パティ・ジェンキンス『ワンダーウーマン』
厳しいところに立っている映画だな、と思わされた。事務的に評価するなら、さほど面白いとは思われない。むしろ間延びしていて退屈でさえある、と言える。だが、この映画は愚直に時代や政治的状況と直面した結果生まれた産物であり(その愚直な姿勢は、それこそこの映画の「ワンダーウーマン」ことダイアナの愚直さとそっくりなのだが)、その愚直さ自体は買いではないかとも思われるのだ。単なる愚作と斬って捨てられないのは、その「愚直さ」を拾いたいからでもある。
スジは圧倒的にシンプル。「ワンダーウーマン」ことダイアナは人間社会から孤立したとある島で生まれ、厳しい修行を積んで立派な戦士になる。彼女は第二次世界大戦で独軍に派遣されたスパイであるスティーヴと出会い、彼の命を救うことで歴史上最も悲惨な戦争がまさになお行われていることを知る。正義を貫き、愛を信じるダイアナはその状況を見捨てられず、永遠に島を離れて人間社会に舞い降りる。地上に平和をもたらすために。だが、彼女には大いなる敵が存在した……それがこの映画のプロットである。
さて、正義の味方/ヒロインを描いた映画であることを考えれば、まずそのヒロインがどのように強いかを見せなければならない。その意味ではこの映画のダイアナは圧倒的に強い。銃を持たず剣と盾で相手を薙ぎ倒す。彼女の側近たちは銃弾で倒れるが、彼女は銃弾をも貫かない腕輪で身を護る。その点では強さを描くことには成功している。
ストーリーが転がるにあたって、その強いヒロインはピンチを切り抜ける機会を与えられなければならない。でなければヒロインの強さばかりが際立ってしまい、圧倒的な強さだけを見せつけられても面白くならないからだ。だが、この映画のダイアナにそうした弱さを見せる機会はなかなか現れない。どんな相手をもその得意技の剣技で薙ぎ倒してしまう。だから、前半は彼女の独り舞台といった感じになっている。スティーヴとの恋愛関係がここで兆しているかな、と思えなくもないフシもないではないが、それもキスひとつ交わされない潔癖なものだ。
剣技だけではない。知能も彼女は優れている。このあたり、ポリティカルに配慮した造りに(むろん悪い意味で)なっている。あらゆる言語に精通し、知性的でもある。彼女はその知性で敵の暗号を読み取り、即座に相手の居所をはっきりさせる。だからこの意味でもダイアナは大活躍を見せる。強い、まさに圧倒的に強いヒロインだ。
だから、悪く言えばこの映画はピンチを切り抜けるダイアナの姿を見せない。従って成長もない。また、人を殺すために剣技で人を殺さなければならない自己矛盾に悩む姿をも見せない。ヒロインは普通そういう自己矛盾とシリアスに向き合い、世界を救う正義の力が自分に備わっているのかというような(もしくはその力は、正義という美名に誤魔化された偽善なのではないか、という)疑問に直面しない。その意味で苦しい産物となっている。
圧倒的な強さでグイグイと戦いをリードしていくダイアナの大活躍の面白さは、従ってスナック菓子の味にも似ている。なるほど工夫されてそれなりに美味しいが、所詮は本格的な創意工夫/矛盾に満ちたディナーには勝てない。このあたり、弱さを見せる工夫が足りていればと惜しまれる。なるほど後半から、つまりラスボスの正体がはっきりしたところから尻上がりに面白くなると言えば言えるのだが、でも彼女は弱みを見せないで勝ち続ける。
だから、ダイアナの一方的な勝ちっぷりにあたかも『水戸黄門』でも観させられているかのような予定調和感を感じてしまったことも確かである。ネタを割れば、ブレインとなる独軍の科学者も女性である。このあたりは「女性は権力者の奴隷である(つまり、戦争に加担するしかなかった女性もまた奴隷である)」というメッセージとなっており、そう見て来るとポリティカルに配慮した作りとなっている。リベラルなお伽話、という感を抱くのだ。
いや、この映画にも良いところはある。それはさり気なく、誰もが誰かの役に立っていると主張しているからであろう。それを読み取らなければこの映画を観たことにはならない。例えば、酔っ払ってケンカで負け戦場でも銃を発砲する勇気を持たないチャーリーという存在。ダイアナは彼も役に立っていることを教える。チャーリーは士気を高める歌を歌えるのだ。このあたりも本当にポリティカル・コレクトネス、あるいはそれこそ体育会系的なフェアネスに満ちている。
あまりネタを割るようなことを書きたくないが、「最も善人だと思われていた人物が実はラスボス」という図式がこの映画でもロコツに当てはまる。その意味でも予定調和感を感じさせられて、事務的に評価するならもっとヒネりなさいと言いたくなる。だが、そのヒネりのなさ、愚直さにおいてダイアナの正義感とこの映画の造り手たちのメッセージはそっくりなので、多分悪い人が作った映画というわけでもないのだろうな、とも思えるのだ。小林よしのりの言葉を借りるなら「純粋まっすぐ君」が作った映画、という。
だから、この映画を私は嗤えない。この映画に共感する人たちもきっと悪い人ではないのだろう。そう思うと、なんだか辛くなる。
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