第14話 ミゼリト

 目が覚めると窓辺に小鳥たちが集まっていた。赤い頬の小さな鳥たち。三羽が一緒になって窓辺で何かをついばんでいる。そのすぐ隣で二羽が、くわえた棒を取り合いをはじめていた。

 昨日の彼らとの会話がずいぶんと私の気持ちを楽にさせてくれた。おかげで少しだけ辛さが薄れかけている。それはいけないことだ、と胸の奥で叫ぶ私がいる。でも、ただ辛いだけじゃ駄目だ。あの人にもミリアにも心配をかけてしまう。

 小鳥たちに誘われるように、私は窓を開けて庭の景色を眺める。するとそこにこの屋敷の奥様が、手に水やりのようなものを持って通りかかるのが見えた。

 「奥様、私もお手伝いさせてください。」

 不意に口を突いて出た言葉。草木の世話は大好きな作業だ。

 「あら、もうお体はいいの?無理はしないでまだ休んでいてもいいのよ。」

 奥様はそう言って、素敵な笑顔を向けてくれた。

 「大丈夫です。その…、草木をお世話するのが好きなんです。ですから、お邪魔でなければお願いします。」

 私がそう言うと、奥様はニッコリと笑って手招きしてくれた。


 庭の木々は、とても元気に繁っていた。肌寒い季節だというのにまだ葉が青々としている。

 「これはなんて言う木なんですか?」

 「それはね、ルミネが山から勝手に掘ってきた木なの。だから泥棒の木って私は呼んでるわ。」

 おほほほと笑う奥様の目がなんか怖い。聞いちゃいけないことだったかな?

 「あっちはね、お父様が同じようなことをして、山からあれもこれもと掘っては植えて、掘っては植えて。そうしてあの二人ってば、植えっぱなしにするでしょ。そうなると結局、家にいる私の仕事になっていっちゃうの。お母様が元気だったころはまだ良かったのよ。お母様はそうやって丸投げされたりすると、逆にここから掘って、山に植えなおしにいったんだもの。」

 なんか、ものすごいお母様…。

 「奥様は植えなおしには行かれないんですか?」

 「ええぇ、嫌よ。山になんか入ったら服が汚れちゃうじゃない。せっかく頑張ってつくったのにそんなことで汚したり破いたりしたらもったいないじゃない。」

 え、お洋服って自分で作れるの?

 「そのお洋服、奥様の手作りなんですか?」

 「ええ、そうよ。うちの旦那様に教わったの。あの人ハバキの出だから、あれこれ作り方とか治し方とかいろいろ知ってるのよ。結婚した当初はそんな特技があるなんて思ってもみなかった。でもね…。」

 奥様が、何か言いたくないことがあるような素振りで少し眉をしかめる。

 「えーと、ちょっとだけ色々あって、それで私がものすごい心配して、会えるようになって、で、その時に大泣きをしちゃったのね。そしたらあの人、『すまなかった。お詫びに美味しいスイーツ、作るよ』だって。その時私ビックリだったわよ。だってあの人普段自分じゃ上手にご飯も食べられない人なのよ。食事はこれっくらいのちっちゃな錠剤となんか変な色のドリンクばっかだったのよ。それが真顔で『すまなかった。お詫びに美味しいスイーツ、作るよ』よ。こんな感じの低い声で、『すまなかった。お詫びに美味しいスイーツ、作るよ』。もうそれ聞いたら私大笑いしちゃって。それから、いろいろなものが作れるって聞いて、それで洋服の作り方も教わったの。」

 ものすごい勢いでこれでもかってくらい明るく話されて、なんだかその楽し気な様子に私もついつい笑ってた。そうしたら奥様、今度は、

 「はい。じゃあ水やり、好きなんでしょ。私にも水やりが好きになるお世話の仕方、隣で見させてね。」

 って言って、私に水差しを持たせた。その仕草もかわいらしくて、ちょっと笑っちゃった。


 奥様と二人でキャッキャ言いながら、庭に植えてある色々な樹々に水をやって回った。そういえば、ミリアとも、リスボンにいた頃は鉢植えの植物に水をあげてたっけ。あ、また涙が出そう…。奥様もいるのに、心配をかけてしまうわ。

 そんな思いや考えが表情にも出ていたのか、奥様が「そろそろ疲れたわね、お茶にしましょう。」と言って私の袖を引っ張って、庭を通過して広間まで歩きだしていく。私はその気遣いに小さく「ありがとうございます。」とつぶやいた。


 広間に入ると、ヨホさんがいた。せっせと調度品などの拭き掃除を続けている。私も手伝った方がいいかな。そんな考えが頭をもたげたら即座に、

 「お客様は、体調が戻られますまでのんびりとお過ごしください。」

 と、ヨホさんが私を見て言った。私はまだ何も言ってないのに。

 「あら、ひょっとしてヨホの手伝いでもしようかって考えちゃった?ダメダメ、そんなことするとヨホにものすごく叱られるわよ。私も何度も叱られてるから。気をつけてね。」

 奥様は笑ってそう言った。私も苦笑い。奥様はそそくさと台所へと入っていく。このお屋敷の広間は、すぐ隣に台所と呼ばれる炊事場がついていた。ふつうの家だと火と水を使う炊事場は、どこか北側の土間になったところにある。でもこの屋敷は広間がある南側にあるみたいだ。不思議に思って奥様の後をついていくと、そこに見たこともない道具が沢山そろっていた。

 「これは、炊事場ですか?」

 「ええ、そうよ。うちの旦那と息子による合作の台所なの。」

 自慢げに手を広げて、奥様が笑って手をひろげていく。そこは炊事仕事をしたことがある者なら、見ただけで羨ましいと思えるようなものが山ほど揃っていた。

 火を起こすかまどは、地下からガスを引いていると説明された。ガスの調節はレバー式になっている。火は自動で着くと奥様が言い、実際にやって見せてくれた。レバーをクイッとひねると、その瞬間にボッと火がつく。

 「なんでですか?どうなって火がつくんですこれ?」

 「詳しい仕組みは知らないわよ。興味あるなら、息子が帰ってきたら教えてもらえるよう言っておくわ。」

 「ありがとうございます…。すごいですよ、これ。本当にすごい。」

 そう言って目をまんまるくさせている私に、奥様は今度は水回りの説明をしてくれた。

 「こっちはね、いちいち井戸まで水汲みに行かなくてもいいようにしてもらったの。ほら!」

 奥様がそう言って、今度はおへそくらいの高さにあるレバーを上にあげた。するとそのレバーの先についている細長いパイプの先から、水が勢いよく流れ出してきた。

 「なんなんですかこれ!ものすごく簡単じゃないですか!お庭の水やりもこれなら汲みにくるのも大変じゃないですね!」

 私は驚きすぎて興奮してた。だって、あの先に水差しを持っていくだけで水が汲める。いちいちロープを引いたり、桶を持ち上げたりしなくていいなんて、手にも優しくて素晴らしいことだわ。

 「うふふ。ありがとう。この仕組みもルミネに説明させる?」

 「はい!ぜひお願いします。」

 私は何も考えないでそう答えていた。奥様は上機嫌でケトルに水を汲み、ガスの火で沸かしはじめている。

 「ねえ、ヨホ。そっちはそろそろ終わりそう?お茶にしませんこと?」

 「いいですね。でしたら奥様、冷やしたスイーツを取りにいきますので、私の分はラズベリーティーをお願いします。」

 え?冷やしたスイーツ?

 「いいわよ、三人分お願いね。」

 「かしこまりました。」

 スイーツというのはなんだろう?聞いたこともない響きだ。お茶と言うからには、なにか添える食べ物のことだろうか。

 そんなことを思いながら、うっとりと奥様の手元を眺めていたら、奥様がそれに気がついたんだろう、私に聞こえるように話しはじめた。


 「ねえ、ミゼリトさん。ちょっといろいろと聞いてもらいたいことがあるのだけど、大丈夫かしら。」

 「はい。たぶん大丈夫だと思いますが、どんなことでしょう。」

 何を大丈夫なのかと聞かれたのかはわからない。でも、この奥様ならたぶん大丈夫な気がする。

 「実はね、うちの亭主と息子のことなんだけど。あの二人の会話を聞いてるとね、私にはよくわからないやりとりが多くて。」

 「それはどういった会話なんですか?」

 なんとなく、奥様の言うことがわかるような気がした。基本的に男同士の会話は口数が少ない。それは本人たち同士で分かり合っていそうなことは、あえていちいち言わないっていう、よくわからない男同士の決まりごとがあるのだとか。…よくわからない。

 「例えば先日のことだけど、食卓を囲んで亭主がお昼ご飯を食べていたのね。そこに息子が来て、父親を見て言ったの。」

 なんと言ったのだろう?

 「『父さん、おはよう。』って息子が言ったら、亭主は『お疲れ様。無理はしないようにね。』って。それだけしか話さないで、息子は自分のお昼を持ってきて、その後はお互いに何にも言わないで黙々とご飯を食べてるの。」

 それは、それでいいのでは?

 「で、私は思ったの。ルミネは実は昨日の夜に、王宮の何か夜勤みたいなことをオリトさんから頼まれてて、そうした会話なのかなって。だから私聞いたのよ。『あら、ルミネ、昨日はお城の仕事を手伝ってたの?』って。そしたら息子はキョトンとした顔して『え?何のことです?』って。オリトさんを見たら『なにそれ?』みたいな顔してるし。」

 「はあ…。」

 「でね、その後も私があれこれ聞いたり話してたりしてたら、亭主が時間だって言って席を立っちゃったのよ。そしたら息子の方も『ごちそうさま』って。私はまだいろいろと話したいこともあったし、聞きたいこともあったのにね。なんでああなんでしょう、まったく。ね、ミゼリトさん、どう思います?」

 どう思われるのかって聞かれても…。でも、こういう感じの話のときは、思ったことを話すほうがいいか。

 「そうですね…、たぶんなんですけど、私も似たようなことを思ったときがありましたし、似たようなことで怒ったこともありました。」

 あの人の家にいる間、大旦那様とあの人も似たような感じだった。

 「けれど、そのうちにだんだんと慣れていって、ああ、男の人ってこういうものなんだって、思ったんです。」

 「へぇ、それはなんで?」

 「ええと…。ある時、私が乳母をしていた家でのことなのですが、そこの大旦那様にご子息様が『決まった、行ってくる。』と言ったのです。そうしたら大旦那様は『そうか。』とだけしかお返事をされず、その日はそれきり。それから何日かして大旦那様が『いつから行くのだね?』と聞かれると、ご子息様は『もう行ってまいりました。』って。いつどこにといった、会話には必要な単語が、男たちにはほとんど必要ないみたいなんですよね。そんなことが何度も何度も何度もあって、それで慣れました。」

 奥様は私の顔を見て、深くうなづいた。

 「うんうん。男ってそういうところあるわよね。」

 「ありますあります。一番ひどかったのが、娘のミリアの誕生日の前の日。今でも思い出します。大旦那様が『明日だね』って言われてご子息様が『そうですね。準備はできてます。』と。それで私はミリアと一緒になって、前の日からワクワクして日を過ごしていたんです。ですが、次の日、お二人でおでかけになられて。後で聞けばどこぞの奥方様の舞踏会に招待されておいでだったって話なのですが、ご子息様に関してはご自身の娘ですよ。大旦那様にとってもお孫さんじゃないですか。その誕生日をすっかりと忘れて舞踏会だとかって、なしですよなし。ありえない話じゃないですか。」

 「そういうのあるわね。確かにそう、そういうのあったわ。」

 なんだか、話が盛り上がってしまった。奥様のお心遣いがとても優しく感じられた日だった。



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