誰かを愛するは己が自由と知れ!

桝屋千夏

第一章 千夏と彩音の日常 ~からかい上手とテンパり屋さん~

孝太郎登場!?

第1話 「彩音?バレバレなんだけど」

 ──「他人の人生のひとコマに土足で立ち入る仕事よ」


 彼女は淡々と他人事のように語る。

 その冷酷で冷淡な言葉と歪んだ笑顔が、脳裏に染み付いて離れない。

 でも、もう嫌なんだ!

 これ以上、他人の人生を勝手に傷つけるなんて!

 誰かが誰かを好きになるのなんて、そいつらの勝手だ!

 誰かが誰かを愛するのなんて、そいつらの自由なんだよ!

 

 ──じゃあ、俺は……?


 俺は彩音を騙して全部終わりにする。


 ******


 ゴールデンウィークが過ぎて早1週間。

 日本各地が大いに賑わった大型連休が終わり、世間は何事もなかったかのように平常運転に戻っていた。

 しかし、日本国民全員が大型連休を謳歌したわけではない。

 大型連休から見放されたサービス業で働く人々は、いつもと変わらず今日もどこかでせっせと働く。

 そしてこの物語の舞台『スパ・エディシャン』の従業員達も例外ではない。


 山際が白く染まり始める朝。

 休憩室の掛時計が朝の六時三十分を指す。

 窓の向こうからは小鳥の可愛らしいさえずり。

 窓から差し込んだ太陽の日差しが、気ままにくつろぐ一人の女性を照らし出す。

 その女性は新聞を読みながら、誰に言うでもなくぶつぶつと独り言を呟いている。


「今日も気分がパッとする様な明るいニュースがないねー。こんなのばっか書いてるから新聞売れねぇんだろ?これ書いてるやつ、新聞売る気あんのか?」


 その女性の名は、桝屋千夏。

 ここ『スパ・エディシャン』で働く二十六歳フリーター。

 短大卒業後、バイトの延長でそのままパート勤務となった生粋のフリーターで、経験値と元々のスキルが高いため、一通りのことは難なくできる。

 それ故、周りの従業員からは『社員よりデキるパート』と慕われている。

 ……のだが、実態は単なるテンション高い系のポジティブバカである。

 仕事前に欠かさず新聞を読むのは「デキる女っぽいっしょ!」という単なる格好付けなのだが、そもそも早朝に出勤する従業員が少ないので誰もそんなことは思っていない。

 本人曰く「これをしないとやる気がでない」のだそうだ。


 千夏が欠かさず新聞を読む風景は、早朝勤務だとよく見かける風景なのだが、もう1つよく見かける風景がある。


 勢いよく従業員用勝手口のドアが開き、千夏と同じぐらいの歳格好の女性が息を切らして走り込んできた。

 年季の入った黒いリュックを背負い、お昼ご飯がパンパンに詰まったコンビニのナイロン袋を左手に握りしめている。


「ハァ!ハァ!」


「お!彩音ー、今日は速かったね!」


「で、でしょ……ハァハァ……」


 読んでいた新聞を早々と片付けながら、千夏は手慣れた動きで時計を指差す。


「仕事開始まであと二分四十秒」


「余裕!」


 彩音と呼ばれた女性は一目散にロッカールームへ駆け込むと、慌ただしく仕事の用意を始めた。


「なぁ彩音ー。おーい」


「むり!」


「彩音ー。おーい」


「喋りかけんな!」


 彼女はこの物語のヒロイン、朝倉彩音である。

 四年制大学卒業後、本社勤務を経てこのスパへ配属となった二十六歳。

『本社で有名なデキる新人』と評される程の実力の持ち主で、スパ配属一年目で責任者を任される程の逸材である。

 千夏とは歳が同じということもあり非常に仲がよい。

 本来なら社員で責任者である彩音が千夏の上司にあたるのだが、配属当初の教育係が千夏だった為、どうにも彼女には頭があがらない。

 千夏が『デキるパート』で『ポジティブバカ』であるのと同様に、『デキる社員』の彩音にも弱点がある。

 それは彼女が人並み以上の『テンパり屋さん』というところだ。


 新聞を綺麗に折り畳みテーブルの上にポツリと置くと、椅子にだらーっと腰掛けさっきから慌ただしくしている彩音に依然としてちょっかいをかけ続ける。


「彩音ー聞いてるー?さっきさー、支配人が来て彩音を探してたぞー」


 ガタンッ!ドゴッ!


 人体と硬い物がぶつかる音がした。

 その衝撃音で、彩音が完全に動揺してるのが容易にわかったが、それでも躊躇なくちょっかいをかけ続ける。


「なんでもさ、新規採用したパートさんをここに配属したいんだとよー。今度はどんなおばちゃんかなぁ」


 ガチャガチャ……ダン!


 彩音は勢い任せにロッカールームを閉め、その音が、二人だけの静かな休憩室に響き渡った。

 その音を彩音の気持ちに則して日本語に訳すならば「黙れ」と訳せるだろう。


 千夏は再び時計の時刻を確認し、なかなか姿を現さない彩音にプレッシャーをかけるようにさっきよりも大きめの声で問いかける。


「あと三十五秒。……ここで問題です。ここを統括しておられる朝倉彩音さんが勤務十分前にも関わらず不在だったため、代わってこの桝屋千夏は偉大なる支配人の『朝倉さんは?』の問いかけになんと答えたでしょーか!」


 遅刻ギリギリの着替えという毎度のルーティンを終えた彩音は、彼女のトレードマークであるポニーテールを結いながらロッカールームから出てきた。

 少し毛先にパーマのかかった黒髪を一気にまとめ上げたポニーテールは、彩音の代名詞そのものだ。


「え!急にわかんないよ!えと、えと、『今はいません』……かな?」


 彩音が少しおどおどしながら差し障りのない平凡な答えを披露すると、千夏はニヤリと笑みを浮かべ何かの気配を過敏に察知したのか、急に椅子から立ち上がりぴしっと姿勢を正した。

 背筋を伸ばしてしっかり立つと千夏のモデル並みのスタイルのよさが際立つ。


「ブーー!正解は『いつも遅刻ギリギリで来ますので、業務開始七時ジャストにドアを開けてみてください』でしたー!」


「はい?」


 嬉しそうにニコニコと答えを発表する千夏に、彩音は困惑の顔にイラつき口調で返した。

 と、同時に休憩室のドアがゆっくりと開き、二人の視線がとっさにドアに移る。

 その瞬間、千夏の顔にこれからの展開が楽しみで笑いをこらえきれない悪魔的な笑みが溢れ、反対に彩音の顔はイラつきを抑えるあまり左頬がピクピク痙攣している。

 僅かの間だが、彩音は千夏を睨み付けた。


「朝倉さん。おはよう」


 休憩室と隣通しで連なる事務所のドアを開け、初老手前の男性が入ってきた。

 彼は、ここ『スパ・エディシャン』の支配人、三宅敦である。

『スパ・エディシャン』の説明は後日するとして、彼は『スパ・エディシャン』のスパ関連施設の総合責任者として、彩音達社員の上司にあたり、三宅マネージャーと朝倉チーフによって現在の『スパ・エディシャン』は運営されていた。


「おはようございます、三宅支配人。桝屋さんから私に用があったとお聞きしましたが?」


 遅刻ギリギリにも関わらず、さっきからいました感を必死で醸し出そうとする彩音を見て、千夏は吹き出しそうになるのを必死にこらえた。


「あぁ、そうなんだよ。急で申し訳ないんだけど、一名野原園からこちらに配属になってね」


「ペットショップのパートさんがですか?」


「いやいや、厳密には野原……ペットショップに配属予定だった新人パートさんなんだけれど、色々あってこっちに配属になったんだよ。まぁ、その辺の事情はさておき、さっそく朝倉さんに任せたいんだが……」


「かしこまりました。私と桝屋さんで立派な従業員にしてみせます」


「ありがとう。ではさっそく……」


 と言いながら、三宅支配人は事務所側へ向き直り、左手で誰かを呼ぶ仕草をした。

 その動作を見た彩音が、慌てて三宅支配人に待ったをかける。


「いやいや、ちょっと支配人!今から?」


「そ、そうだが何か……」


 三宅支配人はきょとんとした顔で答えた。


「いや、いつもなら前もって話があってですね……それに私も急だとシフトの調整が難しくてですね……」


「だから急で申し訳ないんだけどって言ってるだろ?君らなら大丈夫だろ」


 彩音の抵抗は簡単に一蹴された。

 すかさず千夏がフォローに入ろうとしたが、鋭い眼光に意見を言う前に一蹴されてしまう。


 三宅支配人は顔は笑顔だが、声は明らかにムスッとしている。

 そしてそれ以上反論しても返り討ちになることを経験上知っている二人は、お互い目配せし「鬼だ、こいつ」と心の声がハモったのを感じた。


 三宅支配人はどこか急いでいるようで、再び事務所に向かって誰かを手招きすると、三人のやり取りを気にする素振りもなく、事務所の蛍光灯に照された人影がゆっくりと動きだす。

 そして、事務所から現れたその人物は、彼女達の予想を軽く裏切る人物だった。


 後に、この人物が彼女達の人生に大きく関わっていくことなど、今は誰も知るよしもなかった。



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