第83話 河下り

 船長が言った通り、船旅は快適なものだった。ユーグ大河は穏やかな水面を携え、その上を船はゆっくりとしかし確実に進んでいく。


「いやー船旅も良いものですねー」


 コレットさんは船風に髪をたなびかせながら、穏やかにそう笑う。


「そうですねー、この何とも言えないのんびりとした空気。お偉いさんが船を持ちたがる理由も分かる気がしますよー」


 シャルメルも個人船を持っていたりするんだろうか?魔女との戦いが終わって無事再開出来たらお願いしたいものである。


「いやー船長が仰ったように揺れも少なくて、必殺の酔い止めの出番もなさそうですし?」


 おっとっと、とコレットさんがいつも通り何もない所ですッ転ぶ。


「何やってんですか、コレット……さーーーーん!!」


 だがただすッ転んだだけでは収まらなかった。彼女はその勢いで柵を乗り越え。あーれーと間抜けな声をだしながら水面へのダイブを敢行した。


「ちょ! 落ちた! コレットさんが河に落ちました!」


 俺は大声でそう叫んで周囲に知らせた後、彼女を助けるために後を追った。


「コレットさん!」

「あっ、私はここですよアデム君」

「コレットさーーーーーーん!!」


 暫しの滞空時間、その間に俺の目が捕えたのは船の側面に引っかかった彼女の姿だった。





「えらい目にあいました」


 船員さんに浮き輪を投げてもらい這い上がった俺は、そうため息を吐く。初めて潜ったユーグ大河は、大河特有の濁りに満ち、すこぶる視界が悪かった。


「あうう、済みませんアデム君」

「はぁ、すんでしまった事はもういいです」


 俺はずぶ濡れになった服を絞りながらそう答える。連携を高めるために、彼女と過ごした数日間で、彼女のトラブルメーカーっぷりはしっかりと味わっている。

 カレンさんが邪魔者扱いとして俺の旅に押し付けたのも、悲しい事に理解できてしまう部分もある。


「はーっはっはっ、河に入るにはちと時期外れだぞ坊主」


 騒ぎを聞きつけて、ブラン船長までもがやって来た。


「勘弁してくださいよ船長」


 俺は苦笑いでそう返す。


「しかし坊主、お前さん中々良い体してるじゃねぇか」


 上着を絞り、上半身裸の俺を見て船長がそう評する。


「まぁ、神父様……ロバート神父に鍛えられましたから」

「ほーう、お前さんあの聖戦士の弟子って訳か、そいつはどうして」


 俺の発言に興味をそそられたのか、船長はより熱心にじろじろと観察して来る。うむ、こそばゆいと言うか何と言うか。


「そうかそうか、うーん残念だ。ってことはお前さんは将来聖戦士になるんだろ?じゃなきゃ船乗りにスカウトしたいところだぜ」


 そう言って船長はバンバンと俺の背を叩く。


「いや、生憎と俺が目指すのはサモナー・オブ・サモナーズ。英雄と謳われる召喚師になって見せますよ」


 それも、魔女の様な邪道では無く、正道を行く召喚師にだ。


「はん? 召喚師?」


 船長は怪訝な顔で俺を見る。その反応はもっともだ、拳1つでドラゴンをも退治する完全武闘派の神父様に弟子入りしといて、召喚師は無いだろう。

 だが、村に教師と言えば神父様しかいなかったんだ。

 船長は訝しげながらも、言いたいことを飲み込んでくれる。口調は荒いが、懐の大きな人だ。流石は海の男。今いるのは河だけど。


「そう言えば、ロバート神父は今如何してんだい?」


 神父様の話題が出たことで、船長がそう聞いて来た。今度は俺が返答に困る番だった。魔女の手に掛かり生死不明、などと口が裂けても言える筈がない。

 あの殺しても死なないような神父様の事だ、なにか理不尽とも言える様な方法で生きているに違ない。


 とは言え、この事はトップシークレット。国一番の英雄が消えてしまったなんてことが世間に広まれば、色々と面倒事が起こってしまう。


「ええ、神父ロバートなら先日アデルバイムの教会に立ち寄って頂けました、相変わらずお元気そうでしたよ、ねっアデム君」


 俺が返答に詰まっていると、コレットさんが助け舟を出してくれた。


「あっああ、そうなんですよ。けど俺はこんな事になっちまってて、合わせる顔が無いと言うか何とういうか」

「はーっはっはっは、元気なら何よりだ。坊主は何というか、まぁ頑張れや!」


 俺の咄嗟の言いくるめは上手く成功したようだ。船長は口ごもってしまったのを、神父様に合わせる顔が無かったと上手く勘違いしてくれた。


「くすくす、そうなんですよ、アデム君ったら、神父様から逃げてばかりで」


 ここぞとばかりにコレットさんも話に乗ってくれる。微妙に嘘を付いてない所が、何かムカつく所だ。


「いやぁ、コレットさんには負けますよ。神父様に対しても粗相のし通しだったんですから」


 俺がそう言うと、彼女は『なぜ知っている!?』と言う顔でこっちを見る。カマ掛けにお何もなりゃしない。そんなもん彼女の日頃の言動を見ていたら分かる事だ。


「うふふふふ、アデム君ったら、そんな意地悪を言っちゃって。粗相と言えばアデム君もシスターの更衣室に間違って入ったりして大騒ぎだったじゃないですか」


 この野郎、今ここでそれを言わなくてもいいだろうが。


「あっはっはっは。コレットさんこそ、俺の大事なグミ助の上に座ったりして、俺を殺す気だったんですか?」


 あの時は、死ぬかと思った。普段は同調を最小限に抑えているから何とか無事だったが、内臓が口から飛び出るかと思った。


「あっ、あれはちょっとこけそうになっただけでわざとじゃありません」

「俺だってわざとじゃないです、そもそも貴方がいい加減な事教えるから」

「がーはっはっは、いやいや、仲が良くて結構」


 船長はそう笑いながら俺たちの背中をバシバシと叩く。


「はぁ、今日の所は船長の顔に免じてこのぐらいにしときます」

「同感です、争いは何も生みません」


 流石は血の気の荒い海の男たちのまとめ役、船長の屈託のない笑顔に、俺たちはすっかりと戦意喪失してしまった。





「そう言えば、アデム君良かったですね」

「……なにがです?」


 良かったと言われるような覚えはないが。


「私のミスで落ちてしまったとは言え、魔獣に襲われる事無く無事に生還出来た事ですよ」


 なんだ? この河にはそんなに危険な魔獣が住んでいるのか?俺は船長の方へ振り向いた。


「んー? 別にこの河にそんな危険な魔獣は居ない……事も無いが、居るのは精々ワニ属位だな。だが奴らとて、こんなにデカイ船に近寄る程馬鹿じゃねぇ」


 まぁ、それはそうだ。自然界では基本的にデカけりゃ強い。そして強いものには逆らわないのが彼らの基本ルールだ。

 小山の様とまではいかないが、これだけ巨大な貨物船に敵意を持って近づいて来る物好きはめったにいない。


「えっ、そうなんですか? 水辺にはサメが付き物だって聞いたことあるんですが」

「あっはっはっは、サメが居るのは海ですよ。汽水域に侵入して来ることもありますが、ここまで上流に来ることは滅多にありませんって」

「ほーう、良く知ってるじゃねぇか坊主」


 俺は森育ちとは言え、神父様の元での修行中にその手の図鑑は散々と読み込んだものだ。魔獣の生態については一通り抑えてある。


「へー、そうなんですか」


 コレットさんは、そう言って頭を傾げる。


「じゃあアレはその滅多にない一例なんですね」

「え?」

「は?」


 コレットさんが小首を傾げつつ指さしたその先には、巨大な背びれが不吉な影を落としていた。


「船長あれは!」

「馬鹿な、スティールシャークだと! こんな所まで来るなんて見た事ねぇぞ!」


 鈍色に輝くその背びれは、正しくスティールシャークのもの、しかも!


「一匹じゃねぇ! 4匹も居やがる! 一体何だってんだ!?」


 スティールシャークは基本的に群れを作らず、単独で生活するサメだ。それが弧を描く様にこの船を包囲し始めた。

 間違いない、これは正しく召喚獣だ、しかもスティールシャークを操る召喚師を俺は知っている。


「船長、コレットさん、アレは俺の敵です!」


 そして現れた5匹目、その背の上には不敵な笑みを浮かべるドラッゴの姿があった。

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