第八章 Smile――貴女には笑顔が似合う

第二十六話 平助、撫でられる

 眠れない夜、君のせいだよ。しかし残念なことに、全くロマンチックな話ではない。かがりさんによるバイト先襲撃宣言が、どうしようもなく刺さったのだ。


「おーい、平助ー」

 まだ人通りの少ない、のどかな通学路。僕の傍らにはもう一人。偉大なる友人、昨日殴り合った関係。


「どうした雅紀」

「いや、すっげえ不安なんだよ。その歩き方。あっちへヨタヨタ、こっちへフラフラ。疲れてねえか?」

 マジか。そんなにフラフラしていたのか。マズいな。今日は終業式なのに。眠れなかったから、早出したのに。


「んー。昨日上手く寝られてない」

 まばたきしながら、僕は答える。おお、確かに景色がボヤけている。完全に寝不足だ。

「まーたなにかあったんか……」

 雅紀が頭を抱える。いや、大した問題じゃないけど。大将と女将さんに、どうやって話をつけるか悩んでいただけだし。と、いう訳で。


「大丈夫。着いたら集合かかるまで寝てるから」

 安心させることにする。実際、少しでも寝ておかないとバイトで死ぬ。

「なら構わねえけど。寝坊するなよ?」

 よし、雅紀も納得してくれた。ならば。


「少しでも寝ておきたいから、先を急ぐ。また後で!」

 後はダッシュだ。少しでも早く教室に着き、そして眠る。

「事故には気をつけろよー」

 雅紀の見送りを受けて、僕は走り出す。とにかく、睡眠を今は欲していた。なのに。


「松本さん、おはようございます」

「あ、ああ。おはよう」

 その願いは、佐久場さんによって絶たれてしまった。隣の席に佇む、セーラー服の美少女。早く出た僕より、更に早く登校しているなんて。


「んー。結構早起きしちゃいまして。せっかくなので、登校しちゃいました」

 佐久場さんは、花が咲いたような笑顔で言う。今日はお下げ髪だった。なんというか。昔の女学生っぽい。


「ポニーテールは好きなんですけど、後ろの方に迷惑かけちゃいますし」

 僕の視線を読み取ったのだろう。佐久場さんは三つ編みを触りつつ、告げる。なるほど。


「人、少ないですね」

 僕はあたりを見回す。クラス内に、人はまばらで。こちらを見てる人もいなくて。意図しないままに、二人だけの時間となっていた。油断した僕は、あくびを漏らしてしまって。


「ですね。でも、そんな空間にいる貴方は。とても眠そうですよ?」

 答えつつ、からかうように聞いてくる佐久場さん。いや、これは貴女のメイドが原因でして。いや、原因は自分なのか? あ、またあくび。


「ふふ。寝ても構いませんよ?」

 佐久場さんは、微笑みを絶やさない。でもその下には、いくつもの思いがある。僕は、それを知ってしまった。とはいえ、眠気は止まらず。


「すみません、失礼します」

 諦めて、甘えてしまうことにした。見苦しい顔を見せないように、窓の方を向いて。机に伏せる。すると、更に手の感触がした。


「おやすみなさい」

 耳元に聞こえる、ささやき声。ビクリと跳ねる身体。逆に寝られなくなってしまうではないか。

 だが、反応してしまえば。今度こそ眠れなくなる。結果。始業のチャイムまで、悶々とうつ伏せることになってしまった。


 修了式も終われば、後は春休みの宿題等などである。四月からは新たな学年となり、クラスもまた変わる。


「いいか。宿題は必ずやれ。教科書は買い忘れるな。間違っても校則違反はするなよ」

 普段は抑揚のない声でしゃべるバーコード頭。しかし、今日ばかりは厳しい顔と声をしていた。教師は教師で、僕達には分からないものがあるのだろう。

「……とにかく、問題行動だけは慎むように。以上!」

 一瞬時計に目をやった担任が、説法の終わりを告げる。同時に、今年度最後のチャイムが鳴って。


 起立!

 礼!

 ありがとうございました!


 最後の礼は、なぜか全員が揃っていた。そして始まるのは、友人同士のおしゃべりだ。僕は佐久場さんに軽く一礼をすると、さっさと教室を抜けようとして。


「おーい平助。春休み、どっか遊びに行かね? 金なら融通利かせるからさ」

 呼び止められた。雅紀だ。しかし現状、そんな余裕はない。


「ごめん。声をかけてくれたのは嬉しいけど」

 お礼と謝罪を述べた後、雅紀に近付いて。小声で言葉を続ける。

「佐久場さんの件が、落ち着いたらにしてほしい」

「なるほど、それは悪かった」

 雅紀からも小声が返り、僕達は結論を出す。昨日の喧嘩は辛かった。今でも気を抜くと、あちこちが痛む。だけど、また話せて良かった。


「バイトで急ぐから、後にしてくれ!」

「そか。また電話する!」

 さり気なく離れ、僕は走る。アイツは残る。しかし絆で結ばれている。なんてね。そんなドラマチックな話じゃない。僕は久しぶりのバイトへ、走って向かう。



 平日の正午過ぎ。人もまばらな商店街の中ほどに立つ、その店に。僕は引き戸を軽く開け、中に入る。そのまま今度は、閉めてから一礼。


「すみません、ご無沙汰しました!」

「おー、平ちゃん! 風邪は大丈夫かい?」

 大きな声を添え、深々と頭を下げる。すると、大将が明るく声をかけてくれた。おお、平だ。生きとったか。などなど、常連達も明るい声を上げた。

 風邪と伝えていたのが良かったのだろう。怒っている様子は全く見えない。良心が痛むのは、仕方がないけど。


「はい。もう大丈夫です」

「よっしゃ。早く入ってくれ。混み合ってるからさ」

 声を張る僕に、大将が急かす。確かに、店は常連で満席だ。そうだ。昼営業は平日でも、忙しいんだ。僕は急いで奥に入ると、素早く皿洗いに入る。


「よし平ちゃん。あそこの奥様に酢豚定食持ってって。ウチのより、若い子が良いでしょ」

「はい!」

「カカア!?」

 時に漫才じみたやり取りに店内が沸き。


「平、これをあっちのジジイに持って行ってくれ。カカアに行かせたら口説かれちまうからな」

「ちょっとアンタ、なに言ってんのさ!?」

「酷いな、大将!」

 時に大将がやり返して笑いが溢れ。午後二時までの営業時間は、あっという間に終わる。そして休憩時間。


「まあ、そういう訳で。ちょっとこの後来客があるんですよ。むぐむぐ」

 ニンニク入りのチャーハン大盛りを頬張りながら、僕はあらましを語った。当然、色々と省いたけど。だが、大将の表情があからさまにおかしい。なんというか。喜びを隠そうとしている感じだ。


「……ごちそうさまです」

 男子高校生でも、ちょっと苦しい量の昼食を。僕は十五分以上掛けて空にした。しかし、途端に。大将に肩を掴まれた。


「平助! 水くせえなあ! そういうことだったら、俺達はいつでも協力すんのによ。なあ、カカア!」

「そうよ。平ちゃんにはこっちも、助けてもらってるんだから。遠慮なんて要らないよ」

 前後に揺さぶられる。女将さんまで同調してくる。ありがたい。ありがたいけど。一ついい?

 

 どうしてこうなった?

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