第20話 アールの想い

 エレンが空中庭園にたどり着く前、一方のアールは、後輩であるデルフィノの稽古についていた。


「…はっ!」

「うわっ…!」

「…今日はここまでにしておくか」

「あ、はい、ありがとうございます」


 稽古用に使用していた棒を片付け、アールはいつもの場所へ向かおうとした。


「そうだ、先輩」

「ん? どうした?」

「その…エレンさんは、大丈夫ですか?」

「え…」

「あっいや…その…さっき、セイロンさんに連れられて歩いているところを見かけたんですけど、顔色も優れないようだったので…足元もおぼつかない様子だったから…」

「しばらく、俺と同じで任務にも出ないから、少し休めば大丈夫だ。心配するな」

「えっ? 先輩も?」

「あぁ…なに、司令官からの命令だ。俺の方は少しは休めとさ」

「…そう、ですか。確かに先輩は、ここ最近はりきり過ぎですよ。たまにはゆっくり体を休めてください」

「悪いな、デルフィノ。じゃあ、俺はこれで」

「はい…ありがとうございました」


 困ったような笑みを浮かべながら、アールはその場を後にした。

 庭園に着き、まっすぐと大樹へ向かう。いつものように大樹の中を上がっていき、部屋に足を踏み入れる。すると、そのタイミングを見計らったかのように、壁として部屋を覆っていた枝葉の一部の隙間が少しだけ開いた。その隙間から、銀色の蝶が一匹、ひらりと部屋の中に舞い込んできた。そして、アールの周りをゆっくりと飛んだ。


「…もうそんな状態になってたのか…」


 アールは蝶を見つめながらそう呟くと、服の中から銀のロケットを取り出した。それは、エレンが身に着けているペンダントと全く同じデザインのもの。首からは外さずに、ロケットを手のひらにのせ前へ差し出すと、蝶はその上へ降り立った。そして、蝶の胴体であるクリスタルが発光し、降り立ったものに、自身の魔力を注いでいく。

 しばらくその様子を眺めていたアールだったが、魔力が注がれている途中で、慌てて差し出していたロケットを引っ込めてしまった。魔力の受け渡しが途中で止められたからなのか、銀華蝶は力なく落ちそうになる。咄嗟にアールがもう片方の手で受け止め、落下は防いだものの、先ほど飛び回っていた時のような元気は無くなっていた。小刻みに、震えるように翅を羽ばたかせる動きを見せるが、飛ぶ余力も無いようだった。


「…悪いな…いつも受け取るばかりで…俺は、俺自身で魔力を作り出すことができないから…せめて、ここで休んでいてくれな」


 まるで自分自身にも言い聞かせるように言うと、ロケットを服の中へしまい、蝶を手のひらにのせたまま、大樹の幹の方へ向かった。幹の表面にできた、小さな枝葉や苔が集まった塊を見つけると、ゆっくりとそれをめくった。そこへ、弱った銀華蝶を入れる。心配そうに中を見ると、そこには、多くの金華蝶や銀華蝶が光球に包まれ浮遊している、不思議な光景が広がっていた。

どの蝶も、自ら飛び回っているのではなく、ただその光球に身を任せている状態。今しがたアールが放した蝶も、光の蔓に支えられ、光球に入れられた。

それを見ると、安心したのか、一息吐いて枝葉と苔で出来た蓋を閉めた。


「やっぱり、話した方がいいのか…? でも…」


──…いや、話さない…今話しても、もう遅いだろう…タイミングが遅ければ遅いほど、あいつを傷つける。それは理解しているのにな…


 大樹によりかかり、天井を仰ぎ見る。枝葉で出来た壁や天井なため、その隙間から陽の光が差し込んでくる。眩しすぎない光だが、部屋の中を十分明るく照らしてくれていた。風が吹けば、さわさわと音も心地よい。大樹の恵みなのか、大幅な温度変化も感じず、常に快適に過ごせるのが、この不思議な部屋だった。


──今日はさすがに来ないか…


 会いたいという思いと、実際に会った時の気まずさを考えると、彼は複雑な気持ちになっていた。ふと、羽織ってきたジャケットのポケットに触れる。中には、小さな箱が入っていた。それを確認すると、少しだけ眉を下げた。そんな時、彼の耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。


「…歌…」


──また歌ってるのか…あの"天使"…


 この庭園に来ると、度々聞くことがある歌声。一度、その声の主のもとへ見に行ったことがあるため、誰だかはもうわかっていた。アールでさえも、どこの言語なのか、どういう意味合いの唄なのか、まったくわからなかった。

 そして、その歌声を聴きながら、アールはゆっくりと目を閉じ、浅い眠りについた。


 後に、ガーデン特別隊総出の、大きな任務になるとは知らずに…

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