第16話 【マーセナリー】魔犬と魔猫

 初戦から思ったより体力を消耗してしまった。私は必死に呼吸を整えようとするが、そこに無情なるアナウンスが……



『カサンドラ、一戦目を無事に乗り切ったぞ!? だがここまでは下馬評通り。彼女の生き残りを賭けた戦いはここからが本番だ! 二戦目は地獄の猟犬、ヘルハウンドだぁぁっ!!』 



 ホブゴブリンと戦っている間に既にスタンバイしていたらしく、再び開かれた赤の門から飛び込んできたのは……


 仔牛ほどのサイズの真っ黒い毛並みの巨大犬であった。その体格だけでなく瞳がまるで血に染まったように真紅の輝きを帯びている事から、魔物だと解る。凶暴な唸り声と共に私に狙いを定めて襲いかかってくる。


 因みにホブゴブリンの死体には目もくれない。これもまた魔物の特徴と言える。彼等は生きた人間を殺す事を至上の喜びとしているのである。



 一説には神が人間同士の争いを調停する為に、敢えて人間の天敵となるべく創り出された存在とも言われているが、結局人間は醜い戦争を続けているので、その試みは失敗だったと言える。



 まだ私と距離があるにも関わらず、ヘルハウンドの口が大きく開く。


「……ッ!」


 私は即座に横に跳んだ・・・・・。次の瞬間、今まで私が立っていた空間を紅蓮の炎・・・・が薙いだ。躱したが、私の鎧からむき出しの素肌に熱を感じた。


 ヘルハウンドは口から小さな火球を吐きつける能力を持っているのだ。まさに魔物たる所以である。


 横っ飛びに転がった私に更なる火球の追撃が迫る。肌を大きく露出している私があんな物をまともに食らったら、一発で重大な火傷を負ってしまう。私は必死に転がって回避し続けた。その度に観衆から大きな歓声が上がるが、気にしている余裕はない。


 ヘルハウンドは以前、他の剣闘士が戦っているのを見たことがあった。この火球はそう何発も続けては撃てないはずである。


 案の定、5発ほど躱した所で火球の追撃が止んだ。チャンスだ! 


 私は側転から一気に身を起こして、ヘルハウンドに向けて突撃する。時間を与えれば再び火球を撃てるようになってしまう。いずれにせよ接近しなければ私に勝ち目はない。


 ヘルハウンドは火球を撃ち尽くすという状況になった経験がないらしく、逃げに徹して時間を稼ぐという選択肢を取らなかった。私にとっては僥倖だ。獣の足で逃げ回られては人間が追いつける道理がない。


 牙を噛み合わせるように獰猛な唸り声を上げると、私に向かって跳躍してその牙を剥いて来た。高速で飛びかかってくる相手に上手く急所に当てる自信が無かったので、私は盾を掲げてその牙を受け止めた。


 ヘルハウンドは盾の縁に噛み付いて、猛烈な力で私を押し倒そうとしてくる。当然だが競り合いになったら確実に負ける。そして地面に引き倒されたら、待っているのは悲惨な運命だ。


 なので私は無理に押し合おうとせずに……盾を後ろに引いた。衝突を予想していたヘルハウンドの体勢が一瞬つんのめったように崩れる。その隙を逃さずヘルハウンドの首元に剣を深々と突き刺した!


 ヘルハウンドは凄まじい痙攣を起こした後、ようやく動かなくなった。これで2体目だ。



「はぁ……はぁ……はぁ……!」



 息が乱れる。ヘルハウンドの火球を回避するのに横転を繰り返し、かなりの体力を消耗させられた。若干ではあるが疲労が足にも来始めている。マズい兆候だ。


 出来ればこれで終わって欲しいが、流石にそう甘くはないだろう。私のその予想を肯定するかのようにアナウンスが響く。



『二戦目も生き延びたぁぁっ! だがまだまだ戦いはこれからだ! 三戦目、次なる相手は……凶暴なる山の捕食者、リュンクスだぁ!!』



 次に赤の門から飛び出してきたのは、先のヘルハウンドにも劣らない体格の、非常に大きな山猫のような姿の魔物であった。やはり俊敏な動きで真っ直ぐに襲いかかってくる。


「く……!」


 私は疲労を押して剣を構える。そして真っ直ぐに突っ込んでくるリュンクスに剣を突き出す。しかし……


「な……!?」


 何とリュンクスは素早く横に跳んで私の剣を躱したのだ。獣型の魔物がこのような挙動をするのは想定外であった。私は剣を突き出した反動でそのまま体勢を崩してしまう。今度は演技ではない。


 リュンクスは勿論その隙を逃さず、鋭い前足の爪で引っ掻いてくる。


「……ッ」


 辛うじて身を躱したが、私のむき出しの脇腹に鈍痛。浅めではあるが引っ掻き傷を負って血が滲む。私は痛みを堪えて、リュンクスと距離を取ろうと剣を横薙ぎにする。リュンクスが一旦後方へ飛び退って距離が離れる。



『おお! カサンドラ、負傷だぁ! 今までの試合を全て無傷で勝ち抜いてきた彼女が遂にその記録に土を着けたぁっ!!』



 興奮したアナウンスに再びの大歓声、怒号。


 だが私は勿論そんな物に気を取られている余裕など無い。脇腹の痛みが気になる。アナウンスの言う通り今まで傷らしい傷を負った事が無かったので、浅いとはいえ出血を伴う傷を負ったという事実は、精神的にも私を動揺させる。


 だがそんな私の精神状態などお構いなしにリュンクスが再び攻めてくる。私は咄嗟に剣を薙ぎ払うがリュンクスは飛び退って躱す。


 私の周りを回りながら隙を見つけては飛びかかってくる。私が剣で応戦すると無理せずすぐに飛び退る。その繰り返しだ。ただでさえ消耗していた体力を更に奪われているのを感じる。体力の低下は集中力の低下にも繋がる。


 今や私の身体は汗まみれで、剣を取り落とさないよう注意しなければならなかった。このまま魔物相手の持久戦となればこっちが圧倒的に不利だ。であるならば……やはり賭けに出るしかない。ホブゴブリンの時よりも危険だが、どの道このままではジリ貧だ。


 私は敢えて剣を大きく振り上げてリュンクスに斬り掛かる。しかしやはり素早い挙動で避けられてしまう。私は全力で剣を振り下ろしたので、体勢が大きく崩れてしまう。


 これは敢えて・・・やった事ではあるが、体勢が崩れた事自体は演技ではない。リュンクスの目が鋭くなる。



 ……来る!



 体勢が崩れて胴体が大きく開いてしまった私に、リュンクスが腰だめから一気に飛びかかってくる。


「……ッ!」


 仔牛ほどの大きさの巨大な山猫型の魔物だ。その膂力と重量に抗えずに私は地面に引き倒される。首筋の急所を盾で必死にガードする。


 周囲では熱狂的な歓声が上がっていた。


 リュンクスは盾に邪魔され私の喉元に噛み付くのを諦めると、唸り声を上げながら遮二無二爪を振り回してきた。その度に私の鎧からむき出しの生肌の部分に傷が増えていく。



 痛い。苦しい。それに……怖い! 



 大型の獣に圧し掛かられて襲われるという状況は、人間の本能的な恐怖を刺激するようだ。だが私はアルの顔を思い出しながら必死に恐怖に抗う。


 そして努めて冷静に……離さずに右手に持ったままだった小剣を、リュンクスの首の部分に突き刺した!


「ブギャッ!!」


 リュンクスがビックリしたように大きく目を見開くと身体を大きく痙攣させた。次の瞬間にはその目から光が失われ、身体が弛緩し、私の上に覆いかぶさってきた。これで……三体目。試合終了のアナウンスは無い。まだ、終わらないのだろうか?


 巨体の重みから何とか這い出る。しかしリュンクスの爪で鎧は引っ掻き傷だらけ、鎧からむき出しの生肌部分にも細かいかすり傷が多数出来ていた。


 ざっくりと深く切り裂かれたような傷が無かったのは不幸中の幸いだが、浅い傷でも痛みはそれなりにあるし、何より出血が厳しい。



「はぁ! ふぅ! はぁ!」



 私はリュンクスの死骸から這い出たまま仰向けになって、荒い呼吸を懸命に鎮めようとする。しかしこれまで連戦による疲労の蓄積と出血による消耗が重なって中々呼吸が落ち着かない。


 そして私の体力が僅かでも回復するのを待ってくれる程、主催者はお人好しではなかった。

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