「夢想の法則」

泉由良

1) skeleton


      √



 ラボラトリはペールブルーの光が点っている。


 きみはスケルトン、これはスケルトン、NONOいつも凡ては見えてることさスケルトン、


 ヘッドフォンで流しているラップに合わせて、胡桃くるみは精神的に微振動していた。かなり以前にサーバにアップロードされていたものを拾ってきたのだが、BPMを他のラッパーの二倍に設定するこの歌手たちが好みだった。本当は音楽なら内耳に入れる受信機で聴こえるのだが、ヘッドフォンの方が音質が良いという迷信を好んでみることが多い。


「……不快な経過になりそうだな」


 胡桃は呟く。不快というのはつまり、仮定と違う経過を辿っているということだろう。又は胡桃自身が個人的に不愉快になる──しかしそれは生物の感情であって、何にも関与しない。ただ、予感と呼ぶかも知れない類いの怖気があった。


 メッセージの通知。31からだ。


『扶桑の動きの軌道を式とグラフにしています。サイクロイドです。添付しますね』


 試験体の水中花の中のひとつ、扶桑フソウのみが二次元上でしか動かないことが以前から注視されていた。全ての試験体の動きは記録されているが、三次元の養液槽の中で何故か平面上でしか動かない、しかも意図的にグラフを描いているのは扶桑だけだった。


『サイクロイド。トコロイドとは、アンテクだね』


 31に相槌を打つ返信。


 図面書類を一応開いた。トコロイドのグラフが添付されていて、数秒間のみ、胡桃は眉間を顰めた。グラフの対象性のある曲線は、女性の体の中の器官を想起させた。……ほら、不快になったよね。唇を咬む。そんな連想をしてしまった自分が不快だったし、31にも不快を覚えた。31に悪意は無いものであるし、だから全てが不愉快だ。大丈夫、現実が不快でなかったことなど、一度も無いだろう?


 お前の髄液を抜き取りスケルトン、トングで骨に喰いつきスケルトン、ここに肉はねえ喰えねえやスケルトン、畜生騙された現実はスケルトン。


 音楽は好い。


 音楽を作った奴のことも、好いと感じる。現在は生きているのだろうか。生きていれば良いな、と感じたが、それがどういう感情なのか判らなかった。死んでいる方が幸せかも知れない。少なくとも、死んでいる方が安定だ。


 97からメッセージの通知。31も97も、最も多く仕事の遣り取りをしている相手である。


『ドクタKRM。養液槽の前に来て貰えますか。これは……非科学的な言い分ですが……謂わばメッセージでは無いかと』

『メッセージ?仮にその、メッセージだとして、どうして31が受け取らないのかな?』


『それは扶桑が』


 文章の途中まで読みウィンドウを閉じた。何を云われるか予想はあった。


 これだから人工的生物は。


 不合理な悪態をついた。31も97も厳密な意味での生物学上の人間ではない。ホモ・サピエンスの個数は現在ではかなり少なくなってる。人工的に生成されて存在していることは彼らの願望に因ることではないし、ラボの誰もが研究者として有能だと胡桃は評価している。31も97も。だから悪意を持つのは理に適わない。


 通知音。


 胡桃は腹を撫でる。生理痛が無くなって良かったな、とぼんやり思った。以前なら──。

 ウィンドウを開く。


『パスカルの蝸牛形に動いています。問題があるというわけではありませんが、やはり異常ではないかと』


 さっき強制的に閉じたログを開く。


『──仮にその、メッセージだとしよう。どうして31が受け取らない?』

『それは扶桑が──先生の娘だから、と……』


 唇を咬んだ。水中花に与えた遺伝子などのことを、娘と呼ばれる筋合いは無い。


『そちらへゆくよ。扶桑以外は別の座標に移しているよね?』

『勿論』

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