~奇跡のターフ~ 5

 奇跡はまだ起きていない。いや、起こったのだろうか。具体的に言うならば、山城はまだ日本ダービーに出てすらいない。そう、ダービーに勝つという願いは叶えられていないが、死んだはずの自分がもう一度、山城に会うことができた。それ自体が奇跡と言えるのではないだろうか。

 真樹は言った。「山城様がもう一度、ダービーの舞台に立てるように説得してください」と。そして、そのための場所も用意してあると。もし、バーの中で説得しても、埒があかないようであれば、その場所へ行けば、きっと山城の気持ちは変わるはずだとも。

 ただ、山城の気持ちは揺るがなかった。

「ありがとうございました」

 牧村はいつものようにスコッチ・ウイスキーを舐めている真樹に向かい、頭を下げた。真樹が牧村の方に身体を向ける。

「それで、どうでしたか?」

「ええ…、たぶん、あいつの気持ちは変わらないでしょう。やはり、馬に乗るのが未だに怖いのかもしれない。でも、いいんです。最後に会えただけで、私は十分ですから」

「そうですか。それは残念です」

 真樹は椅子を立ち上がり、牧村の元に歩み寄る。

「ただ、これで終わったわけではありません。あなたは、あなたなりにできる限りのことをしたはずです。最後まで山城様を信じてください」

 頭を起こした牧村は深く頷く。

「自分は、昔から諦めの悪い男でしたから」

 牧村はソウタに乗った感触を思い出していた。「山城は運が良い。あんなに速い馬に出会えるんだから。しかも、一生に二頭もだ」。素晴らしい馬に出会い、今も生きている山城に対して、羨ましくもあった。ただ、そこに一切の妬みはない。「これまでお前に素晴らしい出会いがあったのは、お前が真面目で慈愛に溢れる人間だからこそだ。そう、必然なんだ。お前は誰かを不幸にしているとは思わない。少なくとも、俺は」。

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