カメラ・トーク

踊る猫

ミヒャエル・ハネケ『ハッピーエンド』

ミヒャエル・ハネケと来て、「ハッピーエンド」。こんな大胆なタイトル、なかなか挑発的ではないか。あの胸糞悪い『ファニーゲーム』でどす黒い哄笑を響かせた(私は、その高笑いに爽快感すら感じたのだけれど)ハネケ御大らしいブラック・ユーモアは、もちろんこの映画でも散りばめられている。


スマホで撮影される入浴の光景と少女の呟きからストーリーは始まる。だが、この映画はハネケの映画の多くがそうであるように、なかなか単純に「粗筋」に落とし込めない。幾つもの関係ありそうにないピースをばら撒きながら、そしてこちらの想像力/読解力に訴え掛ける形で映画は展開していく。


ざっくり言えば、フランスに住む三世代同居の家族の話である。痴呆症状が出ている祖父、会社を切り盛りする女社長(イザベル・ユペール!)、その夫と息子、腹違いの娘……彼らの、誰に焦点を絞るでもなくストーリーは繰り広げられる。垣間見えるのは、老いに悩む祖父が自死を願っていること、娘がなかなか食わせ者であること、父親が倒錯的なチャットでのセックスに耽っていること、などだ。


さて、ここで当たり前のことを確認しておこう。私たちは映画を観ている時、基本的に動かない。座った状態で映画を観る。この「観る」という行為がなかなかクセモノだ。「観る」ということだから、私たちはしばし自分たちがその映画に能動的に「観る」ことで映画を楽しんでいるという事態/事実を忘れてしまう。受動的に映画を「観させられる」と捉えてしまうのである。


違う、とハネケは語る。映画を「観る」ことによって私たちは、言わば映画を映画足らしめる存在として「コミット(あるいは『参加』)」しているのだと主張するのだ。だから『ファニーゲーム』を思い出そう。ここでネタを割っても誰も驚かないだろうが、『ファニーゲーム』では重要な場面で主人公が撮影者(つまり観ている私たち)に語り掛けるという展開を見せる。難しく言えば「第四の壁」を壊す、というやつだ。


そういう展開を採ることで、『ファニーゲーム』は映画の枠組みを壊す映画であること、つまり「私たち」が映画を能動的に前のめりに観ているから成り立っている映画であることを証明してみせた。そしてそれはこの『ハッピーエンド』でも例外ではない。スマホで撮影される画面’(ラストシーン近くで、娘はとある重要な出来事を、まるでサングラスを掛けるかのように間接的に「スマホ」で観察する!)、ロングショット、舐めるようなカメラワーク……カメラを通して私たちは、「窃視」するかのようにハネケの世界に引き込まれていく。私たちが「観る」から映画が成り立つのだ、と語るのだ。


ハネケらしい要素は散見される。例えば『71フラグメンツ』で語られたような断片を散りばめていくストーリー展開、『セブンス・コンチネント』で印象的だった「テレビ」の存在、『愛、アムール』で見せられた老人の孤独と哀愁……ロングショットの多用や音楽を使わないこともハネケらしく、手練の技巧で真綿で首を絞めるようにこちらを引き込んでいく。何気にナイジェリアとフランスの微妙な関係を描いたあたりもポイントが高い。これが差別的に響かないことを祈るばかりだが、ナイジェリア(あるいは、それに限らずアフロ・アメリカン全般)の存在は異物として生々しく迫って来る。


もしくは、私たちの世界が SNS やスマホといったソーシャルメディアやデヴァイスを通してこそ、つまり直接リアルで会って話すのではなくスクリーン/画面越しに(縮めて言えば「間接的」に)関係を成り立たせているということを示したこともハネケのジャーナリスティックな問題意識を見て取れる。陳腐な言い回しになってしまうのだが、ハネケは私たちが世界を体験していると思っていることは、実はカメラやスマホの画面越しに展開される冷え切った映像を通してのみ受容されていること、そういう冷え切った映像だからこそ受容し得るということを解き明かしているのだ。これにもまた唸らされてしまった。


だからこそ、と思ってしまうのだ。ネタを割ることは慎みたいが、あの終わり方は「ハッピーエンド」のタイトルに相応しいものだったのだろうか。私は「ハネケ、日和ったな」と思ってしまったのだが……と書いて考えた。いや、ハネケなら必ず胸糞悪い映画として落としてくれると(これもまた陳腐な言い方をすれば「バッドエンド」を)期待していたこちら側の読みを更に裏切るような、狡猾な計算によるものだったのかもしれない。ミヒャエル・ハネケ、なかなか侮れない老獪な人物だ。これまで観て来たハネケ作品をまた観直してみたくなってしまった。もしくは、読みかけの『ミヒャエル・ハネケの映画術』を読み切ってしまいたいな、と。


ちなみに、この映画は日本で起きたとある重要な事件にインスパイアされたものらしい。娘が着ている『I★JAPAN』というロゴが入ったTシャツのことを思うと、なかなかこれも意味深なものがある……。

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