20

「…最近元気ないね」


「え…?」


 ふいに、センが顔をのぞき込んだ。

 梅雨も明けて…あたし達の公園デートが復活した。

 図書館だと思うように話せないから、外で会えるのは嬉しいけど…

 また陸に見つかるんじゃないか…なんて思うと、少し気が気じゃなかった。


「…そんな事、ないよ」


 そうは言ってみたけど…無理があった。

 あたしのバレバレな嘘に気付いてるセンは、少し眉を下げてあたしを見てる。


「ごめん…」


「体の調子でも悪い?」


「ううん」


「……」


 もう好きにならない方がいい。

 でも…

 もう、とっくに傷付いてしまってる。

 あたしとセンは結ばれない。

 それに気付いてしまった時点で。



「…ごめん。ちょっとイヤなことがあったの。でも、もう大丈夫」


 あたしは、わざと笑ってみせる。


「…イヤなこと?」


「ごめん。土曜日なのにセンが来れたんだもん。楽しまなきゃね」


 いつも、土曜日はお弟子さんをとってるから会えない。


「大丈夫?」


「うん。」


 そう。

 大丈夫。

 自分に言い聞かせて、座ってる足を少し前に伸ばした。



「…今日さ、うち誰もいないんだ。来ない?」


「え…?」


 伸ばした足先を見てる所に言われて、驚いた顔でセンを見上げる。

 誰もいない…から…誘ってるの…?


「…いいの?留守の時に」


 何となくマイナスな気持ちになってしまって、また足先を見つめながら答えると。


「僕は二人きりで嬉しいけど」


 …あたしを、家の人に会わせたくないから…じゃなくて…

 二人きりに…なりたいから。

 照れ臭そうに、あたしの隣で足を伸ばすセン。

 センがあまりにも正直で…嬉しい反面、切なくなる。



「織に…お茶をたてたいんだ」


「え…あたしに?」


「うん」


「……」


 嬉しい…けど…複雑だった。

 だけど、センがあたしのために思ってくれてる事を、断る理由もなかった。


「…じゃ、おじゃましちゃおっかな…」


「うん…」


 センはゆっくり立ち上がると。


「ん」


 あたしに手を差し伸べた。

 一瞬…誰かに見られたら…って思ったけど…


「…ん」


 あたしはセンの手を握った。



 そのまま、手を引かれて歩いた。

 のっぽなセンは、いつも白いシャツで。

 その白いシャツに降りかかる長い黒髪。

 銀縁の丸い眼鏡の奥には、優しい瞳。

 …こうして…言葉もなく歩いてても…伝わる。

 センが、あたしを…どれだけ想ってくれているか。



「…え、ここ?」


「うん」


 公園から歩いて10分。

 辿り着いたのは…大きな門構えのお屋敷。


「すごーい…」


 門から入ると、まるで庭園のような庭。

 これこそ、あたしが思い描いていた「ヤクザの家」よ。

 大きな池も、きれいな芝生も、すごく手入れが行き届いてる。

 …ヤクザと名家は紙一重なのね…。


 センはお屋敷の玄関とは違って、離れにある茶室にあたしを招いた。


「楽にしてていいよ」


 …とは言われても、こんな厳粛な雰囲気の部屋じゃ、正座してるより他はない。

 あたしがキョロキョロしたり、膝の上に置いた手を握ったり開いたりしてる間に。

 センは手際よく準備を始めた。

 そして…

 センの手が、あたしのためにお茶をたて始めた。

 それを、あたしはぼんやり眺める。

 早く、そうかと思うと優しく円を描くその手を愛しいと思った。

 その姿を見ただけで、あたしには…ほど遠い人だと感じてしまった。



「どうぞ」


「あっ、どー…やって?」


「好きに飲んでいいよ」


「そんな、恐れ多いよ」


「織には、そうしてほしいんだ」


「……」


 センに真顔で言われて、あたしは困りながらも。


「…いただきます」


 まるで普通にお茶するみたいに、手を合わせた。


「白い花…」


 お茶碗を持ち上げたところで、白い花の柄が目に入った。


「とっておきの茶碗だよ。織にどうしてもその茶碗で飲んで欲しかったから」


 とっておきって…もしかして、高価なのかな…

 あたしに、そんなお茶碗…使ってもらって良かったのかな…

 そんなこと考えながら、ゆっくり茶碗に口を付ける。

 少しだけ苦みが喉を通ったけど、センのお茶をたてる姿を思い浮かべながら飲むと、それもすぐになくなった。


「……」


 目を閉じて、お茶碗を口からはなすと。


「…大丈夫?」


 って、センの遠慮がちな声。


「ん…」


「あ、濃い過ぎたかな」


「そうじゃないの…気持ちがこもってて嬉しかった…」


 目を閉じたまま、涙を我慢する。

 するとセンは、少しだけホッとしたように。


「…良かった」


 優しく笑った。


「部屋に行く?」


「センの部屋?」


「うん」


「行きたい」


「何もないよ」


「それでも、いい」


「じゃ、先に上がってて。二階の突き当りだから。何か飲物もってくよ」


「分かった」


 茶室を出て、勝手口からお屋敷に。

 すぐに引き戸を開けたセンを見て、お屋敷は勝手口には鍵をしないの?なんて思った。


 センに言われた通り、階段を上がって突き当りの部屋に向かう。

 長い廊下から窓の外を眺めると、本当に世界が違って見えた。

 ここは…

 …あたしが居るべき場所じゃない。


「……」


 一瞬立ち止まったけど、ここまで来たら…って気持ちもなくもなかった。

 …ううん。

 もう…止められない…って、思った。



「……」


 部屋のドアを開けて、パチパチと瞬きをした後、小さく笑ってしまった。

 本当に、何もない部屋。

 でも、センらしい…

 陸は部屋中ポスターだらけで、音楽雑誌なんかもころがってて…

 そういえば、ギター…どこに隠してるんだろ。



「…何してんの?」


 あたしが机の下をのぞきこんでると、センがジュース持って笑いながら問いかけた。


「あ…ギターどこかなと思って」


「天井裏」


「そっか…見える所にはないよね」


 首をすくめて、天井を見る。

 センはジュースを机に置いて。


「…織」


「ん?」


 あたしの目を見て…言った。


「イヤなことって…僕が関係ある?」


「…どうしたの?急に」


 慌てて取り繕ったように笑ってみせたものの、センは真顔。


「僕が、関係あるね?」


「…違うの、陸とケンカしたの」


「僕の事で?」


「…陸に何か言われたの?」


「いや…」


 センは窓辺に座ると、窓を開けて風を入れた。


「もうすぐ誕生日だね」


「セン…」


「ん?」


「…許嫁がいるって、本当?」


「……」


 あたしが意を決して問いかけると、センは。


「…本当だよ」


 穏やかなままで答えた。


「……」


「…幻滅した?」


「…帰る」


 胸が痛くて、そうしなきゃって思ったけど…


「待って」


 センが、あたしの腕を取った。


「いるけど、僕が好きなのは…」


「…あたし、そんなふうに割り切れない」


「……」


「ごめん…」


「いや…」


「最初から分かってた。あたしとセンは世界が違うって…」


「そんな!」


「それでも、惹かれた」


「……」


「もう、辛くなるだけだから…会わない方がいいかもね…」


 結局…陸の言うとおりだ。


「織、僕は…」


「……」


「いつか、ギタリストになる」


「…え?」


 あたしは、センを見上げる。


「…お茶…は?」


「お茶はー…家元じゃなくたって…たてれるから」


「でも、だからって…」


「僕はお茶も好きだしギターも好きだよ。でも両方はできないんだ」


「……」


「だから、ギターを選ぶ」


「セン…」


「待っててくれないか」


「……」


「何年かかるかわからないけど、絶対…」


「セン」


「……」


 センをたまらなく愛しいと思った。

 あたしたちは、お互いを欲しいと感じた。


「織…」


 あたしの体に、センの長い髪の毛が降ってくるのを心地よく感じながら。

 あたしは…センを…



 試してしまったのかもしれない。

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