伊緒さんのお嫁ご飯〜番外・手作らず編〜

三條すずしろ

第1膳 ここぞとばかりの「カップ麺」。これまた妙においしかったり

 それはもう、ものすごい雨の日でした。

 関西にある、かつて夫が育ったお家に引っ越してきた初日のことです。

 荷物を解くのはまあ、おっぽらかしておいて、さっそく近くのスーパーに初買い出しに行くべかと思っていた矢先でした。

 一天にわかにかき曇り、逆巻く風がすぐ裏手の山に当たって、不気味な唸り声をあげたのです。

 あれよと言う間に空は臨界点を迎え、わたしは生まれて初めて「黒雲」が湧き上がる様子を目にしました。

 カッ、と青紫のフラッシュを焚いたように雲の内部が輝き、次の瞬間「ゴガン」と特大の雷鳴が炸裂したのです。

 かみなりさまが何より怖いわたしはぴゅーっ、とばかりにお家の中に逃げ帰り、耳をふさいで夫にぴったりくっつきました。

 こうすればおへそも隠せるので安心です。



 鳴る神の


 少しとよみて さし曇り


 雨も降らぬか


 君を留めむ



 万葉集にのっている柿本人麻呂の歌を思い出します。


 "雷がゴロゴロ鳴って、曇ってきた。

 雨が降ってくれたなら、あなたをこの部屋に引き留められるのに"


 そんな女の子目線、乙女力全開のこの歌が、わたしは大好きです。

 メディア作品で取り上げられてすっかり有名になった一首ですが、まさか殿方が詠んだ歌とは誰も思いますまい。

 さすがは"歌聖"、人麻呂さん。

 これには男の子目線バージョンの返歌もあって、萌え萌え必至ですのでぜひ調べてみてくださいね。


 さて、そんな雷の直後にやってきたのが冒頭のものすごい豪雨でした。

 もともとわたしたち夫婦は雨男・雨女という自覚があり、ふたりして出かけたり何かのイベントに参加したりするときは、必ず雨具を用意します。

 直近1年分のデータを見てみると、ふたりでお出かけした日の実に70%超が雨でした。

 これはちょっとしたもので、街で通りすがりの占い師の方に、

「あんたらには龍神さんがついてはる!」

 と叫ばれたことだってあるのです。

 

 なんだかお話がそれてしまいましたが、そのうち止むでしょうと思っていた雨は、一向にその勢いが衰えません。

 ちょっとずつ辺りも暗くなってきて、だんだん不安になってきました。

 なぜなら、そろそろ夕食どきにも関わらず、引っ越し初日で食材が全然なかったからです。

 このままではおなかを空かせたまま、記念すべき新居第一夜を乗り切らなくてはなりません。

 と、その時わたしは「ぺかーっ」とまめ電球が輝くようにいいことを思い出しました。

 またかみなりさまが鳴るとこわいので、夫にくっついたまま(つまり夫ごと)ずりずりと引っ越し荷物の段ボールの山へと向かいます。

 お目当ての箱はすぐに見つかりました。

 「非」という字を丸で囲った「マルヒ」の箱、すなわち非常食ボックスです。

 お引越しのバタバタで何を入れたのかほとんど覚えていなかったので、開封はちょっと楽しい作業になりました。

 まず出てきたのは非常食の王たる「乾パン」です。

 すっかり歴史脳になった人はこれを「いぬいパン」と読んでしまうのは有名なお話ですが、保存がきいておなかも膨れるので重宝します。

 底の方に氷砂糖が入ってるのもなんだかうれしいですよねえ。

 次に出てきたのは、いろんな種類の「カップ麺」でした。

 特売のときに買いだめしたものを、マルヒ箱に入れておいたのを思い出しました。

 いわずと知れた、インスタント食品の白眉。

 お湯を注ぐだけであったかいスープと麺ができあがるという、人類の叡智。

 その詳しい歴史はもはや申し上げますまい。

 「お湯で戻して食べる」というものは非常に古くからある保存食の発想ですが、容器がそのまま食器になるというあたりがカップ麺の最大の強みといえるかもしれません。

 カップ麺というと、とにかく身体によくない食べ物というイメージが強いかと思います。

 もちろんそれだけ食べて身体にいいわけはありませんが、たまーに食べると、これまたなんとも言えずおいしいんですよねえ。

 普段の食事では可能な限りインスタント食品を使わないようにしてはいますが、ひとりで暮らしていたときは相応にお世話になったものでした。

 免罪符のように刻みネギを散らしたり、たまごでたんぱく質をプラスしたりといった悪あがきも、いまではなつかしい限りです。

「伊緒さん、予報を見るとしばらく雨やみそうにありませんね。おなかも空いてきたし、とりあえず非常食でしのぎましょう」

 しめしめ。わたしからは言いにくいことを夫が言ってくれました。

 おへそを隠すためにまだくっついていたので、さすがに暑くなってきたからかもしれませんが。

 じゃあそれぞれ好きなもの選ぼうね、とは言いましたが、数種類を並べて見るとどれもおいしそうでなかなか一つに決められません。

 わたしの取り扱い方を熟知している夫はそれを予測済みだったようで、チラシの裏にアミダくじを書いてそっと差し出してくれました。

 なんかたのしい。

 わたしが引き当てたのは、もっともベーシックだと思われるおしょうゆ味スープのものでした。

 夫は海鮮風味の白いスープのやつでしたので、半分くらい食べたら「ばくりっこ(取り替えっこ)」してもらおうと思います。

 ガスは通っていましたけど、台所も荷物でごちゃごちゃしていたのでマルヒ箱に同梱していたカセットコンロでお湯を沸かしました。

 カップのふたをぺりぺりと小さく開けて、そおーっとお湯を注ぎます。

 もうその瞬間にいい匂いが立ち上って、おもわずおなかがグウと鳴ってしまいます。

 「永遠」とも称されるこの3分間の、なんとまあ長いこと。

 きっとワクワクしながら待つからなのでしょう。

 どういうわけかちょっぴり罪悪感のようなものを感じるカップ麺は、久しぶりに口にしたこともあってかやっぱりとてもおいしく感じました。

 しょっぱ過ぎるスープもそれはそれで風情があり、きゅっと縮れた麺は不思議な歯ごたえを楽しませてくれます。

 小さなエビとか圧縮されたミンチのようなお肉とか、炒りたまごやおネギを乾燥させたもの等々、あらためて見ると独特な具材もすごくおもしろいものです。

 乾物をお湯で戻すと、生のものとはまた違う旨味が出てきますが、まさしくあの感じです。

 そうだ、こんど自家製の乾燥ネギをつくってみよう。

 ふいにそんなことを思いつきました。

 小口切りネギの冷凍品はいつも用意しているのですが、あえて干し野菜にしておくのも楽しいかもしれません。

「久しぶりにカップ麺食べましたけど、なんだか妙に美味いですねえ」

 夫がしみじみとそう言うのがおかしくて、クスッと笑ってしまいます。

 でもそのあと、

「伊緒さんと食べると、なんだっておいしいです」

 さらりとそう続けた彼の言葉に妙に照れてしまって、

「ばくりっこしよう」

 というタイミングを、わたしはすっかり見失ってしまったのでした。

 

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