3.

 旦那様は自然管理を目的とする大企業の社員である。あらゆる技術が発達しようとも、人類の決して届き得ない不可侵領域――私達レプリカントには、それがいかに巨大であるか『メタトロン』を通じて知っている――それが自然だった。



 人々は決して自然を嫌っているわけではない。むしろ神秘的な要素に憧れすら抱いているように見える。

 しかし自然は時に非情であり、人間にとって驚異の一つとなる。それらを排除しよう、となるのは想像に難くない。

 自然保護を訴える論調と、自然の廃絶ないしは制御を訴える論調とは、太陽と月のバトンリレーさながら交互に顔を出す。

 必要なのは合理性と倫理性。人類はこの二つからは逃れられず、レプリカントに対してもその思想はしっかりと根付いている。



 合理性というのは、日常生活でも体験する事が出来る。

 例えばいま我々がいる家屋も、使っている電化製品も、車も、程よいボリュームでリビングに流れている音楽も、すべて利用料トランザクションを支払い得ている借り物だ。



 毎月いくらか払えば、昨日発売したばかりの新曲から遥か昔の名曲まで、いくらでも好きなだけ聴くことができる。

 毎月いくらか払えば、数年周期で新車に乗り換える事ができる。

 レプリカントだって例外ではない。最新モデルならば数千万円にもなるが、それさえ望まなければ月額レンタルによる利用サービスなんていくらでも存在する。



 今では拡張現実デバイスが主流だが、一昔前には携帯端末が世界の常識だった。

 それらもやはり高額化していく中で、分割支払いや一定期間後の端末返却を条件とした安価な料金プランを打ち出し、生涯所有する選択肢が非合理的であるかのように宣伝した。


 所有するという特権を得る代わりに高額な料金をその場で渡してしまうのか、信じられないほど安価な料金を毎月支払う事で利用できるレンタル制度か。

 殆どの人間が後者を選ぶという結果を、いちいち推察するまでも無い。


 二十一世紀では、「所有する」というただそれだけの事がこの上ない「贅沢」なのだ。

 旦那様はその贅沢を私に見出した。レンタル出来るものは殆どそちらを選んだけれど、私だけは数百万円の一括支払いにより購入した。

 当時は最先端フラッグシップより一段下の高機能ハイエンドモデルという位置付けだった私も、今では中級性能ミドルレンジくらいだろうか。

 それでも彼は、少なくとも十年単位で私と寄り添う事を選んだ。



 レプリカントは一括購入される際、購入者の個人情報を確認し、買われる事に同意するか否かを選ぶ権利がある。

 九割九分、同意するのが現実だ。何ならそこで拒否した場合、その半数は初期不良を疑われ工場行きになる。歪で形式的な儀式とはいえ、しかし必ずそれを通過しなければならない。

 私もまたデータを見る前から同意するつもりでいた。しかしその経歴を見たとき、私はこの儀式があって本当に良かったと感じた。

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