光り輝く闇の世界へ
この大きなタグボート3隻がひっそりと佇むことのできる空間は限られている。支流が合流するポイントは島のような形状になった中洲と本流の岸に鬱蒼と木々が生え伸びて林が出来ている。その脇に3隻縦列で停泊した。
夕日が河岸のもっと向こうにある標高300mほどの丘のような山の稜線に沈んでいく。
めいめいがストレッチマットの上に寝そべったり胡座をかいたり体育すわりしたりしてそのまま闇を待った。
今夜は月がある。
「三日月なんか久しぶりね」
鏡さんに言われて、ああほんとだ、としみじみ思った。
あくせくと仕事やその他の人生のモヤモヤした面倒ごとに青春の時間を注ぎ込んできた。月さえ見上げることをほったらかしにしたままで。
僕の青春は終わったけれども、にっちとせっちは青春只中のはずなんだけど・・・
「頃合いよし。このまま閘門に向かう」
チョッサーが操舵室で全員に状況を伝えた。タグボートが、ド・ド・ド、と低音を響かせて上流に向かって走り出す。三日月の灯りしかない闇の中だと余計に重量感の増した航行のように感じる。
意外と狭い。
チョッサーは周波数を合わせ、トランシーバーを手にする。質屋のばあちゃんに懐柔されている閘門のエンジニアと連絡する。
「こちらチョッサー。予定通り進入する」
『了解。これから前扉を開ける。そのまま閘室に入ってくれ。準備ができたら排水して閘室の水位を下げる』
「了解」
通信を終えたチョッサーは後続のボートにも連絡する。どうやら1隻ずつしか入れないようだ。3隻全部運河に入るにはそれなりの時間がかかるんだろう。
チョッサーの舵取りはとても滑らかだ。決して機敏な動きではないけれども最短距離を真っ直ぐに行っているのだということが素人の僕にも感じられる。
「俺は商船高校を出て最初に乗ったタンカーの船長から船乗りとしての心得を叩き込まれた。『決して焦るな。特に着岸』って口を酸っぱくして、時には激しく叱責されて身につけた。上手くやろうとすると却って重大な事故につながる。『分相応を旨とせよ』これも船長の教えだ」
仕事のことになるとチョッサーは饒舌だ。きっとタンカーの船長と彼は師弟の理想像だったんだろう。
『OK。これから排水する。そのまま待て』
ごうん・ごうん、という音が水の底からデッキに伝わってくる。
それは、歓喜の瞬間にも似ていた。
「あっ! 下がってるっ!」
せっちがはしゃぐ。
「ほんと。なんて不思議な・・・」
にっちも控えめに感動している。
上がるんじゃなくって、下がってるのに、僕も気分が盛り上がってきた。
徐々に徐々に、僕らはタグボートごと運河の
そうさ。
僕らの位置は下方へシフトしながら、精神はエレベイトしてる。
全員、足を肩幅に広げてデッキに立つ。
男は腕を組み、女は河の風になびく髪に手を添える。
・・・・かっこいい!
僕は子供の頃に見た、アニメや映画の宇宙船の戦闘シーンを思い出す。
スペース・ファイターが、マザーシップのゲートが開くのを待っている。
コックピットで前後のシートに並んで座る少年と少女。
ヒーローとヒロインだ。
気がつくと僕の隣に立っていたのは、にっちだった。
彼女もこの映画のワンシーンのような光景の雰囲気に浸っているようだ。
にっちの方から手を差し出してきた。
僕はその手を受け取るだけだ。
きゅっ、と手を握り合い、鳴り響く排水の音と、下がることによって迫り上がるように見える眼前のゲートを2人して見つめた。
ゴウン!
とひときわ大きな音が鳴り響き、運河の水面と河の水面が1つになった。
ゲートがせりあがる。
ガシャン、と完全に視界は開けた。
運河の
その鏡面のような水に三日月が映える。
「発進!」
チョッサーも中二病のようだ。
残り2隻を待って、今度は運河の航海に入った。日が昇るまでにある程度距離を稼いで、また明日の晩に臨時株主総会の会場であるエンディング・テラスを目指す。
今晩もギリギリまで航行する僕ら。
仮眠を取りながら交代で見張りに当たった。なんとなく、僕とにっちが見張りのペアになる。
「キヨロウさん。すみません」
「え? 何が?」
「ノーズガード・・・あまり気分がいいものじゃないでしょう?」
何を言うかと思ったら、なんて生真面目な。いや・・・ある意味女の子らしいのかな。仮面をつけたような自分の容姿を気にしてるんだろうから。
僕は全面的ににっちを安心させてあげたい。だから、こう言った。
「かわいい、よ」
細い三日月の微量な月明かりでもはっきりわかるほどにっちははにかんだ顔色になる。
頰から首筋までが朱に染まり、目も潤む。
もう一度言った。
「かわいいよ」
「嘘です」
小さく呟く。
「鼻の骨折をお医者さんは元には戻してくれたんでしょうけれども、やっぱり前よりも歪んでます」
「それも、チャーミングだよ」
言ってから自分で恥ずかしくなった。
けれどもここで僕が恥じらうことほど無意味なことはない。無理して自信満々の顔をする。
「だから・・・」
デッキに並んで座る僕ら。
にっちの肩を片手で引き寄せる。
そのまま顔を近づけあった。
関西の山岳大師の目の前ではにっちの方からだったけれども、今は僕がリードする。
ノーズガードから覗くにっちの鼻。
自然に少し尖らせている小さな唇。
ああ・・・
あとほんのちょっとで触れ合える・・・
ドゴォッ!!
後ろの方で鳴った轟音に、思わずキスの準備を中断する僕とにっち。
そのまま2人して振り返ると、月明かりのように控えめなものではない、暴力的な炎が上がっていた。
「一番後ろのボートですっ!」
にっちは叫ぶと同時に操舵室に駆け込んだ。
雑魚寝するみんなを叩き起こす。
「起きてっ! 攻撃されてますっ!」
僕はデッキの最後尾に走る。
2番目のタグボートのクルーたちが消火器を手にやっぱり船尾に走ったけれども、多分手の施しようがないだろう。それほどに炎は大きく、運河の両岸をあかあかと照らし出していた。
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