第35話 別れの言葉



(ここまで、か……)


 リョウは脱出手段がないことを悟った。完全に基地内に閉じ込められたのだ。


 最後は、自分の時代の施設の中で、キースの死体と共にこの世界から消えていく。そのことが皮肉に思えて、薄い笑いがこみ上げてくる。


(まあ、無関係な人たちを巻き込まずにすむならそれでいいさ)


 急に脱力感を感じて、リョウはテレポーターに背を預けて座り込んだ。

 そして、自分がもうすぐ死ぬことにあまり恐怖を感じていないことに気づく。それは、あまりの現実感のなさによるものなのかもしれない。

 ただ、アリシアのことだけが気がかりだった。


(アリシア……、すまない。どうやらここでお別れだ)


 彼女が自分のことをどのように感じているかは分からないが、ずっと一緒にいて距離が近くなったことは間違いない。自分の死が彼女に大きな衝撃を与えると思うと、心が重くなる。


(せっかく、この時代も好きになってきたのにな……)


 この時代に目覚め、アリシアと出会い、ここで生きていくのも悪くないと思い始めてきたところだったのだ。100年にも満たない本来の生を生きたなら、絶対に会うことができなかった友人たち。こんなにも早く、彼らに別れを告げなければならないことが残念だった。


(最初は、中世にタイムスリップでもしたのかと思ったんだよな……)


 ふと、目覚めたときのことを思い出して、笑みが溢れる。無意識のうちに、世界が退化したものと思い込んでいた。

 そして、初めて魔道を見た時の衝撃。

 文明は科学という物差しだけでは測れないことを教えられたのだ。


 人類はこの一万年で進化した。


 今はそう思える。

 科学力が低くとも彼らには魔道がある。自分の時代では夢物語だった火の玉もテレポートもここではなんの装置もなく、修行するだけでできるようになるのだ。


(そうか、魔道は火と同じなんだ……)


 突然の理解が訪れ、リョウはふと視線を上げた。

 10万年以上の太古から、人類は火をおこし様々なことに使ってきたのに、つい数百年前まで燃焼の原理を理解していなかった。しかし、当然その間も科学の法則に則って効力が生じていたのであり、何らかのオカルト的な力が作用したわけではない。


 魔道も同じで、自然に存在する法則や力を使っているのには代わりはない。単に、人類が理解していないだけなのだ。逆に言えば、魔道を科学的に研究していけば、高度に発達したリョウの時代においてさえ発見されていなかった科学の真理も解き明かせるだろう。科学者として、これほど胸が躍る研究材料があるだろうか。

 

 もし、キースが自分と同じような目覚め方をしていれば、この時代で共に生き、さまざまな研究もできたはずだ。そう思うと胸が痛くなる。

 それももう叶わない。自分は彼の暴走を止めるために魔道を用いて倒し、そして、己もまた、間もなくこの基地と共に滅びるのだ。


 リョウは、やるせない気持ちで、数日前までは親友だった男の亡骸に目をやった。


(お前も、もう少し目覚めるタイミングがずれていれば、こんなふうにならなかったかもな……)

(ん……?)

(なんだ……?)


 ふと心に奇妙な胸騒ぎが広がっていく。


 何かは分からないのに、今ここで思い出さなければならないという切羽詰まった緊張だけが全身を駆けめぐる。何か自分が助かるためのアイデアが、湧き出そうなのに出ないような焦りにも似た感覚。


(あっ!)

 

 そして、気がついた。まだ脱出の方法が一つだけ残されていることに。


(そうだ!)

(俺はまだ助かる!)


 うまく行けば、アリシアを悲しませずに済む。

 リョウは立ち上がって走り出した。



■■■■



 そのころ、アリシアは、リョウのテレポートを今か今かと待っていた。


(爆発までもう少ししか時間がないはず……)


 自分が転送されてから父たちが送られてくるまで、これほど時間がかからなかったのだ。それが、まだ何の音沙汰もない。ジリジリした気持ちのまま、崖から発掘現場を見つめる。

 何やら複雑な操作をしていた彼の邪魔をしてはいけないと思い、こちらから声をかけることはしなかったが、そろそろ限界だった。

 だが、ちょうどそのとき彼の声が脳に響いてきた。


『アリシア、聞こえるか?』

『リョウ!』


 彼の声を聞いて、アリシアは安堵のため息をつく。


『みんなは無事にテレポートできたのか?』

『ええ、こちらに着いてる。それとね、聞いて! お父さんが生きてたの! あと、ガイウスさんも』


 アリシアが振り返る。すぐ後ろでは、仲間たちが必死になって二人に治療を施していた。


『おお、そうか! よかった』

『だから、あなたも早く脱出して』

『……いや、もう無理なんだ』


 アリシアは、自分の顔から血の気が引いたのが分かった。


『ど、どうしてよ?』

『あの後、キースが来てな』

『何ですって!?』

『なんとか奴は倒したが、テレポーターが壊れたんだ』

『うそ、そんな……』


 声が震えているのが自分でも分かる。


『そんな声出さないでくれ。今、最後の手段を試そうとしているところだ。うまく行くかどうか分からないがな』

『リョウ、お願い、死んじゃいや。帰ってきて』

『いや、うまく行かなくても多分俺は死なないんだ。ただ、お前とはもう会えなくなると思うが』

『そ、それはどういう……?』

『それはな……』


 リョウが自分の計画を手短に説明した。それを聞いたアリシアは半信半疑だった。


『そ、そんなこと、うまく行くの?』

『さあ、どうかな。もう一か八かだな。だが、他にこれしか手段がない』

『……うまくいくことを祈っているわ』

『俺もだ。でも、ダメだったときのために、さよならだけは言っておく』

『リョウ、そんなこと言わないで』

『アリシア』


 リョウの声が改まる。


『お前と会えて、そして短い間だったが、一緒にいられて楽しかった。こんな時に言っていいかどうか分からないが、俺は……お前が好きだ』

『ああ、リョウ……』


 アリシアは、急に自分の心が暖かいもので満たされ、そして、雲の上を歩いているかのようなふわふわとした感覚に包まれた。そうだったらいいのにと思っていたことが現実になったのだ。

 だが、同時に、今の状況も痛切に思い知らされる。

 せっかく自分の想いが通じた相手が、生きて帰ってこないかもしれないのだ。


『わたしも……』


 アリシアはそこで言葉を切った。そして、溢れ出しそうな想いを抑え、全く違うことを言った。


『……ねえ、私の気持ちを聞きたい?』

『ああ、聞かせてくれ』

『じゃあ、帰ってきて! 私の所に生きて帰ってきて。そうしたら教えてあげる。私のことを置いていく人なんかに、私の気持ちなんて教えてあげないんだから!』


 表情は見えないが、リョウが優しい微笑みを浮かべているのが感じられた。


『……分かった。必ずお前の所に帰るよ。もう返事を聞けないってのは懲りたからな』

『ホントよ。私、待ってるから。約束よ!』

『ああ』


 そこで、遠話が切れた。


「リョウ!」


 アリシアは思わず声に出して叫んだ。

 声が崖の向こうに消えていく。


(生きて……、そして私のところに帰ってきて……)


 だが、アリシアは感傷に浸る暇なく現実に引き戻された。


「だめだ、怪我がひどすぎる。このままでは二人とも助からん」


 その声に、我に返り、地面に寝かされている父たちの方を振り返る。

 エドモンドたちが、発掘隊が持参していた医療用具とポーションを使って、何とか治療しようとしているが、機械兵との激闘で負った傷は深く、重篤な状態だった。


「アリシアさん、もう私たちでは、どうしようもありやせん」


 二人のそばにしゃがんで必死に手当をしていたエドモンドが、無念の表情でアリシアを見上げた。


「そ、そんな……」

「フィンルート村に、回復呪文を使える医者はいないのですか?」


 リンツが村人達に尋ねるが、一様に首を振るだけだった。


「くっ、どうすればいいんだ」

「今から医者を連れて来るっていっても間に合わないですよね」


 横からおずおずとティールが言った。彼は、ガイウスの部下の中では一番の若手であるせいか、常に遠慮がちである。


「ん?」

「我が騎士団付きの優秀な医者がアルティアにいるのです。強力な回復呪文が使えるので、彼に見てもらえば助かるかもしれません」

「だが、時間がない。それに、この状態ではアルティアまで連れて行くのは無理だ。今すぐ連れて来れればいいんだが……」


 もう少しここがアルティアに近ければなんとかなったかもしれない。だがこの距離では……。一同は絶望的な気持ちで黙り込む。

 だが、アリシアに、奇跡とも思える素晴らしい考えが浮かんだ。


「それよ! 今すぐ連れてくればいいんじゃない!」

「え? で、でも、どうやって連れてくるんですか?」


 ここからアルティアまで往復で半日はかかるのだ。テレポートなしでは到底間に合わない。


「簡単よ」


 アリシアは、にっこり微笑んで、そばにいたエドモンドを振り返った。


「エド。グスタフさんを連れてきて」



■■■■



 一方、リョウは、アリシアに別れを告げ、シャトルリフトに乗り込んでいた。


『居住棟2階』


 リフトのコンピューターに向かって行き先を告げると、すぐにリフトが動き始めた。


『リズ、爆発まであとどれくらいだ?』

『4分47秒よ』


(間に合うかどうかぎりぎりのところだな)


 やがて、リフトが停止して扉が開いた。リョウは、全力で走り出す。


(E-27……)


 部屋の番号を探しながら通路を駆けていく。通路の両側には研究員の部屋の扉が並んでいた。


 基本的に、居住棟の部屋はオートロックであり、本人以外は中から開けないと扉が開かないことになっている。ただし、家族など本人があらかじめ登録していた者なら、入室ログに記録されるものの、自由に入ることが可能であった。

 今向かっているその部屋は自分の部屋ではないため、本来は入ることはできない。しかし、リョウは自分がその部屋の入室許可を受けた者として登録されていることを知っていた。


(……)


 やがて、その部屋の前に到着する。扉の横の壁に示された部屋番号を確認するリョウ。そして、その部屋番号の下には居住者のネームプレートが張ってあった。


 カレン・ミルフォード


 リョウは、カレンの部屋に来たのだ。

 掌紋照合パネルに掌を当てると、ピッという音がして、ドアが開いた。

 急いで中に入ると、そこは当時の彼女の部屋のままだった。一万年が経過しているため、紙や布製のものは風化してちりとなっていたが、最低限の空調が行われており、それほど時間の経過は感じられない。

 その懐かしさに、カレンとの思い出が一気に心の中によみがえる。

 

 さまざまな感情に押し流されそうになるのをなんとか押しとどめて、リョウは部屋を見渡し目的のものを探した。感傷に浸っている暇はない。


『爆発まであと3分よ』


 それを裏付けるかのようにリズの声が聞こえる。


(あった!)


 リョウは、部屋の奥に自分が探していたものを見つけた。それは、コールドスリープカプセルだった。

 カプセルには、シールド機能が備わっている。コールドスリープに入ったあの日、居住棟がミサイルの直撃を受けてもリョウが生き延びたのは、この機能のおかげであった。そして、今再び、自分の命をこれに掛けることになろうとは、全く予想もしていなかった不思議なめぐりあわせであった。


 リョウは、カプセルに駆け寄り、リズに命じる。


『リズ、カプセル起動。コンフィギュレーションを俺に合わせて設定しろ。システムチェックはプライマリーだけやって後は飛ばしていい』

『了解』


 機械の駆動音が鳴り、いくつかの光が点灯して、カプセルの上蓋が開く。リョウは急いで中に入り、仰向けに横たわった。


『それと、爆発予定時刻になったら、短時間でいいからシールド最大にしてくれ。最初の爆発が一番激しいだろう』

『設定したわ。システムチェック完了。カプセルに異常ないわよ。反粒子爆弾の爆発まであと2分20秒』

『コールドスリープ開始』

『コールドスリープ、シークエンス開始するわ』


 蓋が両側からだんだんとせり上がってきて完全に閉じた。カプセル内はほんのり明るい。


『そうだ、忘れるところだった。爆発が収まったら、アリシアに聞こえるよう救難信号を出し続けろ』

『了解』


 もう後は運を天に任せるしかない。リョウは、目を閉じた。


(アリシア、あとは頼んだぜ)


 彼女の優しい笑顔が脳裏に蘇る。リョウは我知らず微笑んで、そして、意識を失った。



■■■■


 そのころ、アリシアは転送された崖の端に立って、遠く遺跡を見下ろしていた。


(もうそろそろ爆発する頃だわ)


 詳しい話は聞いていないが、本来なら、この地域一体が巨大な穴になってしまうぐらい猛烈な爆発を、基地全体にシールドを張って最小限に抑えるとリョウが言っていた。

 人間一人をシールドで包むというのは魔道にもあるが、巨大な建物を全て覆いつくすというのは聞いたこともない。アリシアは、旧文明の科学力に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。


 やがて、どこか遠くの地下から低い唸り声のような音が聞こえた。同時に激しい地響きが始まった。低い地鳴りが辺りに響き渡り、周りの山々が揺れ動いているように見える。その振動は、遺跡から離れたこの場所でも感じられた。


(来た!)


 アリシアが身を固くしたその時だった。突如、湖の底から大きな爆発が起こり、とてつもない量の土砂と水柱が天に向かってほとばしった。まるで火山の噴火である。

 だが、何ということだろう、それは空中で何か見えない天井にぶち当たったかのように跳ね返されたのだ。一瞬だけ何か半透明な覆いのようなものが光ったのが見えた。そのとき、初めて、アリシアは遺跡全体が透明な殻のようなものに包まれていることを知った。


 そして、跳ね返された湖水や土砂は瀑布のように湖面にぶつかって激しい音を立てる。あまりの衝撃と水の量に、水煙が濃い霧のように周りに立ち込め、しばらくの間視界の一部がさえぎられた。さらに、湖に面していた山の斜面も、爆発の影響で次々と崩れて、この世の終わりのような地響きをさせながら湖面に流れ込んでくる。湖面の水が激しくうねり、まさに大荒れの大海のような様相であった。


 それに伴い、今度は濁流の音とともに水位が急速に上昇していった。爆発のせいで、どこかの水脈に穴を開けたのかもしれない。見る見るうちに水かさは増え、発掘隊の小屋などもまるで洪水のように一気に押し流してしまった。


 これらは、もはや単なる土砂崩れや水位の上昇というレベルではなかった。もうすでに、先ほどとは風景全体が変わってしまっている。

 まさに圧倒的な自然の力であった。この光景を目の当たりにして、アリシアは人間の無力さを思い知らされ、ただ立ちつくしていた。

 シールドが爆発を抑えてこの状態なら、基地の中は一体どうなっているのだろう。

 こんな中を人は生き残ることができるのか。


(無理よ、こんなの、リョウ……)


 絶望に打ちのめされ、アリシアは茫然自失の状態で、ただその光景を見つめていた。



 どれくらいそうしていただろうか、やがて、地響きも土砂崩れも収まり、あたりは少しずつ静寂を取り戻す。湖水はまだ濁っており、湖面も上昇し続けてはいるが穏やかになりつつあった。

 だが、アリシアはその光景を見ているうちに、恐ろしい事実に気がついた。


(こ、これって、もしかして……)

(そうよ、これは……お母さんが見たのと同じ光景なんだわ)


 母は、当時湖の底に埋まっていたリョウをなんとか掘り起こそうと人事を尽くした。そして、その三年の間、時折ここに来ては遺跡を眺めていたと聞いた。それは、どれほど絶望的な光景だっただろう。しかも、母はその後、彼と再会することなく歳を重ね、亡くなったのだ。


(うそ……こんなの……)


 アリシアは、まさに自分が母と同じ立場に置かれようとしていることに気づき、半ばパニックになった。いや、状況はそれよりずっと悪いかもしれない。


 少なくとも母は、リョウが生きていること、そして、どこに埋まっているかは分かっていたのだ。しかし、自分は彼が生きているかどうかもわからないうえ、どこに埋まっているかすら分からない。たとえ生きていても掘り起こしようがないのだ。これでは、彼に会うのは不可能である。

 

 彼女は、リョウを失う恐怖、というより、すでに彼を失った絶望にかられ、空を見上げて天に召された母に懇願した。


「お母さん、お願い。助けて。私、リョウがこんな状態で一人で生きていくなんて無理よ」

「お願い……お母さん……」


 だが、奇跡は起きない。

 湖の水位は変わらず増え続け、母の声も天の啓示も聞こえて来なかった。

 

「帰ってきてよ……リョウ……約束したじゃない……」

 

 溢れる涙を止めることができずに、泣きじゃくる。


 だが、ここで不思議なことが起こった。

 何か声らしき音が聞こえた気がしたのだ。


『……シア……ア…シア……?』


 空耳ではない。母の声ではないが、確かに女性の声だ。

 アリシアは耳を澄ます。

 そして、次の声ははっきり聞こえた。


『アリシア~、聞こえる? 聞こえたら返事して~』


 この場に全くふさわしくない、のほほんとした口調。

 その声の持ち主と直接言葉をかわしたことはなかったが、声だけは耳慣れている。誰だかすぐ分かった。


『リズ!』

『ああ、聞こえてるのね、よかったよかった』

『リョウは? リョウは無事なの?』

『ええ、ちゃんと生きてるわよ。もうやれやれだわ。あのさ、今から場所を教えるからさあ、ちゃちゃっと掘り起こしに来てくれない?』


 この言い方を聞いて、アリシアは安堵に涙ぐみながらも、思わず吹き出した。

 

『今すぐ行くわ。待ってて!』




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