昇華―II

 ふう。吐き出す煙と、ラウラの煙と、ミラの煙。三つの灰色が混ざり合い、海岸は霧に包まれたように輪郭がぼやけていく。


〔……そうか。ならば我々も往く事としよう。総員、灰島から撤収だ〕


 大きな損壊の無かったエウクスが先導し、彼らはジープへと全員を運び込まれる。タロザは彼らに手を引かれ、躊躇するようにミラを見た。だが彼女の表情をじっと見つめ、無言の会話があったのか、彼は意を決して信徒達の後を追った。

 ジープが走り出し、瞬く間に見えなくなった。だがラウラの人形だけはそのままだった。それそのものに価値は無いからだろう、どこまでも合理的な判断だ。


〔悪いが私はここまでだ。せいぜい波の音と共に眠るがいい〕


〔ありがとよ〕


 ミラはしゅうしゅうと微かな吐息を漏らす身体を引きずりながら、海へと歩を向けた。その途中、ラウラは不意に彼女を呼び止める。


〔お前とは、違う形で出逢いたかったものだ……〕


〔全くだ。達者でな〕


 さらばだ。タガの外れた機械音のあとに、人形から出る煙が止んだ。その音を聞き届けてから、ミラは静寂に回帰した砂浜をふらふらと歩き出す。


〔Here’s to you, Nicola and Bart...〕


 不意に彼女は口ずさんだ。遠い昔、アメリカ合衆国で起きた悲劇を題材とした歌。エンニオ・モリコーネとジョーン・バエズにより作られた、『Here's to you』。


 ――貴方達を想う

 どうか私達の心の中で、永遠の安らぎを

 最後の、そして最期の瞬間は貴方達の為にある

 あの受難はいつか救済となる――


 ニ、三回フレーズを繰り返し、そのまま海へと足を踏み入れた。

 相変わらず佇む自動販売機に背中を預け、腰を下ろす。一呼吸ずつ、煙草の味を噛み締めているようだった。


〔なあファイ、聞こえるか。橋まで行っちまったんじゃあ、もう届かねえかな〕


 橋を進む毎に、どんどんとノイズが酷くなってゆく。このネットワークは島内部のみであるから、橋を超えれば圏外になるのは想像に難くない。だがそれ以上に、ミラの躯体にもう殆ど力が残されていないのだ。

 どこか、どこか代わりに接続出来るものは無いのだろうか。ネットワーク内を探しながら、私は声を投げかける。


〔ミラ、聞こえてるよ。ここにいる〕


 しかし彼女は何の反応も示さない。沈黙だけが続く。やがて諦めたように小さく笑い、ミラは一人話し始めた。

 私の声は、彼女に届いていない。


「ああ、お願い。届いて。届いてよ!」


 外聞も思慮に入れず、私は声に出していた。走っている間、デルタは何も喋らなかった。私達二人の時間を作るためか、あるいは警戒心を解かないためか。

 いずれにせよ、その気遣いがミラ一人へ気持ちを集中させるには有効的だった。けれど今は、今だけは私を励ましてほしかった。慰めてほしかった。それは私の我儘でしかない。だから歯を食いしばって考えるしかない。


 ミラはそこら中の機器にウォッチャーを仕込んでいたが、それはこの海岸線のどこにも無い。街の内部だけだ。

 それにあそこにはガラクタの山しかない。接続出来るものは何も。何も……いや、一つだけあるかもしれない。

 ミラの付近に、僅かでもネットワークの残滓が残されていないかを探した。期待していたそれは、予想に反して難なく見つけられた。接続を試みると、ファイアウォールも認証もなく、するりとリンク出来た。レプリカントではなく、あくまで人形だからこそ実現出来たことだ。


 ラウラの使っていた人形の頭部だ。首から下は機能を停止したが、人間と違って切り離された一部の方はまだ活動している場合がある。頭部はその最たる例だ。

 当然余力は殆どない。しかしミラの最期を見届けるには何とか持ちこたえられる。ラウラが人形にプロテクトをかけていなかった事は幸運としか言いようがない。

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