緊急動議
高瀬社長がたった1人でコヨテ陣営の座席に着く。相変わらずだ。優秀な幹部たちの意見は参考にするけれども、最後の決断はこの人1人で行なってきたんだろう。それは久木田社長も同じだ。
2人の違いは多分、弱音を吐けるだけの度量があるかどうかということなんだろう。
高瀬社長も凄いけれども、こうしてにっち・せっち・僕の一社員に運命の一端を担わせようとする久木田社長も凄い。いや、その方が凄いと思う。
「ではただ今より株式会社コヨテと株式会社ステイショナリー・ファイターの合同臨時株主総会を開催いたします」
議事進行は高瀬社長。
こういう実務を自らこなす経営者というのは本当に凄いと思う。
余談だけれども、アメリカのIT企業の先駆者で早逝した創業者は、スタッフとのミーティングの会議室のセッティングや資料配布を自ら行なっていたという。
これは絶対的に正しい。
だって自社製品のユーザーはまさしくそういう実務者たちなのだから。自ら裏方作業をカバーできない人間が現実社会で愛用されるような製品を生み出せるわけがない。
だから、高瀬社長も絶対的に正しい。
「本日の議事は2つ。①コヨテによるステイショナリー・ファイターの株式取得について。②経営陣の新体制について。以上の議題についてまずわたしから簡単に説明いたします。尚、本日は両社の定款に基づく定足数に達していることをご報告いたします。また、本日ご欠席の株主様からの書面決議による意思表明も後ほどの議決において加算致します」
高瀬社長の淀みない議事進行に会場は相槌を打つ。
本来、言ってみれば朝のニュースワイドショーでゴシップに近い異様なやりとりを見せたことで株を下落させたのだから、株主たちから罵声を浴びせられても仕方のないはずだ。
だけれども、その後の高瀬社長の冷静な対応と本当にすべてが彼のシナリオだったのではないかというぐらいのTOB公告に、ステイショナリー・ファイターがコヨテに買収された方が株での利益を確保できるという流れに傾いていた。
そして、久木田社長の、こうなっては両社の株主の利益と、ステイショナリー・ファイターの既存大口顧客、それからエンドユーザーにとってそれが最善の解決策ならば、と潔さを見せたことも事態の収束に大きく貢献している。
でも、僕は、それでも席から立ち上がった。
「緊急動議!」
会場じゅうの空気が、ぽかん、とするのが分かった。
すかさず、にっちとせっちも立ち上がってくれた。
「3番目の議題としてわたくしから緊急に発議させていただきます!」
会場がザワザワとどよめき始めた。鋭い老人の声が飛ぶ。
「お前ら、テレビに出てた奴らかっ!」
「久木田社長、こんな奴らとまだツルんどるのかあっ!」
久木田社長も立ち上がり、マイクを手にコメントした。
「彼らは当社とお客様のために敵対的TOBへの対抗措置を取ってくれていました。それが成就できなかったのは私の責任であります。ただ、彼らは当社の顧客サービスの根幹を担う人財であります。どうぞ、ご静聴いただければ幸甚です」
一瞬で会場に静寂を蘇らせ、着席した。
「ありがとうございます。高瀬社長、発言を続けてよろしいでしょうか?」
「どうぞ。お続けください」
せっちが僕の礼服の袖を引っ張った。
「高瀬、内心焦ってるよ」
せっちの言葉の影響力を改めて感じる。僕は彼女の言葉だけで自信が持てた。
「議事③、ステイショナリー・ファイター買収後のコヨテ株の60%をわたくしたち、現ステイショナリー・ファイター社員の有志5人で買い取ります。総額2千億円です!」
またくいくいとせっちに袖を引っ張られた。
「すみません。1,997億5千万円ですっ!」
どおっ、という声が会場の空気をうねらせた。
「まさか!」
「こんな下がり続けてる株を、本気か!」
僕は畳み掛ける。
「資金はすでに用意してあります。ご賛同いただければ、今すぐ現金で決済させていただくこともできます!」
「現金だって!」
「それは本当か!」
やった! 食いついた!
キャッシュレスがあらゆる決済の手段になりうるという幻想があるけれども、『カネ』というその概念の流通は現実には恐ろしいほどの困難とリスクを伴う。調達・デリバリー・決済のあらゆるポイントで、現金のみが有効な瞬間というのは人生の重大な局面のどこかに必ず訪れる。
つまり、この総会に集まっている株主たちの中の、それも大きな金額を投機的にやりとりしていた後ろめたい人間たちにとって、まとまった現金というのは何を差し置いても魅力になりうるのだ。
ましてやそれが2千億なら、命を削ってでも欲しい人間がいるのだ。
会場が黒く冷たい熱気に包まれた。
「キヨロウさん・・・」
「うん」
僕はにっちと見つめあって、その一言を放った。
「議事④、経営陣を刷新し、わたくしが社長に就任いたします!」
ずん、と、空気が凍りついた。
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