第124話

「どうしてそうなる?」


オケからも研究室からも出た簡単な答え。


僕が二日間とも行けばよい。


「あのさ、勘弁してよ。マジで……」


「あらあら、正くん。大変なことになっちゃったね」


「恵ちゃんも、肯定を前提としたコメントは控えてよ」



「じゃあ、こうしよう」


「僕は二日とも行く」


「おおっ!」


大樹と義雄が嬉しそうな顔で唸る。


「その代わり、対価をもらう。お金じゃない。奉仕で」


「奉仕?」


「ああ。卒論研究の手伝い。洗い物、してもらう券6枚綴り」


「大樹と義雄で合わせて6枚」


「3枚ずつでもいいし、2枚と4枚に分けてもいい」


「僕の酵素実験終了後の器具の洗い物は、一回あたり通常2時間ほどかかる」


「細かいパーツもたくさんある」


「それを、してもらう券」


大樹と義雄が二人でヒソヒソ話す。


「その話乗ったよ」



「私は何をすればいい?」


「私にしてもらう券」


恵ちゃんがクリクリの眼差しで僕を見つめる。


「僕のかばん持ち、2枚かな?」


「わ〜い! 私も二日とも行くの? 嬉しい!」


「夜の部は?」


恵ちゃんは上目遣い。


僕は耳元でささやく。


「それは、してあげるしもらう券。後でね」



「まあ、みんなで卒論研究始めましょ。正くんだけじゃなくて、皆んな遅れ気味」


恵ちゃんの合図で、僕らはそれぞれの部屋に分かれる。



僕は今日は研究室のPCで、これまで得られたデータをもとに多変量解析のクラスター分析の予備的調査を行うことにした。


僕が卒論で使うクラスター分析のクラスターとは、英語で『房』『集団』『群れ』のことで、似たものがたくさん集まっている様子を表している。


『クラスター分析』とは、異なる性質のものが混ざり合った集団から、互いに似た性質を持つものを集め、クラスターを作る方法だ。


対象となるサンプルや変数(項目、列)をいくつかのグループに分ける、簡単にいえば『似たもの集めの手法』。


良いクラスター分析は、分けた『塊』に含まれる要素同士は似ていて、その『塊』の特徴は、別の『塊』の特徴とはなるべく似ていないものとされるようにする。


クラスター分析は、あらかじめ分類の基準が決まっておらず、分類のための外的基準や評価が与えられていない『教師無しの分類法』。つまり、分類してみてから、どうしてそのように分類されたかを分析する方法。


今日は階層クラスター分析に集中して頭を回転させよう。


最も似ている電気泳動結果、ザイモグラムの形状の近い組み合わせから順番にクラスターにしていき、途中過程を階層のように表し、最終的に樹形図(デンドログラム)を作る。


階層クラスター分析は、近いものから順番にくくるという方法をとるので、あらかじめクラスター数を決める必要がないことが最大の長所だ。


そのあと、バラ属の植物学的分類とデンドログラムの結果を見合わせる。


ザイモグラムのパラメータを加減し植物学的分類とアイソザイムによる化学分類ができるだけ近づくよう調整して行く。


ここからがクラスター分析の難しいところ。



「正くん。うまくいってる?」


ちょうど区切れのいいところで、恵ちゃんがラン温室から帰ってきた。


「クラスター分析ね。私は判別分析よ」


恵ちゃんは熱いコーヒーを入れてくれる。



「判別分析はね、線形判別関数を用いて,値を直線的・平面的モデルに当てはめる方法」


「説明変数が2変数の場合を例にすると、2群の境界となる直線 ax+by+c=0 を求めれば、式 ax+by+c の値の正負によりどちらの群に属するかを判別することができる。3変数以上の場合は境界線は平面になる」


「つまり、2群が正負に分かれるような係数 a、b、cを求めればよい」


「もう一つは、マハラノビスの距離を用いて,確率を2次曲線モデルに当てはめる方法」


「1変数の正規分布においては、平均から遠くなるに従って確率密度関数の値が小さくなる。zの絶対値をマハラノビスの距離というの」


「マハラノビスの距離は2次元以上の場合にも拡張され、ベクトルと行列を用いて表わされる。2群の境界線は曲線となるのよ」


「判別分析はクラスター分析よりは簡単よ」


「ああ、クラスター分析は少し頭を使うね」


「でも、人間って本当に分けたがる生き物よね」


「本当だよ。分類好き」



「俺は主成分分析と判別分析だよ」


大樹も研究室に戻ってきた。


「今のところ、バラ属の花粉の表面形態の計測から、バラ属やバラ品種を分けるには、主成分分析の結果、第1主成分に花粉の大きさに関する因子、第2主成分に花粉表面の微散孔に関する因子が抽出されていて、これらの2主成分により各々の分類群を分けているところ」


「皆んなそれぞれだね」


「統計って、自分が言いたいことの都合を合わせるために駆使する道具でもあるよね」


「もちろん、結果からの新知見、発見も生まれてくるし」



「さて、ランチ行こうか」


「久しぶりに、カフェテェリアのカルボナーラがいいかな」


恵ちゃんが呟く。


僕は机の上を片付ける。


「義雄は工学部か……」


「教授の言葉。『2’GTが取れた研究。すぐに論文にしろ。すぐだ!』が効いているね」


「一応誘ってみようか? 義雄」


LINEが帰ってきた。


「『今夜は傘まで返さない』 と言われたそうだ」


「朝までの打ち間違い。いずれにせよ、超忙しいってことね」

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