第6回

 ゴールデンウィークが終わり、一週間あまりが経過していた。

 週一回あるホームルームの時間に、チューターから運動会の話があった。全員参加だと言う。曲がりなりにも中学・高校と運動部に所属していたので、運動会に特に苦い思い出がある、ということはない。しかし、塾にまで来て運動会か、という率直な感想と、面倒臭さが先に立つ。

 クラスの親睦を深める意味もあるのだろうが、ホームルームがあると言っても、中学高校とは違って、受けている講義もばらばらである。必然的に接触の機会も少なく、ほとんどの人と話したことがない。

 次いで、運動会運営のクラス担当の男女数名が前に立った。その中で、リーダー格らしき女の子が、「北棟六階の六〇〇教室で運動会の準備をしているので、手が空いている人は手伝いに来てください」と言った。全員参加と言われてしまえば仕方がない。その言葉に逆らってまで運動会をサボタージュする根性はそれがしにはなかった。

 

 不承不承ながらも、講義と講義との間が一コマ空いているとき、様子を見がてら北棟六階の六〇〇教室に準備を手伝いに行った。皆が積極的に参加しているようなら、それがしも覚悟を決めて手伝おう。皆があまり積極的でないのなら、それがしもそれなりに手伝おう。日和見的な対応を決めていた。


 教室内には、十台ぐらいの机でいくつもの島が作られていた。

 その中の一つに、名前を知らないけれども、ホームルームのときに手伝いのアナウンスをしていた女の子の姿が見えたので、声をかけた。他には、ホームルームのとき一緒に前に出ていたと思われる数名程度しかいない。

「何か手伝うことある?」

 彼女は少し考えてから、

「じゃあ、これに色を塗ってもらっていい?」

 と、それがしに頼んできた。

 それがしは黙々と作業を続けた。手元が留守になるから、それがしは話しながら作業をするのを好まない。作業自体は一〇分あればできるものだった。頼まれた仕事は終わったので、

「まだ他にある?」

 と、先ほどの彼女に尋ねた。

「もう、ないかな」

 と言われた。

 何だ、それは? 

 クラスの前で手伝いに来てくださいと言うので、さぞ準備が大変なのかと思った。段取りの関係上、今日はあまり仕事がないのかもしれないが、正直、拍子抜けした。

 彼女は彼女で、他の子たちと和気あいあいと話しながら、作業を進めている。しかし、話に気を取られ、作業の進捗は遅々としたものだった。

 教室内の様子を眺めてみると、どこのクラスも手空きのようだ。まだ本格的に準備が始まっていないのかもしれない。向こうから話しかけてくることもなかったし、こちらから話しかけることもなかった。仲間内だけでやりたいのなら、アナウンスしなければいいのに。来たことを後悔した。

 まぁいいや、今後、準備に参加するのは止めよう、と心に決めた。

 周りの様子を眺めていたら、見知った顔を発見した。経田だ。

「じゃあ」と適当な挨拶をして席を立ち、経田のいる島に向かい、経田に話しかけようとした。 

 その気配に気づいたのか、経田と話をしていた女の子が不意にこちらを振り向いた。

「海深!」

 と、その女の子がそれがしの名を呼んだ。目を向けると有賀だった。

「げ! 有賀」

「何が『げ!』よ、何が! 相変わらず失礼ね」

 有賀が、気まずそうな表情をしたので、少し安心した。「あぁ、海深君、久しぶり」と、平素な態度を取られた方がつらい。

「ドン、知り合いだったのか?」

 経田がのんきな声で話しかけてきた。

「あぁ、うん」

 それがしは適当な返事をする。何て答えたものか。

「海深とは高校一年のとき同じクラスだったの。経田君こそ、海深と知り合いだったの?」

 有賀が経田に当たり障りのない答えを返す。先ほどは気まずそうな表情を見せていたものの、今は余裕のある表情をしている。

 一方、それがしの動揺は未だ治まらず、経田の横にある席に座ってしまった。何か適当なことを言って、この場を離脱すべきだった。


 その後は、経田、有賀、経田のクラスメイトと話をした。経田の、こういう社交的なところは素直に感心する。有賀とも久しぶりに話ができた。二年ぶりであるが、ひどく懐かしく感じた。

 肝心の運動会については、特筆すべきことはなかった。大活躍するでもなく、逆に大失敗するでもなく、つつがなし、といった感じだ。

 そういえば、バスティーユ監獄襲撃が起こった日のルイ一六世の日記には、何事もなし、と書かれていたそうだ。これをもって彼を暗愚のようにいう人はいるが、実際のところはどうだったのだろう。大変聡明だったという話もある。

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