って言うけど、私の場合はちょっと違う。
はっきり言って、私と二人きりだとあの人あからさまに態度が変わる。
それが嫌。
「失礼します」
無機質なドアを重々しく開け、中に入った。
案の定、篠原さんは私を見るなり席から立って早足で私に近寄ってくる。
早足が段々小走りに……来るぞ!
私はぎゅっと体に力を入れ踏ん張る。
そう、篠原さんの小走りは単なる助走に過ぎない。
私に飛び付くための!
「ぐふぇっ」
いつにも増して飛び付きが半端じゃない。
「莉歌~。待ってたよ~。お腹減ってない?先にお昼食べに行こっか?」
「い、いえ。食事は済ませましたので大丈夫です。本日は報告だけと思いましたので」
「えー。せっかく楽しみにしてたのに」
なんなんだ、この人は。
普段は他人を見下すように冷たい態度で接するのに。
よくしてくれるのは嬉しいが、この溺愛はちょっと……。
ついでに飛び付いてからの頭撫で撫ではやめてほしい。
母親ぐらいのおばさんに頭撫でられても嬉しくもなんともない。
それに今は二人じゃなくて……
私の目線の移動に気付き、篠原さんは私から離れて席に戻った。
先程、皆の前と二人きりでは態度が違うと言ったが、例外がある。
この部屋には今、私と篠原さん、そしてもう一人いる。
この『駒摘・諏江ヶ原法律事務所』の共同代表で、孝太郎君の「小林優真・朝倉彩音」の案件と私の案件の内容を一番詳しく知っている人物。
つまり、依頼主本人なのだ。
もちろんこの事は駒摘さんの希望で孝太郎君には伏せられており、彼は駒摘さんと面識があってもこのことを知らない。
篠原さん以外で知ってるのは私とベルだけ。
ちなみに駒摘というのは旧姓で今は結婚して二児の母だが、夫婦別姓なんだとか。
バツイチで前夫との間に子供が一人いるのだが……本人は公にはしたくないらしい。
篠原さんも結婚して篠原になったが、事務所の名前は駒摘さんに合わせて旧姓の
篠原さんも一児の母だが、子供の性格が母親そっくりだ。
私にめっちゃ仲良くしてくるところとか。
同年代の同性になつかれてもなぁ……。
しかし、実のところ私はこの二人に頭が上がらない。
この二人がいなかったら、私はとっくに死んでいたに違いない。
人生に絶望して、将来に絶望して、自分に絶望して。
***
「莉歌、報告なんてさっさと終わらしてちょうだい。早くお昼に行きましょ」
ん?行くこと前提?
私、さっき食べたから要らないって遠回しに言ったんだけど。
「はい。では案件番号一二七八五。こちらに関しましては大きな進捗はございません。引き続きターゲットに接触し、今月中には終わる見込みです」
なぜか沈黙が漂う。
「莉歌。違うでしょ」
「と、申されますと」
「駒摘を見て」
促されるままに駒摘さんを見ると、目をキラキラさせてこっちを見ている。
よほど自身が依頼した案件が気になるんだろう。
事情が事情だけに、わからないでもないけど。
「では、案件番号八五四七七。こちらに関しましては担当の伊藤と相手方が接触する想定外の事案が発生し、現在やや複雑になっております。私の方でなんとか軌道修正をしておりますが、伊藤側も事案完了まで時間はかからないと思われます」
駒摘さんをちらっと見る。
ん?なんか不服そう。
「莉歌ちゃん」
「はい、駒摘先生」
「ものすごく詳しく聞きたいの。朝倉彩音さんのこと」
朝倉彩音のこと?
そんなの自分で直接聞けばいいじゃないか。
「かしこまりました。まず、伊藤に事務所及び休憩室への盗聴器設置を依頼しましたが、運良くエアコンが故障するという事案が発生した為、修理業者に紛れ潜入し設置しました。その際、朝倉彩音さんとは残念ながら接触はできませんでした」
故意か偶然か。
孝太郎君がエアコン壊したから、変装して潜入できたんだよね。
でも、あの時勝手に食べたアイスクリーム美味しかった!
イチゴの果肉がたまらんかったわ!
もう一個あったからバレてねぇだろ。
「その後、伊藤が前回受け持った案件の関係者が彼を探していると
対応ってゆーか犯罪だな、あれは。
手段はどうあれ、女子高生のスマホを盗んで壊したんだから、窃盗と器物損害と……まぁ終わったからいいか。
てか、ベルのことを来栖って呼ぶのダサッ。
「私の抱えております案件の調査の為、伊藤へ盗撮カメラの設置を依頼しました。これに関しては、問題なく回収し特段危惧すべき事象は起こらず、朝倉彩音もこの件には絡んでおりません。データは駒摘先生の指示通りこの後お渡しします」
嘘です。
めちゃくちゃ起こりました。
ハプニング満載でした。
あの時私は二階のマッサージ機でほぐされながら盗聴してたけど、過去最高に笑ったわ。
孝太郎君もなんとか誤魔化そうと必死だし、あのムカつく女もめっちゃ焦ってた。
いい気味だ。
あの女、高寿湊心は気づいてないようだけど、私と孝太郎君は一度彼女と接触してる。
私が孝太郎君を留置所へ迎いに行った時、その帰りにぶつかってきたのがあの女だ。
失踪した従業員の件で警察署を訪れたらしい。
ぶつかってきたのに難癖つけてきて、結局孝太郎君が強引に私を引っ張って帰ったんだけど……孝太郎君も忘れてるみたいだし。
それにその失踪した従業員ってのは……
ま、いっか。
上手く孝太郎君がカメラを持ち出してくれたから良かったけど、警察の手に渡ったら大変だったわ。
ま、いづれ警察に出すんだけどね。
てか、まぢで一緒に風呂入ってたのが羨ましい……
私も試してみよかな。
「伊藤には秘密にしておりますが、私の方も当初より小林優真と接触しております。今回、伊藤と小林が接触したことがきっかけでより私の方へ気持ちが移っていると考えられます。小林の性格から判断するに、朝倉彩音よりも母性的で従順な女性を演じている以上、私を選ぶのも時間の問題です」
ごめんね、孝太郎君。
信用してない訳じゃないの。
信用してない訳じゃないだけど、でも、やっぱり心配だから。
孝太郎君が朝倉彩音を可愛そうになって、本気で恋をしてしまわないか。
その前に私が止めないと。
まだ、私のこと見てくれてるよね?
「現在滞りなく進んでおりますので、十一月までには完了見込みです」
私が軽く頭をさげると、篠原さんは盛大な拍手を私に送った。
まるで子供の発表会に感動した親御さんのようだ。
駒摘さんはというと、私の報告に何度も頷き真剣な眼差しを向けてくれていた。
実は篠原さんよりも駒摘さんの方が怖いのだけど。
「では、引き続きまして案件番号四一九五四。こちらですが」
が、報告を始めるや否や駒摘さんは興味が失せたのか、自身のスマホをさわり始めた。
自分で依頼してやらせといてその対応はないだろ。
仕方なく報告を続ける。
「現在、詳細を確認しておりますが、両者の間に恋愛感情はなくただの親密な友人といった認識が正しいかもしれません」
無言。
なんだこの沈黙は。
「報告は以上です」
二人ともこの件に全く関心がないらしく、なんの反応も示さない。
「さ、これで全部終わりね。莉歌、お昼行きましょ。駒摘はどうする?」
「あ、ごめん。私はこれから彩音に会わないといけないから」
え!会うの!
じゃあ私の報告なんか聞く必要ないでしょ!
「とりあえず莉歌ちゃん。その盗撮のデータを私にちょうだい。加工して返すから小林って男の仕業にでっち上げてほしいの。辻褄合わせお願いね」
「かしこまりました」
そう言って駒摘さんは盗撮データを受けとると、足早に事務所から出ていった。
篠原さんはと言うと、既に出かける仕度をしている。
「実の娘がDV被害に苦しんでるって知って何とかしたかったのはわかるけど。わざわざ莉歌を使わなくったって、気になるなら自分で聞いて直接動けばいいのにね。それに前夫の依頼まで受けるなんて、バカな女よ」
違う。
きっと駒摘さんの狙いはそこじゃない。
孝太郎君がいるからだ。
これを利用して孝太郎君と朝倉彩音をくっつけようとしてるとしか思えない。
孝太郎君の知らない事実。
駒摘さんと朝倉彩音は実の親子。
これは絶対に公言してはならない。
私の推理はこうだ。
きっとあれだけ可愛ければ恋の一つや二つは簡単にしてるに違いないし、寄ってくる男も少なくないはずだ。
そしてそれは実母である駒摘さんも聞いているはず。
女子というものは幾つになってもおしゃべりだからな。
そしてもし大学時代に、気になる男性がいると駒摘さんに言っていたなら、駒摘さんはその男のことを探っていただろう。
そして、その男が自身のビジネスパートナーである篠原理恵の命を救い、彼女の下で働き始めた。
そして、DV被害を受けていることを知った駒摘さんはこれを好機と捉えたに違いない。
朝倉彩音がかつて憧れた男性と結ばれるチャンスだと。
全部私の推理だし確証は持てないが、少なくとも孝太郎君に依頼主が自分であると言うことを隠している辺り、かなり怪しい。
だからだ。
だから、篠原さんよりも駒摘さんのほうが怖いんだ。
「莉歌、何が食べたい?」
まだ誘うか、この人は!
「篠原さん、実はもう」
「違うでしょ?プライベートな時は何て呼ぶの?」
でた。
篠原さんのめんどくさいやつだ。
「……ごめんなさい、ママ。あんまりお腹空いてないの」
私を我が子のように溺愛してくれるこの人を、私は気色悪いと思っている。
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