第3話 無慈悲なる英雄

「こんな所……? エレシエル最後・・の王族がいる場所が『こんな所』などと言う道理はあるまい……? 必ずや王女を逃がすと思っていたぞ」


「くっ……!」


 威圧感のある重々しい声音で口を開いたシグルドの言葉に、アルバートは歯噛みしながら再び剣を抜いた。だがシグルドはそれには構わず、私の方に真っ直ぐ視線を向けてきた。その眼光に射竦められて私は硬直してしまう。


「ふ……カサンドラ王女か。【エレシエルの至宝】……。噂通り、いや、噂以上に美しいな。クリームヒルトも美しいが、お前はそれ以上かも知れん。……気に入ったぞ」


「……ッ!」



 その『英雄』の視線に好色な物が混じるのを感じ取って私は戦慄する。因みにクリームヒルトとは、シグルドが帝国に召し抱えられる切欠ともなったロマリオン皇女の名だ。


(この男……!)


 どうやら【邪龍殺し】の神話の英雄は意外と俗物的で傲慢な性格をしているらしい。尤もそれ程の強さがあればおごれるのもやむ無しであろうが。


「貴様……ふざけるな! 姫には指一本触れさせはせん!」


 アルバートが激昂しながらシグルドを牽制する。同時に視線はヤツに向けたまま私に喋りかけてきた。


「姫、私が時間を稼ぎます。その間にどうにかお逃げ下さい」

「……!」


 その言葉にアルバートの悲壮な覚悟を感じ取って、私は心臓が締め付けられるような痛みを覚えた。アルバートは死を覚悟している。アルが死ぬ? 私を残して……? 私は猛烈な勢いで首を振った。


「嫌ッ! 嫌です! どの道私1人では逃げ延びられません! 2人で生き延びると誓ったのを忘れたのですかっ!? 私はアルと一緒でなければどこにも行きません!」


「ひ、姫……」


 アルバートの困ったような、それでいて感激したような複雑な声。だがそこに無粋な男の声が被さる。


「臭い三文芝居は終わったか? 命が惜しいなら大人しく投降した方が身の為だぞ? でなければ……こうなる・・・・羽目になる」


 そう言ってシグルドは、それまで後ろに回していた左手に握っている「何か」を私達の目の前に放った。それら・・・は放物線を描いて私達の足元に転がった。二つのボール状の「何か」。それは……



「お……お父、様? ……お母様?」



 私の……両親の、生、首…………



「い、い……いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



 私は身も世もなく絶叫する。死んでいると解ってはいた。頭では理解していた。しかしそれをこうして、最も残酷な形で突き付けられた衝撃は、そんな理屈など軽く吹き飛ばして私の精神に計り知れないダメージを与えていた。



「お父様! お母様ぁぁっ!!」



 私はしゃがみ込んで両親の頭を掻き抱く。酷すぎる。私達はこんな目に遭わなければならない、一体何をしたと言うのだろうか。戦争だってそもそもは帝国から仕掛けてきたものなのだ。


 なのに何故こんな理不尽な暴虐がまかり通るのか。何故目の前のあの悪鬼は何の天罰も受けずにのうのうとしているのか。



 何故、何故、何故、何故何故何故――――ッ!!



「き、貴様ぁぁぁぁぁっ!!」


 虚脱しかけた私の耳に、激昂したアルバートの怒号が響く。


 剣を構えたアルバートが傭兵達を瞬殺した神速の踏み込みを発揮して、一気にシグルドの喉笛に迫る。シグルドの口の端が残忍な笑みの形に吊り上がる。


「ふんっ!」

「ッ!?」


 アルバートの必殺の薙ぎ払いを、背中に架けていた大剣を抜き放って受け止めるシグルド。あれ程の大剣だと言うのに、いつの間に抜き放ったのか私には全く見えなかった。


「ちぃっ!」


 アルバートが間髪入れず追撃を打ち込む。身体中の急所を狙う凄まじいまでのアルバートの連撃を、しかしシグルドは驚異的な速度で大剣を操り、ことごとく防ぎきった。


「馬鹿な……!」


「ほぅ……中々の腕前だ。今度はこちらの番だな」

「……ッ!」


 攻撃に転じるシグルドの唸りを上げる剛剣の前に、今度はアルバートが防戦一方になる。あの大剣の一撃をまともに受ければ、恐らく剣ごと両断されるだろう。アルバートは紙一重で躱し続けるが、体力の消耗は如何ともしがたい。シグルドの大剣がアルバートを掠める度に、私の心臓は縮み上がる。



(アル……! アル……お願い……!)



 自分でも何に祈っているのかよく分からない状態で、とにかくアルバートの勝利を願った。その願いが通じたのかどうか……


「う、おおぉぉぉっ!」

「む……!」


 アルバートの渾身のカウンターがシグルドの身体を浅く斬り裂いた。傷口から血がパッと噴き出す。シグルドが一旦大きく飛び退って距離を取る。そして自分の傷口に触れると、その指に付いた血を舐め取った。


「ほう、俺に一撃入れるとは……面白い。その腕前に敬意を表して特別に見せてやろう。この俺が、龍の生まれ変わりドラゴンボーンたる所以をな……!」


「……!」


 シグルドの雰囲気が変わった事を察したアルバートが警戒を強め、何かさせる前にと、一気に距離を詰める。だがシグルドは迎撃体勢を取る事もなく、代わりに大きく息を吸い込むような仕草を取った。そして――



『རྱུ༌ཨུ༌ནོ༌ས༌ཁེ༌རྦི༌ ཤོ༌ཨུ༌རྒེ༌ཁི༌』 



 凄まじい咆哮と共に、聞いた事もないような奇怪な言語らしき物がその口から漏れ出る。 




 ――大気が爆ぜた。




「あぁっ!!」


 そうとしか思えないような衝撃が私を襲い、私はその突風を伴う衝撃に抗えずに吹き飛ばされ、背中から倒れ込む。


 視界が……グルグル回っていた。耳がつんざかれ、一瞬何も聞こえなくなった。一体……何が起きたと言うのだろうか?


 シグルドが何かを叫んだ瞬間、凄まじい轟音と共に衝撃波が発生し、私は訳も分からぬまま吹き飛ばされた。シグルドが何をしたのかはよく分からないが、『アレ』が私に向けられて放たれたものではない事だけは分かった。私は余波・・だけで吹き飛ばされたのだ。



 余波……つまり本来放たれるべきだった相手は……?



「ッ! アル!」


 私は慌ててアルバートのいた方向を確認する。そして……



「あぁっ!? アル! アルゥッ!!」



 アルバートは……遥か後方の大きな木の幹に、叩きつけられたようにその背中を押し付けていた。木の幹は大きく抉れており、どれ程の勢いで叩きつけられたかを物語っている。


 アルバートがゴフッと口から吐血する。かなりの量で、内臓が傷ついているのだと解る。


「あ……あ……アル……!」


 アルバートの元に駆け寄りたかったが、先程の衝撃で未だに視界が揺れており足腰が上手く動かなかった。



「ふ……これが俺の『力』だ。無論使える力はこれだけでは無いがな」



 シグルドが……無慈悲な死神がアルバートの元に歩み寄っていく。


「あ……や、やめて……アル、逃げて……逃げてぇっ!!」


「ひ……ひ、め……」


 だがアルバートはとても動けるような状態ではない。それどころか今すぐに治療しないと命に関わる。


「や、やめて……やめて下さい! お願いします! と、投降致します! 何でも言う事を聞きますっ! だから、アルを……アルを助けて下さい!」


 シグルドは一瞬動きを止めて私の顔を見てきた。だが……何を思ったのか、その顔が文字通り悪鬼の如く歪む。


「ふ……ただ美しい女を抱くだけなら既にクリームヒルトがいる。お前は……別の方面・・・・から俺を楽しませて貰うとしよう」


「……?」


 別の方面? この男は何を言っているのだ? だがそんな疑問も、アルバートに向けて大剣を構えるシグルドの姿を見た瞬間に霧散した。


「な……!? や、やめ――――」


 言い終わる前に、シグルドが大剣をアルバートの胴体に突き刺していた。アルバートは最早苦鳴を上げる余力もなくガクガクと痙攣するようにその身体を震わせ……ガックリと崩れ落ちた。


 シグルドが大剣を引き抜くと、アルバートの身体はゆっくりと横倒しになり……二度と起き上がってくる事は無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る