アル・スハイル 2
「この機会に、孤児院の事件について、話しておこうと思う」
サネスが、私たちを見まわした。
ジニアスが私の腰を引き寄せ、肩を抱く。伝わってくる体温が、私の心を落ち着かせる。
ジニアスに抱かれた状態を嬉しいとも恥ずかしいとも感じないほど、私は緊張してサネスの言葉を待った。
「表向きには、孤児院の事件は、ミザルという魔術士の単独犯で、彼の死亡が確認されたというところで、事件は終わったと、されている」
いつになく、低い声でサネスは、眉を寄せた。
魔道灯で照らされて充分に明るいはずの室内に、小さな闇のシミが生まれるような感覚。私の身体が無意識に震え、さらにジニアスの手に力がこもった。
「実際の犯行現場には、複数犯を思わせる複数の魔術が確認されていた。もちろん、一番の主犯は、ミザルだったのは間違いないのだが」
サネスは大きく息を吐き、首を振る。
「ミザルは、魔術学校を優秀な成績で卒業し、国の魔術研究所に勤めていたエリートだ。もっとも、事件を起こす半年前に、禁忌である黒魔術を実験していたという理由で懲戒免職になっている」
「禁忌である黒魔術、ですか」
ジニアスが苦い顔で呟く。魔術研究所の場合、知識として『黒魔術』を研究することは是とされている。あくまでも、『防止』や『対抗措置』を考えるためではある。もちろん、知識としては、ある程度までは魔術学校でも教えるらしいが、研究が許されるのは『魔術研究所』の研究員だけだ。しかも、『実験』は許可制。ものによっては、『実験禁止』なものもある。特に、『生気』を奪うような黒魔術の『実験』は全面的に禁止とされている。
「その後、ミザルがどこへ行ったのか、定かではない。もちろん、調査はされたが……」
「圧力がかかったのですね?」
ワイズナーが片目をつりあげながら、そう言った。
「そうだ。……軍からだ」
「というと、ミザル自身が、軍の思惑で動いていた可能性もあるわけですね?」
ジニアスの言葉に、サネスが頷いた。
「実は、軍から、コゼットの身柄を要求されたことがあった……」
サネスの表情が曇る。
「その要求があまりにも正規ルートとは思えないところから来ていて、コゼットの保護をしていた監察魔術院としては、とても承諾できるものじゃなかった。だから、コゼットの記憶がない事を理由につっぱねて、コゼットの身に何かあったら軍の責任とみなすと、元老院で当時の主席が担架を切った……そのあと、監察魔術院から証拠が全て引き上げられた」
「え?」
初めて聞く話だ。
「もっとも、コゼットのことがなくても、軍は最初からその気だったと思うし、実際、我々も手詰まりだった」
サネスはふーっと息を吐いた。
「当時……軍の魔術師部隊は、かなり怪しい動きをしていて……当時の部隊長のシャウラは、その三年後に隣国グジャルのスパイと発覚して逮捕された。ただ、シャウラは、元老院の誰かとつながってはいるようだったが、獄中死して、それは結局、明るみにはでなかった。もっとも、監察魔術院の捜査圏外だから、詳細はわからん」
「十二年前、ですか。資料を当たってみます」
ワイズナーが渋い顔で頷く。
「頼む。とりあえず、そのペンダントは、解析だな……いいかな、コゼット?」
サネスは私に確認をする。私に否はない。
「それから……無理をして思い出そうとしなくていい。思い出すことでお前がどうなるかのほうが、心配だ」
「でも、何かお役に立てるかもしれないですし」
私を制するように、サネスは淡く笑った。
「コゼットは、もう十分役に立っている」
「……そうでしょうか?」
「いつだって、コゼットは無理をし過ぎる」
サネスはペンダントの方に目をやり、大きく息をついた。
「ジニアスにはもっと、しっかりしてもらわんと困るな」
「……わかっています」
ジニアスがぼそりと頷く。
どうして、ここでジニアスが出てくるのか、よくわからない。
「さて、と。忙しくなりますね。資料室に行かないと」
ワイズナーが腰を上げる。
「こんなに遅くから、お仕事に?」
私の言葉に、ワイズナーがニコリと笑った。
「アル・スハイルまで十日しかない」
「そうだな」と、サネスも腰を上げる。当たり前である。大きな犯罪が行われる可能性があるのだ。
私も立ち上がろうとして、サネスに目で制止させられた。
「ジニアスは、コゼットについていろ。明日の昼にでも、一緒に来ればいい」
「お養父さん」
見上げる私に、サネスはニコリと笑った。
「職場に来たら、二人ともこきつかう予定でいる。それまで、身体を休めなさい」
ペンダントをサネスは箱に入れさせて、懐に入れる。
「解析ははじめておく……コゼットを頼む」
「わかっています」
ジニアスは私の肩を抱いたまま、そう答えた。
サネスとワイズナーが帰ると、ジニアスは私の肩を抱いたまま、廊下へと出た。
「ジニアスさま、私、歩けますから」
身体を離そうとしたが、ジニアスの手にさらに力がこもる。
「ふらついている。無理をするな」
いくら体調が悪いとはいえ、こんなに甘えてはいけない、と思うのに、ジニアスは私の肩から手を離さない。
廊下は、魔道灯ではなく、ランプの明かりのため、少しだけ暗い。ぼんやりとした明るさと、ジニアスから伝わってくる体温で、私の心はふわふわとしてしまう。
「あら、ジニアス、その子なの?」
廊下の向こうから歩いてきた貴婦人が、私を見た。
年齢は四十代後半という感じだが、とても品のよさそうな感じで、容色の衰えもなく、艶やかに美しい。
ジニアスは、女性を見てふーっとため息をつき、仕方ない、という顔をした。
「母さん、こちら、俺の助手のコゼット。コゼット、俺の母だ」
私は慌てて頭を下げた。
「す、すみません。お世話になっておきながら、ご挨拶もしておりませんでした」
「あら、いいのよ。お身体はどう?」
女性は柔らかに微笑む。
言われてみれば、目がジニアスにそっくりである。
「そうそう。美味しいお菓子があるの。良かったら、一緒にどう?」
「母さん、コゼットは病み上がりだし、もう夜だ。お茶のお誘いには遅いだろう?」
ジニアスは不機嫌に言う。
「だって。歩けないほどひどいから、顔を出すなって聞いていたから、遠慮していたのよ」
「あの……本当にご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
私は、いたたまれない気持ちになった。本来なら、自分が動けるようになった時点で、家人に挨拶に行くべきだったと、思う。のんきに、くつろいでいた自分が恥ずかしい。
「あら、やだ。迷惑だなんて思っていないのよ。ジニアスからお話は随分と聞いているから、もう、他人とは思えなくって」
くすくすと彼女は私とジニアスを見る。
「そうそう、この前のピクルス、とっても美味しかったわ。このコったらね、部屋で隠れて食べていたのよ」
「母さん!」
ジニアスが声を荒げた。
そういえば、少し前に、ジニアスに頼まれて瓶詰めでピクルスをプレゼントしたことがあった。お行儀が悪い、とは思うけど、料理人がいるような家で、『助手が作った』からと披露するほどの料理ではない。隠れて食べた、というのは、単純にそういう意味だろうな、と、思った。
「コゼットは、体調が悪いって言っているじゃないか。いい加減にしてくれ」
「わかっているわよ。あなたも、嫁入り前の娘さんを自分の部屋に連れ込んじゃダメよ」
そんなことは絶対ありませんから、と、ジニアスの名誉の為に言おうとしたのに、ジニアスはひょいと、私を母親の前だというのに抱き上げた。よりにもよって、お姫さま抱っこである。
「あらあら」
自分の親が呆れたように見ているというのに、ジニアスは気にした様子もない。
「ほら、みろ。また熱が上がってきたみたいだ」
ジニアスが私を抱き上げたまま、自分の額を押し付けてきた。
たぶん、私は、真っ赤だ。恥ずかしすぎて、どうしたらよいかわからない。
熱が上がって当然だ。こんなことをして平気でいられると思う、ジニアスの方がどうかしている。
「……お大事にね」
なぜかうれしそうに彼女がそう言ったのが、ジニアスの背中越しに聞こえた。
今だけ、今だけだから。
私は、自分に言い聞かせながら、ジニアスの首に手をまわしてつかまる。
たとえそれが、恋でなくても。ジニアスが私を大切に思ってくれている……そのことがとても嬉しくて、私はそっと大きな胸に身体を預けた。
翌日の昼、私はジニアスと一緒に馬車で仕事に出かけた。
ジニアスは、馬車に乗ると、いつものジニアスに戻った。昨夜のあの甘さは、夢だったのかもしれない、と思ってしまう。
そもそも、『アル・スハイル』が間近に迫っている以上、のんきなことはしていられない。
私は深呼吸をし、車窓に目をやる。
町は、アル・スハイルに向けて、準備を始めていた。大きなお祭りのために、各地から芸人たちや商人も集まりつつある。クライマックスは、海の見える丘でのダンスであるが、その前日から屋台や、芝居の興行があったりするため、市場はいつも以上に賑やかになる。
やがて、馬車は監察魔術院に到着し、私達は馬車から降りた。
「コゼット、倒れたって聞いたけど……大丈夫?」
研究室にむかう途中、事務室に寄った私たちに、レナが声をかけてきた。
「心配かけてごめんなさい。もう、平気だから」
レナはホッとしたように微笑んだ。
「もう、昨日は、コゼットが倒れたって聞いて、みーんな静まり返っちゃって。たいへんだったのよ」
「そう? ありがとう」
いくらなんでもオーバーじゃないかな、と思いつつ、頭を下げた。
「そもそも、コゼットがいないと、お隣の上司さまは仕事が手につかないですしね」
「……心配するのは当たり前だろう」
呟くようにそう言ったジニアスの耳元に、レナが何事か囁く。
「なっ」
ジニアスの顔が真っ赤になった。私と目が合うと、慌てて目をそらす。
「なーんだ。まだか」
レナが大きくため息をついて、私の肩をポンと叩く。
「何?」
首を傾げた私に、「いくぞ、コゼット」と言いながら、ジニアスが背を向ける。
「あ、バーバニアン主席が、部屋に来るようにって言っていたわ」
思い出したように、レナが声をかけると、ジニアスは、「わかった」と手を上げた。
「絶対、いっちゃうと思っていたのに、つまらないなあ」
レナは首をすくめて、私の背中をポンと叩く。
「レナ?」
「大事にしすぎるのも、罪よねえ」
意味不明なことを言って、レナは仕事へ戻っていく。
「コゼット、どうした?」
立ち止まって、振り返るジニアスの声に、私は、弾かれたように「今行きます」と慌てて返事をした。
主席監察魔術士である、サネスの研究室に入ると、いつものワイズナーの他に、海軍の制服を着た、ブライアン・ラッセネクが待っていた。
なぜ、ここにラッセネクがいるのだろう、と思いながら、私は、サネスの部屋の片隅に立つ。
サネス・バーバニアンの助手は、マルカブ・ダンネス。背が低くて、気の弱い青年であり、奥の執務机に座り、メモを取っている。サネス曰く、才能はぴか一だが、性格に難あり、だそうだ。彼は、私よりひとつ年下であり、後輩である。性格ゆえに、才能はあるのに、独り立ちが難しいタイプだそうである。
ブライアン・ラッセネクはワイズナーとともにソファに座り、サネスと向き合っていた。ジニアスは、ゆっくりと、ラッセネクを睨みながら、サネスの横に座った。
「コゼット」
サネスは助手の定位置に立つ私を手招きし、自分の後ろに木椅子をさして、そこに掛けるように言った。
「でも……」
「コゼットは病み上がりだ。誰も文句は言わんし、言わせんよ」
サネスは、まるで暴君のようなことを言う。
私は、居心地が悪いとは思いつつ、言われたとおりに椅子に腰かけた。
「それで、どうして、部外者がここにいるので?」
ジニアスが不機嫌な顔で、ラッセネクを見る。ラッセネクは、軽く首をすくめた。
「彼は、どうしてもコゼットの役に立ちたいとうるさいのでね、巻き込むことにした」
サネスが渋い顔でそう言った。
「私?」
思わず口をはさんでしまい、私は慌てて口を押える。
「実は、コゼットさんと正式に交際をしたいとバーバニアン氏に申し込みに参りまして」
ニコリ、とラッセネクは私を見て笑う。
「交際?」
私が首を傾げると、サネスは肩をすくめた。
「取り込み中だからと、断ったのだが、あまりにしつこい。どうしても、コゼットにアピールするチャンスをくれとうるさくてな」
「しかし」
ジニアスの顔が険しい。それはそうだ。それと、これとは別の話ではないのか。
「軍の中に協力者は必要だ。この前の事後処理を見ても、彼は信用できる」
ワイズナーが渋い顔をしながら、そう言った。
「コゼットを売ると?」
ジニアスはサネスにつかみかからんばかりに、睨みつける。
「僕はそこまで、鬼畜じゃありませんよ。コゼットさんに僕を知ってもらうチャンスが欲しいだけです。無理強いするつもりは毛頭ありません」
ラッセネクはそう言って、微笑む。
「選ぶのは、コゼットさんだ。それに……その件がなくても、僕には協力する理由がある」
ラッセネクは表情を改めて、ジニアスを見る。
「僕の親は、孤児院に通いでつとめていた……これは、僕にとっても、解かねばならない『謎』だ。そして、僕は、そのために軍に入ったのだから」
私は、息をのむ。サネスと、ワイズナーが頷き、それが真実だと悟る。
ブライアン・ラッセネクの緑色の瞳に、懐かしい女性の顔が重なった。
「エニフさん……」
もやのむこうに、優しい女性が、頭を抱えながら倒れていくのが見える。
お菓子を差し入れてくれるはずの、優しい男が、杖を振るうと、大きな水晶玉のようなものに、輝く何かが流れ込んでいく。
いつもは、馬車から降りてくるはずの、男の連れは、今日はおりてこない。ただ、孤児院の外にとまっているだけ。私たちの異変に気が付いていないかのようだ。
男は、杖を振るいながら、何か意味の分からない言葉を詠唱する。そして、そのたびに、私の周りで、人が倒れていく。頭が痛い。とても苦しい。
「いやっ! 助けて……」
「コゼット!」
ジニアスの声が聞こえた。
しかし、私は頭を抱えたまま、椅子から崩れ落ち、世界が再び暗転した。
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