第8話


*6*



「僕の婚約者に何をしているっ!」


 再び裏庭に響く大声に、テオドラは目を見開いた。声の主を探せば、燕尾服を着た男性がすごい剣幕で駆け寄ってきているところだった。


 アルお兄さまっ⁉︎


 幻聴ではないか、幻覚ではないかと疑っていたが、どうやら現実らしい。

 逃げ出せないものかとテオドラは再度もがくが、やはり逃れることはできないようだ。それだけでなく、もう一人の黒髪の大男までもがテオドラの身体を押さえにきた。


「んんっんんっ!」

「駆け落ちじゃないことには安堵したが、テアに手荒な真似をするな!」


 ガゼボに入り込むなり、アルフレッドはテオドラ救出に動き出す。紳士のたしなみで持ち歩いているステッキを的確に操り、大男たちの関節に一撃を食らわせると、テオドラはすぐに解放された。ふわりとアルフレッドに向けて身体が傾いたのを、彼は見事に抱きとめる。


「テアっ!」

「お兄さまっ!」


 やっと呼吸がラクになった。大きく息を吸い込み開口一番呼びかける。


「アルお兄さまっ!」


 嬉しい。こんなにすぐに来てくれるなんて。探してくれたなんて。


 感激してぎゅっと抱きしめる手をほどかれて、テオドラはアルフレッドの後ろに下がらせられた。そこで初めて、テオドラはここに実の兄ドロテウスもいることに気がついた。ドロテウスが仕事着のスーツに身を包んだままなのを見て、緊迫した場面であることを察する。


 お兄さままで? これは一体……。


 浮かれている場合ではなさそうだ。アルフレッドの背中に隠れながらも、連れさらおうとしていたデーヴィッドの様子をうかがう。

 デーヴィッドはやれやれといった様子で肩を竦めていた。


「俺は彼女の介抱をしていたにすぎませんよ」

「嘘よ! 裏庭に呼び出して、私を売ろうとしたわ! 本当よ!」


 素知らぬ顔で嘘をつくデーヴィッドに、テオドラは噛みつくように言ってやった。アルフレッドが来てくれた今は恐れることはない。

 デーヴィッドはくすくすと笑う。


「もしそれが事実だとしても、君たちは俺を訴えられないでしょう? 敵に回してもよいことはないじゃないか。それに、警察もいないし現行犯としてつき出すのも難しいはず。むしろ、君たちに暴力を振るわれたのだと訴えることも可能だよね。こっちは怪我しているわけで」


 言いながら、デーヴィッドは大男たちを見やる。

 大男たちはアルフレッドに攻撃された場所をさすっている。どの程度の打撃だったかはわからずとも、思わずテオドラを手放す程度には痛みがあったはず。ステッキの先で突かれたことを考えても、痕は残っているかもしれない。確かにデーヴィッドが指摘するように不利だ。

 テオドラがどうしたものかと思案していると、ドロテウスがアルフレッドの前に進み出た。


「それはどうでしょう? あなたのことは調べさせてもらいましたよ、デーヴィッド・シーオボルト。――いや、ワイアット・ヴァージル」


 偽名だったの⁉︎


 テオドラが目をまるくするのと同時に、デーヴィッドの余裕の表情が崩れ始めた。


「貿易商だと言ってまわっていたようですが、実態は人身売買の斡旋。さらったり騙したりした人間を状況に応じて隣国やもっと遠方に送って荒稼ぎをしていたようですね」

「何を根拠にそんなことを言っているのかね? 全部言いがかりだ」


 笑顔が引きつっているが、まだ逃げ切れる勝算があるらしい。デーヴィッドは続ける。


「難癖をつけられたと訴えてやらんこともないぞ。そうなれば君たちが困るんじゃないかな?」


 すると、ドロテウスが鼻で笑った。基本的には朗らかで優しい言動を好む彼がこんな態度を取るときは、たいていテオドラがらみであり、心底怒っているときである。


「そんなカードがまだ有効だと思っていらっしゃるようですね。頭がお花畑でいらっしゃるようだ。証拠なら充分にあるんですよ。もう警察には届けました」

「何の証拠だというんだ。くだらない」

「俺たちはあんたの仕事の裏を取るために、警察に依頼されていたんですよ。事業が傾きつつあるなんてのも嘘。ここのところ忙しかったのは、あんたのところから出てきた証拠をまとめるのに手間取っていたからなんです。――ほら、足音が聞こえませんか?」


 ドロテウスの指摘に、テオドラは耳を澄ませる。駆ける足音が近づいてきている。それも大所帯だ。


「詐欺師ワイアットなら、こちらですよ!」


 大声で呼びかけると、いよいよ場が悪いと判断したのか、デーヴィッドが動き出す。


「逃すかよっ」


 すかさずアルフレッドがステッキでデーヴィッドを足払いした。ケンカ慣れしているのがわかる程度には機敏で、無駄な動きがない。


「ぐぁっ」


 デーヴィッドが盛大にすっ転んだところで、警察がガゼボを取り囲んだ。


「さあ、観念しろ」

「くっ……」


 這ってでも逃げのびようとするデーヴィッドだったが、アルフレッドにステッキでさりげなく長ズボンの裾を押さえつけられていたせいで叶わなかったようだ。

 警官がガゼボに入り、デーヴィッドを拘束。何か言い返してくるかと思ったが、悔しそうに唇を引き結んだだけで黙ったまま連行されていった。

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