第36話 【グラディエーター】鉄壁と毒牙

「うぅ……はぁ……はぁ……ふぅ……!」


 痛みと疲労で荒くなる呼吸を必死で整える。足も若干ふらついている。非常にマズい展開だ。このダメージによってアンゼルムとの戦い自体も当然厳しくなるが、この後まだ6人もの精鋭闘士が乱入してくるのだ。


 だと言うのに、開始から間もないこの時点でいきなりこんなダメージを負ってしまったのは、完全に想定外だ。体力の消耗度合いも予定より遥かに大きい。


 これではこの後まだまだ続く地獄の試合を戦い抜けるのか、大いに不安であった。私の頬を疲労とはまた違った嫌な汗が伝う。


「ぬぅんっ!」

「……!」


 アンゼルムが唸り声と共に、ハンマーを振り回して襲い掛かってくる。同じ攻撃でも、体力を消耗しダメージも受けてしまった状態では最初よりも格段に躱しにくくなる。


 私はどうにか意識を集中させながら、辛うじてといった体でハンマーの攻撃を躱し続けた。このまま防戦一方ではそう遠くない内に限界が来る。打開策を探して焦っていると、その時――




『おぉーーっと! ここで砂時計が満たされたぁっ! シグルド様が時計を反転させます! 3人目の選手が入場だぁっ!! 勝つ為ならどんな卑怯な手段も厭わない! この男が報いを受ける日はやって来るのか!? 【毒牙】のレイバン・コールだぁぁっっ!!!』




 ――ブウゥゥゥゥゥゥゥッ!!!



「……!」


 いつの間にか規定時間が経過していたようだ。開かれた門から新たな闘士が乱入してくる。棘の付いた革鎧の軽装に、二振りの短剣ダガーで武装した中肉中背の男だ。ただし革鎧から露出した腕を見るだけでも、相当に鍛えられ引き絞られているのが解った。


 頭の両側を刈り上げて、頭頂部のみ鶏冠とさかのように赤く染めた髪が逆立っている。顔や身体のあちこちに凶悪そうな刺青タトゥーが施されていた。その姿を見た観客からは物凄いブーイングだ。



「ちっ! 俺様とした事が3番手なんぞを引いちまうとはなぁ! ……おい、姫さんよ! まずはこのデカブツをやっちまうぜ!? 協力しろや!」



 観客の反応なぞどこ吹く風な様子のモヒカン男――レイバンは、くじの順番に舌打ちすると、こちらに走り寄りながらそう怒鳴ってきた。


「……!」


 意外な申し出だ。あの凶悪そうな外見や言動、試合の評判から、絶対に私を狙ってくると思っていたのだが。


「相性ってモンがあんだろうが! 安心しろや。デカブツを片付けたら、すぐにたっぷりとお相手してやっからよぉ!」


 私の戸惑いを見抜いたのか、レイバンの言葉。それを聞いて私はむしろ安心した。利害の一致という奴だ。変に味方面される方が却って警戒してしまう。


「ふん……卑しいコソ泥か。構わん。まとめて叩きのめしてくれよう」


「はっ! 言ってろ、デカブツがぁっ!」


 レイバンはまるで地を這うような低い姿勢でアンゼルムに肉薄する。その頭上から鉄槌が勢いよく振り下ろされる。


「ヒャハーーッ!!」


 レイバンは奇声と共に、大胆に前方に向かって飛び込むような形で前転してハンマーを躱す。そして一回転して起き上がり様に、アンゼルムの膝裏の関節部分を狙って短剣で斬り付ける。


「……! むん!」


 だがアンゼルムもさる者。素早く脚を引いて急所を庇う。だが今の攻防で私にもアンゼルムの弱点・・が見えた。


 痛む身体を押して、レイバンと対峙するアンゼルムの背後を取るように移動。隙を突いて膝裏の関節部分を狙って斬りかかる。


 膝や股関節といった可動部分の裏側は、どうしても金属で覆ってしまう訳には行かない。そんな事をしたら重さとは関係ない所で、全く動けなくなってしまうからだ。だからその部分だけは装甲が薄く刃が通りやすいのだ。


「ち……!」


 私の動きに気付いたアンゼルムが舌打ちと共に、大楯を背後に薙ぎ払って牽制してくる。私が飛び退ってそれを躱すと、今度はレイバンに背中を晒す事になる。


「おらぁっ!」

「……!」


 そしてその隙を逃すような相手ではない。素早く接近するとそのダガーの一撃で、今度こそアンゼルムの左の膝裏を切り裂いた!


「ぬぅ……貴様。ちょこまかと……!」


「へっ! こちとら卑しいコソ泥様だからなぁ。ちょこまかすんのが本分よ!」


 初めて通った攻撃に唸るアンゼルムに、挑発で返すレイバン。だが気のせいだろうか。レイバンの攻撃が少し浅かったように思えたのだ。勿論アンゼルムが素早く体勢を整えたという事もあるだろうが、それでもレイバンの身のこなしならもう少し深手を負わさられたような気がするのだが……



「おのれ、この猿めがっ!」


 逃げ回るレイバンに業を煮やしたアンゼルムが、再び大楯を突き出して『盾突撃』の体勢に入る!


「おおっと!? やべぇやべぇ!」


 それを見たレイバンが慌てて方向転換する。


「逃がさんっ!」


 再びの重戦車の突撃が敢行される。膝の負傷など全く感じさせないような、相変わらずの凄まじい速度と迫力だ。さしものレイバンも必死の形相で逃げ回る。が……


「え……!?」


 何とレイバンが私の方に一直線に逃げてきたのだ。勿論その後ろに、地響きと共に迫りくる巨大な鉄塊を引き連れてだ。


「ちょ……!」


「へ! 高みの見物なんざさせねぇぜ!?」

「……ッ!」


 つまり意図的に私を巻き込んだという訳だ。そうしている間にも地響きはどんどん大きくなる。


「へへ、後頼むわ!」


 私の眼前まで走ってきたレイバンは、直角に曲がって横っ飛びにアンゼルムの突進の進路から逃れる。その時には既にアンゼルムの大楯が視界一杯に広がっていた。


 今から回避しても間に合わない。そしてもう一度あれを喰らったら、今度こそ立てる自信はない。


「……っ」



 決断は一瞬だった。迷っている時間はない。コレ・・を使うのは久しぶり・・・・だが、上手く発動してくれるだろうか?



 いや、祈ったり願ったりしては駄目だ。私は……心を無にして・・・・・・、無防備に両手を広げてアンゼルムの突進を受け入れた・・・・・


 回避は勿論、あらゆる防御行動も一切取らない。その状態でこの猛突進を受ければ間違いなく即死・・だ。だからこそ発動条件・・・・となり得る。


 その瞬間、私の身体が抗いがたい『力』によって支配された。久方ぶりの感覚。極力体の力を抜いて、強制的に動かされる負担を少しでも受け流す。



 ――私は自分の身体が宙を舞ったのを自覚した。と言ってもそれは先程のように吹っ飛ばされたのではない。突進するアンゼルムの頭上・・を飛び越えるようにして、自らの脚で飛んだのであった。



「んなぁっ!?」


 レイバンの素っ頓狂な驚きの声。2・5メートルはあるアンゼルムの頭上を飛び越えたのだ。下手すると3メートル近い高さを跳んだ事になる。レイバンが驚くのも無理はない。いや、驚いたのは彼だけではない。


 観客達も、そしてアンゼルムもだ。


「……何と!」


 アンゼルムが突進を中断して振り返る。その視線の先で私も着地し、やはり振り返った。


「く……う……」


 久しぶりという事もあるだろうが、やはりキツい。自らの意思とは無関係に強制的に身体を動かされるのはやはり相当の負担だ。ましてやあんな人間離れした挙動である。


 既にダメージを受けている身体が更なる悲鳴を上げる。後一度が限界か。それも出来れば使わずに済ませたい。

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