名前―III
「人類は支配権を放棄した」
そんな見出しが目に止まり、
彼の言い分は単純明快で、レプリカントが大多数の職務を賄えるようになった二〇四九年、「人類が地球を回してきた」という神話は崩壊しつつあった。
人である必要のないものはオートメーションに取って代わり、人型の存在が必要なものはレプリカントが請け負う。大多数の人間は職を失う危機に直面したが、救済の余地はあった。
大規模な相互ネットワーク、メタトロンの台頭だ。二十年代に始まった第五世代通信規格以降、あらゆるモノがネットワークに繋がり、相互に認識され管理される世界となってから、今まで存在しなかった職務が発生したからだ。
例えば、自動化された交通網を最適化するためには、インフラの再設計が必要となる。
例えば、あらゆる家具・家電をIoT化し、利便性と高度なセキュリティを手にするには、相応の知識が必要となる。
娯楽においては淘汰され、一つ一つの技術を高める段階に入っていた。より洗練され、より刺激のあるコンテンツのみが生き残っていく。
CGやAI制御による自動生成、自動彩色では足りない。芸術にはどうしても、人力の生み出す破壊力が必要不可欠だ。
つまりは今まで以上に個人のスキルが要求される社会となっていった。
それそのものは結構な事だが、起点となるのは「人工知能とレプリカントの急増」によるものだ。人類ではなくレプリカントありきの考え方に変化してしまったのだ。
彼はその推移を支配権の放棄と表現した。レプリカントの動向によって社会情勢が変動するのでは、自然が絶対であった原始時代に逆行したようなものだ、と締めくくり記事は終わった。
彼はこの持論を音声のリアルタイム記述で文面化し投稿しているのだが、悲しいかな、その技術もまた技術革新により可能となったテクノロジーである。
どんなに批判的な意思を持っていても、進み続ける技術からは逃れられない。人間は可能性から目を背けていられない生き物なのだから。
彼らが遺したこれらの記事は、ツイスターと呼ばれるネットワーク・サービスにアップロードされたものだ。
ソーシャルという単語が付随しないことには理由がある。ツイッターやフェイスブックといったソーシャル・ネットワーク・サービスと異なり、ツイスターはコミュニケーションを前提としていないのだ。
言うなればウィキペディアに対するアンサイクロペディアのような立ち位置で、SNSに対するアンチテーゼがコンテンツの起源となる。
フォロー、フォロワーという概念はなく、リプライやリツイート、いいね! に至るまであらゆるリアクション機能も無い。出来る事はただ、己の感情を吐き出す事だけ。
厳密にはサーバールームという形で、特定のコミュニティに限定した空間に属して投稿を行うため、そこに集う人々はある程度似た者同士ということになる。
多くは好き勝手に自分の思いや持論を書き込み、それでお終い。たまに誰かがそれに乗っかって意見を返したりもするが、リプライが無い以上確実なコミュニケーションとは言えない。
一方的な独り言がそこら中で投げられるだけの場所。炎上やジャスティス・ハラスメントのリスクは起こり得ない。
本来自由であったはずのネットワーク・コミュニティが現実さながらのしがらみを生んでしまったのだから、あえて制限の多いコンテンツを好む者が現れてもおかしくはなかった。
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