第41話
『戦国時代の群像』「平手 政秀」38(全192回)
「平手 政秀」(1492~1553)戦国時代の武将。織田信秀、信長の2代に仕える。尾張国春日井郡にあった志賀城の城主。織田信秀の重臣として主に外交面で活躍、茶道や和歌などに通じた文化人で、天文2年(1533)に尾張国を訪れた山科言継から賞賛を受けるほどであった。天文12年(1543)5月には、信秀の名代として上洛し、朝廷に内裏築地修理料4,000貫を献上するなど、朝廷との交渉活動も担当していた。天文3年(1534年)、信長が誕生すると傅役となり、次席家老を務めた。天文16年(1547)には後見役として信長の初陣を滞りなく済ませるとともに、翌17年(1548)には争い中であった美濃の斎藤道三との和睦を成立させ、信長と濃姫の婚約を取り纏めた。また三河の安城合戦においては織田信広への援軍を率いた。信秀が死去して織田家中が不穏となる中で、天文22年閏1月13日(1553)に自刃した。享年62。※『信長公記』の首巻によれば、政秀は信長と次第に不和になり、信長の実直でない様を恨んで自刃したという。不和の原因を作ったのは政秀の長男・五郎右衛門で、信長が五郎右衛門の持っている馬を所望したとき、五郎右衛門は「自分は馬を必要とする武士だから、(馬を献上するのは)お許しください」と子憎たらしいことを言って拒否したのを信長が逆恨みしたのだという[3]。
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